放射能が人体へ与えるリスクについて政府が説明するのを聞くたび、故小西建男さんの声を思い出す。東日本大震災で福島原発事故が起きる以前から、国が言う放射能の人体への影響とその科学的根拠が妥当なのか、長く争われてきた。
京都地裁を担当していた1998年、原爆症訴訟原告の小西さんと知り合った。「ごまめの歯ぎしり」と、小西さんはいつも口にした。「国と争っても歯が立たないとたくさんの被爆者が泣き寝入りしている」
核爆発から1・8キロ地点で被爆し、体のだるさ、後に白血球減少症や肝機能障害を発症した小西さんに対し、国は放射能が原因だと認めなかった。小西さんは弁護士も付けず一人で訴状を書き、国を相手に広島で浴びた放射能が原因だと認めるよう裁判を起こした。
放射能の人体に対する影響を判断する基準として、国はT65D、1986年に改定されたDS86という被ばく線量推定の計算式を用いてきた。
アメリカの砂漠で行われた核実験で得られたデータに従い、爆心から同心円の距離で放射線の影響が減少する計算モデルを機械的にあてはめるのは妥当なのか。気象や地形、「黒い雨」と呼ばれる放射線降下物の影響を考慮しないのはなぜなのか? 原告側の弁護団は追及していった。
体内に放射性物質を取り込み数十年後に発症する「内部被ばく」について国側証人の科学者は、「無視できる確率」と、「残留放射能による原爆症発症は見つかっていない」と繰り返してきた。
法廷で小西さんは被爆したとき、「黒いすすが降ってきた」と証言した。「黒い雨」が降った地域以外にも、放射性降下物がありえるとの証明だった。これが小西さんが国に勝訴する一因になった。
京都原爆症訴訟弁護団だった尾藤廣喜弁護士は「事実を経験した者の強みだった。事実を知るのは被害者。放射能の影響が同心円上に広がるモデルの誤りは、福島原発事故で30キロ圏外で基準を超えるデータが観測された例でも明らかだ」と指摘する。
司法は、放射性降下物などが影響した可能性があるのに認定行政は厳しすぎると指摘し、小西さんの京都原爆症訴訟を含めて国は2009年までに17件の原爆症訴訟で敗訴。国は同年8月、認定行政のあり方を陳謝した。
昨年12月に始まった国の「原爆症認定制度のあり方検討会」で、被爆者は「父は被爆25年後、目尻や爪の間から血がにじむ原因不明の病で亡くなった。健康被害は残留放射線、内部被ばくの影響が大きいというのが実感。被害は被爆者を通してしか解明されない」と訴えた。国の放射能リスク評価基準を変えうる重要な場だったが、東日本大震災の発生で3月に予定された第3回会合は延期されたままになっている。
戦後60年が過ぎても放射能の人体への長期リスクは科学的に未解明のまま、国は影響を過小評価し、日本の原子力政策は推進されてきた。原爆症訴訟は原発事故に対し、何十年もの長期にわたる健康調査や、被災時の個別状況を記録することの重要性を教えている。
京都新聞 南部支社・岡本晃明 2011年5月25日掲載 (引用)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2011/110525.html
今後10年~20年先の未来に福島原発事故による被曝者と国が裁判で争う様なことが無いことを願うばかりである。
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