東京電力福島第1原発の原子炉冷却作業中に3号機の水素爆発に遭い、一緒にいた部下4人が負傷した陸上自衛隊中央特殊武器防護隊(中特防)長の岩熊真司1等陸佐(49)が5日、共同通信などの取材に応じ「ひどい爆発だったら、助からないと思った」などと、当時の状況を振り返った。
NBC(核、生物、化学)兵器への一定の対応能力がある中特防だが、岩熊隊長は「原子炉の冷却は想定していなかった」という。
3月14日午前11時1分。岩熊隊長ら6人が車両3台で3号機に到着し、給水を始めるため隊長が小型四輪駆動車のドアを開けようとした瞬間。「ドーン」―。重低音が響き、経験したことのない爆風が襲った。フロントガラスから見える視界は一面灰色に。上空からは次々とコンクリート片が車両にも降り注いだ。
岩熊隊長は「がれきが落ちてきたのは数十秒だと思うが、非常に長く感じた」と述懐する。
何とか車外にはい出ると、足を引きずったり、自分の腕を押さえたりする隊員らの姿。「大丈夫か、すぐに離れるぞ」。散乱するがれきで車は使えず、負傷者を肩に担ぎながら現場から撤退。線量計は約20ミリシーベルトを示していた。
3号機は不安定だったが、東電から水素爆発の可能性があるとの説明はなかったという。
(共同)
東京新聞 2011年6月5日 22時44分 (引用)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011060501000562.html
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