2011年7月30日土曜日

「事実なら申し訳ない」=保安院長が緊急会見、謝罪-「第三者委が検証」連発

 3月の福島第1原発事故後、寺坂院長はほとんど会見に応じていなかった。この日も「(同日午後に)海江田万里経済産業相が説明した内容以上のものはない」として応じず、夜になってようやく会見の場に姿を見せた。

 午後9時半、同省10階の記者会見室に現れた寺坂院長はやや緊張した表情。事実確認をしていないと強調した上で、「深刻な事態」「保安院を預かるものとして」などと、経産相の会見と全く同じ言い回しで謝罪の言葉を口にした。

 寺坂院長は「保安院は職員が安全を旨として頑張っている」と強調。やらせ質問などへの関与についても「あってはならない」「ないと信じている」と繰り返した。一方で、事実関係を問われると「第三者委員会がこれから検証する」を連発。保安院による内部調査は行わない意向を示した。

時事ドットコム 2011/07/30-00:27 (引用)
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011072901175

保安院解体求める声=自民は歯切れ悪く-電力やらせ問題

 経済産業省原子力安全・保安院が、原発推進に肯定的な発言をシンポジウム参加者にしてもらうよう中部電力などに指示していた問題は29日、政界に波紋を広げた。自民党は政権与党当時の不祥事発覚に困惑しており、幹部らは記者会見などで歯切れの悪い受け答えに終始。与野党で原子力行政の見直し論議が勢いづくのは確実で、国会での攻防にも影響を与えそうだ。

 自民党の逢沢一郎国対委員長は同日の会見で、「やらせ」指示について「今初めて耳にする。事実であるとすれば大変遺憾なことだ」と述べるにとどめた。小池百合子総務会長は会見で記者団から質問を受けたものの、「確認してからということで答えとさせていただく」と、コメントを避けた。

 自民党と連立を組んでいた公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は、取材に対し「政府は堂々とシンポジウムで議論を戦わせるべきだった。原子力行政に対する不信感がさらに高まってしまう」と懸念を示した。

 一方、民主党の安住淳国対委員長は会見で「政官業の癒着と野党時代に言っていたが、まさにその証明だ」と指摘。「厳しく処断しないといけない。そんな保安院なら解体しろと言いたい」と語気を強めた。政府高官も「本当にあほだ」と吐き捨てるように語った。

 「脱原発」を党是とする社民党の福島瑞穂党首は会見で「保安院は規制する立場であるにもかかわらず、実は推進官庁だった。存在そのものが問題で、(経産省から)分離すべきだ」と強調。共産党の市田忠義書記局長も取材に「規制機関がやらせまで依頼して、推進していたことには怒り心頭だ。国会に責任者を招致して真相を明らかにすべきだ」と、国会で徹底追及する考えを示した。

 みんなの党の渡辺喜美代表は「原発を維持存続させるため、非合法とも言える『上から目線』の統制が行われてきた典型例だ」と指弾した。

時事ドットコム 2011/07/29-19:35 (引用)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011072901000&rel=y&g=soc

政府が復興基本方針を決定…財源確保は骨抜き

 政府は29日夜、「東日本大震災復興対策本部」(本部長・菅首相)を首相官邸で開き、復興基本方針を決定した。今後5年間の「集中復興期間」に国と地方合わせて、少なくとも19兆円の事業規模で実施することを明示した。

 焦点の財源確保策については、今年度補正予算で計上済みの額を除く13兆円について、歳出削減や「時限的な税制措置」などで確保するとしたが、民主党内の反発を受け臨時増税の規模の明示などは見送り、事実上骨抜きの内容となった。

 財源確保に向けた方向性があいまいになったことで、8月以降に政府税制調査会で本格化する増税の議論は難航が予想される。

 政府は基本方針について、復興の財源確保のため発行する「復興債」の償還財源として、所得税や法人税、消費税の基幹税を中心に10兆円程度の臨時増税を行う考えを明示することを民主党側に示していた。

 しかし、民主党が29日開いた会合では、増税より国有財産の売却や特別会計の見直しなどを優先すべきだとの意見が噴出。「税制措置は基幹税などを多角的に検討する」との表現は盛り込んだものの、増税という表現を削除した。

読売新聞 2011年7月30日01時44分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110729-OYT1T00925.htm

首相、保安院やらせ指示「存在問われる。厳正に対処」

 菅直人首相は29日夜、首相官邸で記者会見し、経済産業省原子力安全・保安院のやらせ指示について「事実だとすれば極めてゆゆしき問題。徹底的な事実関係の究明と厳正な対処が必要だ」と述べた。「原発に依存しない社会をめざし、計画的・段階的に依存度を下げていく」とも訴えた。

 首相はやらせ指示について「原子力安全を担当する部署がそれと矛盾、対立するようなことをやっていたとすれば、まさに保安院そのものの存在が問われる」と指摘。経産省からの保安院分離など原子力行政の組織再編を改めて主張した。

 首相はまた、「エネルギー・環境会議」(議長・玄葉光一郎国家戦略相)が29日に公表した「減原発」を柱とする中間整理について「この時点における集大成が関係閣僚のもとで議論され、決定された」と説明。将来の「脱原発」を表明した首相の姿勢とは異なると質問され、「矛盾は全くなく、私の考え方を踏まえて方向性をまとめていただいた」と反論した。

 中間整理はエネルギー基本計画の抜本見直しを掲げ、今後3年を短期、2020年までを中期、50年までを長期として工程表を作る方針を明記。電力会社の地域独占体制の見直しや送電部門を切り離す「発送電分離」の検討を掲げる一方、「安全が確認された原発の再起動を進める」とも記した。

asahi.com 2011年7月29日23時46分 (引用)
http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201107290628.html

保安院やらせ指示、四国電も 原子力関連シンポ

 中部電力と四国電力は29日、原子力関連の国主催シンポジウムで、経済産業省原子力安全・保安院から、推進側の参加者動員や発言を指示されていたことを明らかにした。九州電力に端を発した原発のやらせ問題は、原発を規制する立場の保安院まで関与していたことが発覚。原子力を取り巻く不透明な癒着の構図が浮き彫りになってきた。

 経産省は九電の「やらせメール」の問題を受け、過去5年、計35回の国主催の原子力関連シンポジウムについて、電力7社に調査を指示。29日に各社が報告した。海江田万里経産相は、記者会見で「極めて深刻な事態。徹底解明したい」と述べ、第三者委員会による調査を指示した。8月末までに結果を出す方針だ。

 保安院がやらせを指示したのは、2006年6月に四電伊方原発のある愛媛県伊方町、07年8月に中部電浜岡原発のある静岡県御前崎市であったシンポジウム。使用済み核燃料をリサイクルして使う「プルサーマル発電」の是非をめぐる重要な説明会だった。

 四電によると、保安院から「多くの参加者を募り、質問や意見が多く出るように」と要請され、四電や関連会社の社員ら計364人に参加を依頼。地元住民ら29人には、例文を示しながら発言を頼んだ。

 四電は来場者の半数程度の約300人を動員。住民らが「プルサーマルを導入してもガスの発生などウランと変わらないと聞いてちょっと安心した」など、例文に沿って発言をした。

 四電は「誤解を招く行為で申し訳ない。質問の内容は強制しておらず、やらせ行為にはあたらないと思う」(広報担当)と話す。

 中部電は、保安院の指示で社員や下請け業者、町内会長などにも参加を求めた。住民向けに「自然エネルギーは原発に比べてコストが高いのでは」といった質問例もつくったが、最終的には住民に頼まなかった。社内の議論で「法令順守の面で問題」と判断した。シンポでの発言は、すべて原発やプルサーマルに慎重な意見だったという。

 中部電の水野明久社長は、記者会見で「深く反省している。今後は公正さに疑いが持たれることがないよう責任を持って指導していく」と強調した。

 九州電力は、報告には盛り込んでいないが、資源エネルギー庁職員から「なるべく空席がない方がいいよね」と依頼され、シンポの動員をかけた。10年5月に鹿児島県であった原発増設の公開ヒアリングでは、陳述人20人のうち15人が同社の要請で意見を述べていた。

asahi.com 2011年7月29日22時54分 (引用)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107290669.html

2011年7月29日金曜日

全原発停止なら失業者20万人増…エネ研試算

 日本エネルギー経済研究所は28日、国内の原子力発電所54基すべてが2012年春に停止した場合に、12年度の実質国内総生産(GDP)を最大で3・6%(20・2兆円)押し下げるとの試算を発表した。

 電力不足が国内産業の空洞化を加速させることで失業者数も19万7000人増加するという。

 同研究所によると、火力発電所をフル稼働させても、12年夏には最大電力需要に対し7・8%の供給力不足が生じる。企業は節電を迫られることで生産活動が低迷し、生産拠点の海外移転も避けられない。電力需要のピークを迎える12年7~9月期は、電力不足がない場合に比べて実質GDPは5・6%(7・7兆円)減となり、失業者も4万9000人増える。

読売新聞 2011年7月29日07時21分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110728-OYT1T01207.htm

日本エネルギー研究所
http://eneken.ieej.or.jp/


この試算方法はとても乱暴なものなのにそれをもっともらしく報道するのはどうかと思う。
代替エネルギーによる発電が行われるのならば、新しい雇用機会が設けられるのだし、数字に根拠がない。
このまま原発を推進したとして、どこかの原発がもう一つ重大な事故を起こしたら、それこそ日本はどうしようもない事となってしまう。
いい加減に原発以外の方向に進みたいものだ。

2011年7月28日木曜日

東電代理人に第三者委員=福島原発差し止め訴訟など-事故検証委の上部機関

福島第1原発事故を受け、東京電力が設置した「事故調査検証委員会」(委員長・矢川元基東大名誉教授)の上部の第三者機関で委員を務める元裁判官の弁護士(53)が、運転差し止め訴訟など同原発をめぐる複数の裁判で、東電側の代理人となっていることが22日、分かった。東電による事故調査の中立性が問われそうだ。

 弁護士が委員となっているのは、2002年に発覚した福島第1、第2原発や柏崎刈羽原発でのトラブル隠し問題の再発防止策として、原発の安全管理などを審議するため同年に設置された「原子力安全・品質保証会議」(議長・同)。
メンバーは大学教授ら外部有識者6人で、弁護士は当初から委員を務めている。

 東電の事故調査検証委は今年6月、原子力安全会議の下に設置された。
検証委の委員7人のうち4人は安全会議の委員が兼ねるが、弁護士は兼務せず、同じ事務所の別の弁護士が就任した。

 安全会議委員の弁護士は、北海道の男性が福島第1、第2原発の運転差し止めを求めた訴訟や、東京都の男性が福島第1原発事故で感じた不安に対する慰謝料を請求した訴訟など、事故の前後に起こされた複数の裁判で、東電側の代理人となっている。

 慰謝料請求訴訟で東電側は、「想像をはるかに超えた地震と津波に対応できるような対策を講じる義務があったとは言えない」と主張している。

 弁護士は取材に対し、「複数の訴訟で東電の代理人をしているのは事実。誤解を受けないよう事故調査検証委から外れており、問題があるとは思わない」と話している。

 東京電力の話 会議の委員と原発事故に関する訴訟の代理人とは役割が矛盾するものでなく、不適任とは考えていない。

時事ドットコム 2011/07/22 20:17 (引用)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011072200868

2011年7月26日火曜日

今夏の電力供給:揚水発電、2割過小評価…東電など7社

経済産業省がまとめた今夏の電力需給見通しで、電力7社が水力発電の一種である揚水発電による電力供給力を、発電能力を示す設備容量より約2割(535万キロワット)少なく見積もっていたことが25日分かった。原発停止による電力不足で需給見通しに注目が集まる中、専門家からは「供給力を低く見積もる根拠を示すべきだ」との指摘も出ている。

 揚水発電は、水力発電所の下流と上流に貯水池を造り、夜間に余っている電力を使って下流から上流に水をくみ上げ、日中の電力需要のピーク時間帯に放水する仕組み。

 電力需給見通しは9電力会社の報告を基に経産省がまとめた。9社が公表した設備容量は計2621万キロワットだが、需給見通しは今年8月の供給力を2割少ない2086万キロワットと設定。最も差がある東京電力は設備容量1050万キロワットに対し、供給力は約3割少ない700万キロワットにとどまる。関西電力も設備容量506万キロワットに対し、供給力は449万キロワットと1割程度少ない。

 東電は毎日新聞の取材に「夜間のくみ上げ量に限界があるため」と説明している。本来は主に原発の夜間の余剰電力を使って水をくみ上げるが、福島第1、第2原発の停止で余剰電力が減少しているため、揚水発電も設備容量通り使えないという。

 ただ、専門家によると、揚水発電は、一般の水力発電に比べ雨量に左右されないため、設備容量通りの供給力を発揮しやすい。さらに、原発が停止しても、夜間の余剰電力は、原発以外の発電で代替できる。経産省の需給見通しで九州電力と北陸電力は供給力と設備容量が一致している。【大迫麻記子】

毎日新聞 2011年7月26日 2時30分(引用)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110726k0000m020171000c.html

スマートフォン キャリアによっては年間最大12万円の差つく

 相も変わらず不況が続くいまだからこそ、節約をしたい。そのなかでも、流行のスマートフォンは年間最大12万円の差も出るというので、料金の実態をおさえておきたいもの。
 
 いま携帯ショップや家電量販店で売れている携帯電話の半数がスマートフォンだという。自分や家族がスマートフォンへの機種変更を考えているとき、とくに注意したいのは、通話時間。

 例えば、仕事などで月800分以上通話する「ビジネス型」の人の場合、月額利用料はドコモ1万4130円、ソフトバンク2万2700円、au1万2810円。最高値のソフトバンクと最安値のauでは月1万円以上、年間約12万円違ってくる。
 
 だが、月25分通話の場合、ドコモは7280円、auは6740円、ソフトバンクは6705円となり、この場合はソフトバンクがもっとも安い。また、通話料ナシの場合は、ドコモが7080円、auが6540円、ソフトバンクが5705円となる。
 
 家の電話を中心に利用する「主婦型」や、またはスマートフォンは2台目と考えて通信サービスだけ利用し、通話はいまある1台目の携帯でするという「2台目型」で価格は異なるのでそのへんをキチンとチェックしておこう。

Newsポストセブン 2011.01.07 17:00 (引用)
http://www.news-postseven.com/archives/20110107_9934.html

連続天下り 1594ポストに

総務省が中央省庁からの再就職、いわゆる「天下り」の状況を調べたところ、同じ省庁の出身者が3代以上連続で天下りしている公益法人や独立行政法人などの役員ポストは、去年4月1日現在で1285法人の1594ポストに上ることが分かりました。

総務省は、公益法人・独立行政法人・特殊法人などを対象に、去年4月1日現在で、中央省庁からの再就職、いわゆる「天下り」の状況を調査しました。
その結果、同じ省庁の出身者が3代以上連続で天下りしている役員ポストは、公益法人が1225法人の1514ポスト、独立行政法人が25法人の28ポストなど、合わせて1285法人の1594ポストに上ることが分かりました。
出身の省庁で最も多かったのは、▽国土交通省で375法人の476ポスト、次いで▽経済産業省が243法人の309ポスト、▽厚生労働省が213法人の254ポストなどとなっています。
一方、中央省庁の管理職以上の出身者を対象に天下りの状況を調べたところ、平成19年から平成21年までは年間1200件前後で推移しましたが、政権交代後の平成22年は521件と半分以下に減りました。
総務省は「おととしの政権交代以降、政府が天下りのあっせんを全面的に禁止したことなどで再就職の件数は減ったが、調査結果を踏まえて各省庁はより適切な人事管理に努めてほしい」と話しています。

NHK News Web 7月25日 5時17分 (引用)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110725/t10014422201000.html

自民個人献金、72%が電力業界 09年、役員の90%超

自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72・5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。
当時の役員の92・2%が献金していた実態も判明した。
電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。
福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。

47News 2011/07/23 02:02 (引用)
http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011072201000982.html

2011年7月24日日曜日

アジア初「化学的去勢」施行へ、児童性犯罪者を対象=韓国

韓国法務省は22日、16歳未満の未成年に性的暴行を加えた犯罪者のうち再犯の恐れがある犯罪者に対し、薬物治療いわゆる「化学的去勢」を24日から施行すると発表した。化学的去勢は米国の一部の州やデンマークが実施しているが、アジア地域では韓国が初めてとなる。複数の韓国メディアが伝えた。

 同省によると、薬物治療の対象となるのは、児童性犯罪者の中でも異常な性的衝動や欲求で自身をコントロールできない19歳以上の性的倒錯者。韓国国会は、2010年7月に「性犯罪者の性衝動薬物治療関連法」を制定しており、1年後の24日に実施となる。

 薬物治療命令は、精神科の専門医による診断に基づき裁判所に請求される。請求が認められると、裁判所が15年の範囲で期間を定め治療命令を下す。罰金刑や執行猶予は、該当しない。治療では「ルクリン」など前立腺がん治療に使用されている薬が使われる。

 同省関係者は「児童を保護するためには避けられない措置」と話し、「児童や青少年が性犯罪の危険から脱し、明るく健康的に発育する社会環境作りの助けになる」を期待感を示した。

 一方、韓国では化学的去勢をめぐり人権侵害論争が起きており、現在も一部の学会や市民団体が社会的合意に至っていないとして反対している。(編集担当:新川悠)

サーチナ 7月23日(土)16時40分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110723-00000022-scn-kr


欧米では既に行われている犯罪者に対する去勢処理。
人権侵害論争が起こっているが、被害者よりも加害者の人権が重要視されるのは世の中の思考感覚が歪んでいるからだ。
日本では、16歳未満の未成年に対する性犯罪だけではなく、すべての性犯罪者を対象とした同種の法律を是非施行して欲しい。


敦賀2号、また放射性ガス漏れ 通常値の1・3倍

 日本原電は21日、核燃料からの放射性物質漏れで原子炉を停止している福井県の敦賀原発2号機(加圧水型軽水炉、出力116万キロワット)の排気筒から、8億1千万ベクレルの放射性ガスが外部に漏れたと発表した。保安規定に基づく年間の制限値(1700テラベクレル)の約200万分の1で、周辺環境への影響はないとしている。

 21日午前10時15分ごろ、原子炉補助建屋で1次冷却水内の水素を取り除く装置の配管を取り外すため、継ぎ手のボルトを緩めたところ、一時的に設置した可搬式モニターの数値が上昇した。5分後には排気筒ガスモニターの指示値が通常の約1・3倍の数値を示した。

 放射性ガスは約40分間にわたって漏れたが、敷地内にある監視用のモニタリングポストに変化はなかった。ボルトはすぐに締め直して同11時ごろに通常値に戻った。

 原電社員ら6人が作業していたが、被ばくはないとしている。原電は原因調査の作業手順書を作成しており「手順書や手順に誤りがなかったか調べる」としている。

 敦賀2号機は今月2日に1次冷却水の放射能濃度が高まり、7日に運転を停止して調査していた。8日には約7時間にわたって41億ベクレルの放射性ガスが外に漏れた。

福井新聞 1年5月22日午前7時10分 (引用)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/28221.html

2011年7月23日土曜日

菅直人 終了まであと3日?

NHKにもユニークな人がいる様だ。このテロップには思わず苦笑。
ソース 知人からのメール 2011/07/21

2011年7月22日金曜日

福島第1原発:東電がベント不調を報告 会見では認めず

 東京電力福島第1原発1号機で格納容器の圧力を下げるベント(排気)が失敗した可能性が高い問題で、東電が5月に経済産業省原子力安全・保安院に提出した解析結果の中で「格納容器ベント弁閉止」と記述していることが分かった。自ら失敗した可能性があることを事実上認めているにもかかわらず、その後も東電側は「(弁は当時)開いたままになっていると思われる」などと会見で説明しており、改めて説明責任が問われそうだ。【町田徳丈、杉本修作、池田知広】

 解析結果は東電が5月23日に原子力安全・保安院に提出し、翌24日に公表した。計247ページからなり、地震直後からの計器のデータや作業記録に基づき、炉心の状況を推定した。1~6号機ごとに解析概要と、根拠となる資料が添付されている。

 「格納容器ベント弁閉止」の記述は1~3号機の解析をより詳細にまとめた別紙資料の中の一覧表にあった。3月12日午後2時半、推定できる事象として「格納容器圧力低下を確認」と記述し、その根拠を示す欄で「ベント成功は、圧力の低下が確認された午後2時半と仮定」と説明。午後2時49分に推定できる事象として「格納容器ベント弁閉止」と記述し、根拠を示す欄で「格納容器圧力の上昇から解析上当該事項を仮定」と説明していた。

 東電によると、午後3時36分の水素爆発の影響で格納容器圧力のデータを計測できなかったが、翌13日に復旧した計器データを分析すると再び圧力が上昇していた。上昇に転じた時間を調べたところ、12日午後2時49分にベント弁が閉じた可能性が高いとの解析結果が得られたという。

 一方、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は、この問題を毎日新聞が報じた6月24日の会見で、当時の1号機の状態について「(ベントを行い圧力が低下した後で)圧力は横ばいで推移している。いったん弁が閉まると当然圧力は上がってくるので、ある程度ベントの経路(弁)は通じているのでは」と述べ、弁が開いたままの状態だったとの認識を示した。

 会見では「排気筒から白い湯気のようなものが確認された」とも説明したが、解析結果をはじめとする過去の報告書には一切記載されていない。

 東電広報はベント弁が閉じた可能性が高いことを認めながら「(圧力の再上昇前に)一定の圧力低下がみられたのでベントは成功したと考えている」と説明。ただし「白い湯気」については「聞いていない。(ベントの)成否の根拠はあくまで圧力低下」としている。

毎日新聞 2011年7月22日 2時30分 (引用)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110722k0000m040158000c.html

【写真で見る】津波に襲われる福島第1原発

2011年7月21日木曜日

東電OL事件、再審の可能性…別人DNA検出

 東京都渋谷区で1997年に起きた東京電力女性社員殺害事件で、強盗殺人罪により無期懲役が確定したネパール国籍の元飲食店員ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(44)が裁判のやり直しを求めた再審請求審で、東京高検が、被害者の体から採取された精液などのDNA鑑定を行った結果、精液は同受刑者以外の男性のもので、そのDNA型が殺害現場に残された体毛と一致したことがわかった。「(マイナリ受刑者以外の)第三者が被害者と現場の部屋に入ったとは考えがたい」とした確定判決に誤りがあった可能性を示す新たな事実で、再審開始の公算が出てきた。

この事件でマイナリ受刑者は捜査段階から一貫して犯行を否認。同受刑者が犯人であることを直接示す証拠はなく、検察側は状況証拠を積み上げて起訴した。

2000年4月の1審・東京地裁判決は「被害者が第三者と現場にいた可能性も否定できない」として無罪としたが、同年12月の2審・東京高裁判決は逆転有罪とし、最高裁で03年11月に確定した。

マイナリ受刑者は05年3月、東京高裁に再審を請求した。

同高裁は今年1月、弁護側からの要請を受け、現場から採取された物証についてDNA鑑定の実施を検討するよう検察側に求めた。これを受け、東京高検が精液などのDNA鑑定を専門家に依頼していた。

読売新聞 2011年7月21日03時01分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110721-OYT1T00090.htm

「原発推進用」世論対策マニュアル

2011年7月20日水曜日

産地偽装ジャガイモ

千葉県産のじゃがいもに長崎県産のシールを貼って発売されていたらしい。






















@ASCENSION_2012_
http://lockerz.com/s/121826140

福島 家畜農家の苦悩

ショッキングな映像だが、現実はもっと厳しい。
悲痛な叫びが皆に届くことを願い、敢えて転載する。

肥育、酪農、落胆しています。
福島県の家畜農家は全滅だと悲観しています。






















Hayakawabonbon
http://p.twipple.jp/user/Hayakawabonbon
撮影は2011年7月

農家の婿のブログ セシウム牛 

ええと、知り合いの会社に拾ってもらいました
実は、婿は元々事務屋さん
今は会社で事務全般をやってます。
行政書士を持ってるのに行政関連が一番弱点だったり
婿です

とうとう出てきてしまいました
セシウム牛
目先の利益を追うお上の汗と涙の結晶です
全く、これっぽっちも、一ミリたりとも価値の無い汗です
只今、行政農協一丸となって、信頼と信用を燃料に最悪へと突き進んでいます
この際だからはっきり言わせてもらいましょう

極めて純度の高い馬鹿ですね

わかりきっていたことです
野菜にしたって
検査体制と検体数を考えれば
どれだけ危ないものがスーパーに並んでいるか想像するのは簡単です

4か所の土壌調査でいわき市全面作付制限解除がなされたのと同じような感じで
ただ現物が目の前にある野菜が市場に流されていく
検査の結果、放射性物質は基準値以下です!

確かに大丈夫なものも多くあるんでしょう
でもそれに対しては一言言わなければ気が済まない
それがどうした?
目先の利益のために何を捨てているか、本当に理解しているのか
なんで農家の僕がこんなことを言わなくちゃならない
本当に意味がわからない

お上は農家に対してこう言うんだ
「きちんと検査するから、ダメだったら流通させないし、その分に関しては補償するから」
だから安心して作ってください     と
結果はどうだ
同じ牧場から検査以前に出荷した牛が流通して既に消費されている

なぜ彼が同業者に頭を下げなきゃいけない
なぜ彼の奥さんが報道陣に謝罪を繰り返さなければならない
自粛の道を現実的に閉ざして、背中を押して
ケツ拭き紙だけを、よく平気な顔で渡せるもんだ
有難過ぎて涙が出る
こんなのはそこらじゅうに転がってますよ

外に置いてあった藁を食べさせただけでこんな数値が出るのなら
同じようなことをしている農場が無いはずが無いです
そもそも牛がどれだけ餌箱を舐めるか、敷料のおがくずやワラにどれだけ鼻をつけるか
放牧方式を取り入れていたとしたら?
備え付けの水槽は?

補償が考えられない以上、現実的には出荷するしかない人がいて、
ダメだった場合には絶対流通なんかさせたくなくて
だから検査をしてくれるというからそれを信じて
なのに検査がなされていない
結果流通させてしまう

彼の「申し訳ない」という言葉は、きっと心からのものだと思います
だからこそ噛みつかずにはいられない
なぜそれを一農家に言わせるんだ
どう説明してもどう理解を求めても
これが続けば消費者の怒りの矛先はどうしても農家に向く

これはしょうがない
逆の立場だったら僕だってきっとそうだ
その結果、将来的に福島県にもたらされるものが何なのか
きっと小学生ですら答えにたどり着く

もし本当に行政と農協にそれがわからないなら
彼らは単なる馬鹿だ

もしそれを理解していながら行政と農協が動かないのなら
彼らは単なる犯罪者だ

有事の際に役に立たない行政なら必要無い
農家が一番大変な時に動かない農協なら存在価値が無い

地方自治体は市民のために存在するし
農協は農家のための組合組織だ

どこをどう間違っても東電と、補償額低減のために存在するわけじゃない

農家の婿のブログ
http://ameblo.jp/noukanomuko/entry-10950865799.html

日本で新種淋病発見 抗生物質効かず

 【ストックホルム=有賀信彦】性感染症の最も一般的な病気である淋病(りんびょう)に、どんな抗生物質も効かない耐性を持った新種が日本で見つかったと、スウェーデンなどの研究チームが発表した。各国の医療関係者は「適切な治療法がない」と指摘し、急速に拡大する危険性があると懸念している。
 スウェーデン病原性ナイセリア研究所のウネモ研究員が十三日までカナダで開かれた国際性感染症研究会議で報告した。

 それによると、新種の淋病は京都の風俗店で働く一人の女性から発見された。同研究所員らによって「H041」と名付けられた淋菌の変異株にはペニシリンやその他の抗生物質も効かないという。

 淋病に感染すると、排尿時に痛みやうみが出たりする。不妊の原因になることもあり、治療しなければ、男女ともに命に関わる場合もある。

 医療関係者は「歴史的に新種の淋菌は日本を含む東アジアで発見されることが多く、その後、世界中に広まっていくケースが多い」と指摘。ウネモ研究員は「憂慮すべき発見だ」と話している。

東京新聞 2011年7月20日 朝刊 (引用)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011072002000034.html

2011年7月19日火曜日

「医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間~」

被爆体験聞き書き行動第1回実行委員会

とき  2000年09月09日
ところ コーププラザ浦和
日本被団協中央相談所理事長 肥田舜太郎先生

1.はじめに

 こんにちは。肥田舜太郎という医師です。今日、初めてお目にかかる方もきっといることと思いますが、ご紹介いただいたように55年前、28才で陸軍病院の軍医をしていて原爆に遭い、戦後も引き続いて主に原爆被爆者の診療や相談をしてきた数少ない医者の一人です。いろいろ困難を抱える被爆者の相談に応じて、何とか被爆者の役に立つように、今日まで過ごしてきました。 私が何故、こういう医師の道を歩いたのか、何がそうさせたのか、振り返ってみますと、被爆者の、説明の仕様のない死に様に次々とぶつかってきた。今でもまだぶつかっているわけですが、その度に深く考えさせられ、現在の医学、医療では解明できない、治療法もわからない原爆病と縁の切れない医者が出来たのだと思います。

 今日は、被爆後から10年くらいの、最初の頃の話をしてほしいということで、ご依頼を受けた時から、何を話せばよいのか随分考えたのですが、私が、特に死んでいった被爆者にぶつかって、その度毎に自分が感じたことを振り返りながら、被爆とか、原爆とか、核兵器廃絶という問題を私がどう考えるようになったかということなども含めて、お話したいと思います。

 妙な話をしますが、私は32才の時、初めて生命保険に加入するよう勧誘されました。人の命を種に金儲けをする生命保険という会社が私は大嫌いだったので入らなかったのですが、勧誘した人が、その時に加入すれば私が83才の時には満期で幾ら幾らもらえるとか話したのが頭に残っていて、その時から自分の命は満83才までという考えが、なんとなく頭にこびりついてきました。

 今年がちょうど満で83才なので、どうも終りが近いらしいと感じたのかも知れません。勿論、それだけが理由ではありませんが、思いきって自分史というものを書き始めました。被爆の前、被爆した時のことは前にまとめたことがあるので、今度は、戦後、被爆をしてからのことを書いています。そうしたら、人には言えないような恥かしいことや、いろいろな難しいことも含めて、戦後四十年ぐらいまで書いてきて、自分をこうした人生の道に誘った節目には、何人かの被爆者の印象に残る死が関わっていることに気がつきました。

 そういう意味で、ちょうどいいタイミングで今日のお話の依頼を受けましたので、そういう切り口でお話をはじめたいとおもいます。


2.爆風と熱線による死

 私が一番、最初に被爆者の死にぶつかったのは1945年8月6日、原爆投下の1-2時間後でした。私はその日の早朝、たまたま6キロ離れた戸坂という村の農家に往診に出ていて被爆しました。藁葺屋根の農家は潰れましたが、火傷も怪我もせず、壊れた農家から這い出て、きのこ雲の立ち上る広島市内へ引き返しました。太田川の川沿いの道を、市内までちょうど半分のあたりで、市内から逃れてきた最初のその人に会ったのです。

 遠くから見た時は、 人間だと思いませんせした。近くで見ても人間には見えませんでした。真っ黒に焦げたドロドロの肉の塊で、腫れあがった大きな目と、口が顔の下半分の恐ろしい形相。それが私に手をのばして、目の前でばったり倒れました、あっ、人間だったと思って、近寄って「しっかりしてください」と言ったのは覚えていますが、あとは声もでなかった。脈をとろうとしましたが、手首には皮膚がない。この人、ぼろを着ていると思っていたら素っ裸で、剥がれた皮膚がぼろのように垂れ下がっているのです。おろおろしているうちに、ぴくぴくっと痙攣して、うごかなくなりました。それが私の見た最初の被爆者の死でした。

 猿喉川(広島市内を流れる太田川の七本の支流の一つ)の工兵橋、ここから先が市内というところまで行って、河原といわず、道路といわず、焼け爛れて、倒れている者、座っている者、死んでいる者、川を流れて行く者、どこを見てもまともな人間の姿は在りません。最初に感じたのは恐ろしいとか気の毒だとかということではない。感じたのは、無力感です。医者として自分にはすることがない。医者だから何かしなくてはならない。薬はありませんでしたが聴診器を当てるぐらいのことは出来たわけです。だけど何をしていいか分からないわけですよ。そんなことで間に合うような人は一人もいないわけですから。正直に言うと、どんどん死んでいく大群の中でぼんやりしていました。川へ飛びこんでは流されていく、その川の中に突っ立ったまんま、何にもしないでその様子をボーッとただ見ていました。軍医だから病院へ帰る任務がある。けれど火で市内には入れない。うろうろ迷って立っていました。

 そのうちに自分を説得して、こんなところにいてもしょうがない。この人たちはみんな村へ逃げるから、村に戻れば何か出来るに違いないと思って、手を合わせて詫びるように拝んで、戸坂村へ引き返しました。

 村の中はもう被災者でいっぱいでした。戸坂村でも大部分の家は爆風で壊れていますから入るところがない。乾いた道路とか農家の軒先の空き地、学校の校庭や役場の広場、乾いた土のあるところに被災者が転がって寝ています。後から来た被災者は、寝ている被災者、死んでいる人の上を乗り越えて奥へ行こうとしています。何といいますか、地獄としか言いようがありませんでした。

 次から次へ負傷者が村へ入ってくる。後で調べたら3万人入ったそうです、人口が約1800人という小さな村ですから入るところがありません。みんな乾いて地べたへ転がっていたわけです。

 一番、最初にやったことは治療ではなくて、食事を与える準備でした。私は軍医学校で戦地での軍医の仕事を習った時、「一度に大量の患者を収容したときは治療よりも先ず食事のことを考えろ」と教えられました。村長以下、村の幹部に命じて、村に疎開させてあった陸軍の米を出させ、むすびを沢山作らせました。ところがこれが失敗だった。顔が焼けただれて、むすびを食べられるようなのは一人もいない。それで慌てて、むすびを鍋に戻してグツグツ煮てお粥にしました。

 村民はその日、早朝から中学生以上が男女とも広島へ招集されていて、老人と小学生だけが村に残っていました。それで小学生を集めて、上級生の男の子二人にお粥を入れたバケツを持たせ、女の子にしゃもじを持たせて寝ている者の口にお粥を流しこむことから初めました。

 夕方頃、軍医が3人来て、私と一緒に応急手当をはじめました。今から思えばとても手当なんて言えるものじゃありません。乱暴そのものです。ガラスが方々へ刺さっている。三角に割れたガラスが、尖った方を先にして皮膚の下をクルッと回って刺さっています、それを狭い入り口から抜き取るのは大変な仕事です。切れた傷口は縫わねばなりません。道具がなく、一時は縫い針を火で焼いて、ヨ-ドチンキにひたした絹糸を通し、ヤットコ で挟んで縫合しました。

 どんどん死んでゆきます。一目見て、火傷がひどく、大怪我をしている者で死の近いものは一目で分かりますから、助かりそうもない人は避けて通る。今から思うと、医者として一番間違ったことでした。複数の患者に出遭ったら重傷者から治療するのが医師の倫理です。それを重傷者は目を逸らせて軽そうな人を選んで歩きました。

 そんな中で一人、目を逸らせ損なった兵隊がいました。私を必死に見つめるその人と目を合わせてしまい、思わずその人の傍らに膝をつきました。地べたにじかに倒れていました。ボロボロに破れた軍服のズボン、上は裸です。焼け爛れて呼吸も苦しそうでした。何もしようがない。顔を見ると左の頬だけが白く焼け残っていました。何となくそこへ私の手をもっていって、そっと触れたんです。そうしたら、カーッと目を光らせて見ていたのが、目の光がスーッと柔らかくなって。優しい人間の目になったんです。そしてカクンと頭が落ちて息が絶えました。私が手を触れたのが慰めになったのか、とにかく人間らしく死んだ、私にはそう思えた。今でもその時の夢を見ます。人間でなく、捨てられた物のように、無数の被爆者は死んでゆきました。


3.急性放射能症による死

 私たちが目を逸らせた重傷者は2―3日のうちに大半が死に、あとは、治療すれば助かると思えた負傷者で、これからは医者の働きどころと、多いに張り切った矢先に、生き残った負傷者の中から、不思議な症状の急病が出はじめました。

 熱が出とからと呼ばれて行って見ると、ポッポと汗を出している。四国の部隊から応援に来た軍医が体温計を持っていたので、それを借りて測ってみると5分計で1分も経たないうちに39度にあがりました。発熱なので口の中を見ると扁桃腺やその回りが真っ黒に壊疽をおこしている。普通、風邪などでは扁桃腺は真っ赤に炎症を起こすのが、真っ黒に腐りはじめている。身体の組織が生きながら腐って死んで行く病気です。傍にいたたまれないほど臭い匂いが特徴です。そのうちに、瞼の裏や鼻や口から血が出はじめた。何の血だろうと考えているうちにワーッと血を吐かれた。びっくりして、よく見ると火傷していない白い肌に紫色の斑点が出ている。死んでいった被爆者と同じです。そのうち苦しがった患者が頭に手をやったら、触れたところの髪の毛が取れてしまった。高熱、口中の壊疽、出血、紫斑、脱毛という、教科書にもない症状です。医者の誰一人も経験したことのない症状がでて、早い者は数時間、遅い者でも数日のうちに死んでしまいました。

 この爆弾は火傷と大怪我で人が死ぬだけでなく、ピカに当たった人はこういう病気のこういう死に方をするんだということを、医者だけでなく、被爆者もみんな3~4日の間に経験したわけです。「血がでて、毛が抜けたら駄目」。みんながそう思いました。これが後に分かった急性放射能症です。普通、内臓の病気は心臓とか腎臓とか肺臓とか、一つの臓器が病気になるのですが。ピカの強烈な放射線で多くの臓器が同時にやられてしまう。多臓器の同時発病という今までに医者が経験のしたことがない発病の仕方でした。しかし、そんなことも 10年も20年も経って分かったことで、当時は全く原因が分からなかった。こう言う死に方が被爆の年の暮れまでずっと続きました。


4.残留放射能による死(低線量放射線障害)

 ところが、当日は広島にいないで、直接、原爆に遭っていない人の中から、被爆者と同じ症状の病気になり、死ぬ者も現れて、私たち医師を動転させました。

 被爆の翌日から広島市内には肉親や知人の安否を尋ねる人たちが、ぞろぞろ焼け跡を歩きはじめました。瓦礫の原を、骨や生焼けの肩や半分崩れた頭蓋骨の上を踏んで歩きます。そのうちに、「負傷者はもし生きていたら、近在の村々に収容されている」ということが分かり、私のいた戸坂村にもこういう外来者が毎日、多数訪ねてきました。

 この頃には九州や四国の軍隊から多数の軍医や看護婦が薬や器材を持って応援に来てくれ、戸坂村にも医師の数は私をいれて29人になり、看護婦も100人近くになりました。しかし、総計で3万を越えたといわれる在村患者には、間に合うどころか手も足も出ない有様だした。この頃には小学校の校庭や役場の広場や大きな農家の前庭などの空き地に筵を敷き詰め、その上に日除けのよしずを張って直射日光を防ぎ、それが病床で、負傷者を寝かせていました。

 そんな中を尋ねてきた人が大きな声で「何々さーん」と大きな声で名を呼んで歩く。顔が焼けていて見分けがつかない者が多いので、名前を呼んで探すのです。稀に巡り会える者もいるし、「○○さんは、○○で見た」と消息の分る例もありましたが、無駄足を踏んで次の村に移って行く人が多かったようです。

 被爆をしていないのに、被爆者と同じ症状を出した症例に出会ったのは、2週間かそれ以上たったある日の午後でした。

 私の担当していた病室(村の中のある一画を自分の病室と決められていました)、部屋ではなくて、村の中の一画(道路や橋や樹木を目印に分けた)を担当病室として、毎日、看護婦を連れて回診するのです。その中に屋根の一部が壊れた土蔵があって、涼しいので重症患を入れていました。そこを一日二回、朝と昼、最初に回診していました。

 その日、朝は何もなかったのですが、午後の回診時に、土蔵の真中にきれいな着物を着た婦人が横たわっていました。着ている衣類で一目見て非被爆者と分ります。隣に寝ていた重症の兵士(3日後に死にました)が「軍医殿、お忙しいでしょうがこの奥さん、診であげて下さい。熱出しているから」といいます。昔の人は親切でしたね。本人は仰向けになって寝ているだけで何にも言いません。気分が悪かったんでしょう、きっと。

 私は殆ど不眠不休で、ろくに寝てもいません。忙しいのに風邪ぐらいでと内心思いましたが、傍によって口を開けて喉を見、胸を開けて聴診器を当て、「風邪だろうからこれを飲んで寝てなさい。二、三日でよくなる」と、解熱剤を一包渡して帰りました。その夫人は3日間、寝ていました。大したこと無いと思っていたので、その間、何も尋ねませんせした。4日目の朝、まだ寝ているので。気になって傍へ寄ってみたら、胸の合わせ目の白い肌に紫色の斑点が出ている。これはと思って、「奥さんはどうしたんですか」と聞きました。本人の言うには「一年前、松江で県庁職員の主人と結婚。直ぐに広島県庁に転勤になり、宇品に間借りしました。一年経ち、臨月になって七月初めに松江の実家に帰り、出産しました。ラジオが『広島に特殊爆弾が落ちて相当な被害が出た模様』と、それだけしか言わない。新聞も同じ文句が書いてあるだけ。心配していたら、広島から松江に逃げてきた人が『広島には誰も生きていない。家は全部焼けた』と言うのを聞き、心配になって出て来た」のだと言う。原爆が落ちて一週間目に広島の焼け跡に入り、宇品から県庁から爆心地の方をぐるぐる回って、一週間目に今度は村を歩き始めた。そして10日目に戸坂村へきて、土蔵の中で旦那と巡り合ったのだというんです。

 旦那の方は、早出して県庁の地下室で書類探しをしている時、いきなり天井が落ちてき下敷きになり、右大腿骨折で骨が外へ突き出る大怪我をした。地下室なのでピカには遭っていない。周りにいた仲間がみんなで担ぎ出してくれ、ぼつぼつ火が出始めた市内から逃げ出して、親戚だったこの家の土蔵で横になっていた。衛生兵が回ってきて、当時は包帯もなかった時なので、骨が突き出た太ももを無理やり引っ張って元に戻し。ぼろ切れを巻いて、竹の棒を当てて荒縄で縛ってくれた。これでも副木治療という応急手当なんです。「そのうちにくっつくから、歩けるようになったら這ってでも帰れ!とういうんで、後は何もしてもらえず、寝ているところへ奥さんが着たという次第です。奥さんは看病したくても本人が一応、元気なので、周りの重傷患者の手伝いをしてくれていました。

 そのうち熱が出始め、風邪だと思っていたら斑点が出てきた。私にも何が起こったのか訳が分りません。そうこうしているうちにだんだん悪くなって出血が始める、吐血する、下血する。髪の毛は抜ける。県庁で原爆に遭っている旦那の方は大隊骨折以外は何ともないのに、松江から爆発後一週間たって元気で出て来た夫人の方がおかしくなっている。旦那が気違いみたいになって。奥さんの看病をしましたが、 だんだん症状が重くなって、とうとう死亡しました。

 似たような症例は一人や二人じゃありません。死亡例は戸坂村では3-4例でしたが、発病者は多数ありました。当時、私たち軍医の間では、出血のあることから腸管伝染病を疑い、夜半、内密に死体解剖を行なって検査しましたが、チフスでも赤痢でもないことが確かめられました。

 今から思うと、後から市内に入ったこの人たちの症状は、体内に摂取した放射性物質からの低線量放射線による体内被爆に起因する慢性放射能症でしたが、それは二十年も経った後に分ったことで、加害者のアメリカは現在でもまだ、体内に摂取された放射性物質からの放射能は微量なので、人体には無害であると主張し続けています。


5.沈黙の中に

 私はその年の11月末、山口県の柳井市の伊保庄村に国立病院を作って、そこに被爆者を集めて治療を行ないました。広島から船で運んだ患者と、山口県各地に帰っていた被爆者が、国立病院ができたというので集まってきました。病院とは名ばかりで、建物は病室で七輪に薪をくべて暖房をとるような古兵舎だし、設備も無い、資材もない、食い物も薬も乏しい。米軍の直接占領下におかれた敗戦国で本当に惨めな状態でしてが、それでも必死になって患者を診療しました。

 重傷者の大部分は次々死に、家へ帰れる者は帰って行き、帰るところのない者だけが病院に残るようになりました。元気な者は点呼が済むと海岸で(病院の庭の先が海でした)一日中、魚釣をやっていました。

 そんな中に、無口で何にも喋らない患者がいました。どの医師が診察しても一言も口をきかない。病気は慢性腎臓炎。満州の大連の陸軍病院に入院し、内地へ転送されて広島陸軍病院に入院した患者です。腎臓炎は症状は軽く、食餌療法だけでの指示でしたが、入院後、6日目に原爆に遭いました。病室の中で被爆したので火傷もせず、偶然、私のいた戸坂村へ逃げ。結局、柳井まで一緒に行動したわけです。主治医の私が色々、聞いても「はい」とか「いいえ」とか短い返事をするだけで、何も言わないのです。分かっているのは名前だけ、どこの生まれか、戦地はどこへ行ったのか、何を聞いても返事をしません。

 それがある日、突然、自殺してしまった。首を吊ったんです。同室の者が早朝、便所に行って、表の松の枝に下がっているのを見つけ、大騒ぎになりました。理由も、何も分らず仕舞いのまま、形ばかりの葬儀があって、後は何事もなかったように海辺の病院の日が過ぎてゆきました。

 何ヶ月か経って、たまたま事務長と用談した時、「先生には話しておいた方がいいと思う」と、自殺した患者の話をしてくれました。そう言えば、自殺のあった日に、「親身になって診たのだから、死ぬくらいなら一言、相談してくれてもよさそうなのに」と事務長にこぼしたことがありました。 患者の遺骨を受取りに来た本籍の村役場の助役から聞いたのだが、他言は無用と断った事務長の話は、「患者は中国戦線に従軍中、間違って戦死の公報が役場に入った。家では葬式を出し、農家の長男の跡取だったので、彼の弟が嫂と結婚して後を継ぎ、子供も生まれている。そこへ彼が突然、生還してきた。事情を知った彼には帰る家はなくなっていたわけです。相談されても答えようのない、酷い話じゃないですか」「一言、相談してくれても」と自惚れていた私を叩きのめした一人の被爆者の死でした。


6.アメリカによる原爆被害の隠蔽

 昭和22年(1947年)、私は国立病院の医者でしたが、労働組合の役員をしていました。そんな私に広島の開業医の叔父から手紙が来ました。

叔父は宮島の傍の五日市で開業していました。終戦後、広島の被爆者がいっぱい受診し、外科医だったので私の知人や友人でガラス片を抜いてもらった者が沢山いました。

 私が労働組合の役員をしていると知って、私に厚生大臣に会って、「広島で生き残った医者は数が少ないし、被爆者の治療の方法が全く分らない。アメリカは被爆後、日本の各大学医学部が行なった調査資料を取り上げて持っている。それを公開してもらって欲しい。それと、治療法がわかっていたらそれを教えてくれるよう頼んでもらってくれ。アメリカは来年、広島に病院を作るらしい(ABCCのこと)。噂だが、そこでは検査だけをして治療はしないと聞いている。治療もするように厚生大臣に頼んで欲しい」と書いてありました。

 私は早速、厚生大臣に会いに行きました。当時の厚生大臣は林譲治という自民党の大臣で、私は団体交渉で始終、会っていましたから、その時も大臣が会ってくれて、こういうわけだと叔父の手紙を見せ、「GHQの担当の者に頼んで欲しい」と言うと、「そんなこと出来ない」と言下に断られました。天皇陛下でも簡単には会えないマッカーサー総司令官にそんなことが出来るか、と動こうとしません。それでも根気よく頼むと「そんなに言うなら、厚生大臣の代理と名乗ってお前が行け」といわれ、売り言葉に買い言葉というわけで私が行く羽目になりました。

 日比谷交差点の角の第一生命ビルに星条旗が翻っていて、正面玄関に衛兵が立っています。「軍医に会いたい」というと何かベラベラと英語で言われた。早口でよく分らない。「そのうちに「予約はあるか」と訊いていることが分り、「ない」というと「ダメ」と断られた。

 陸軍病院の営門でも兵隊に面会にくる家族に、衛兵は規定を教えて断るのですが、何度も来て顔馴染みになると人情が通って、中には入れないが、相手を営門まで連れ出して会わせることを知っていたので、何回も通えば道は開けると日参しました。三日目に同じ衛兵と顔を合わせ、「用件はなんだ」と聞くから「医者に会いたい。大事な用だ」と言うと、「連れてきてやる」と昼食休みに若い軍医中尉を連れてきて会わせてくれました。準備した英語のメモに身振り手振りを交えて話すと。原爆関係は軍事機密でそんな問題は自分の権限外だと言う。困っていると、どうしてもと言うんなら上官に会わせるという。

 ちょうど朝鮮戦争が始まる直前でGHQが右傾化した時でした。占領直後、総司令部は日本を民主化するという任務もあって、労働運動を指導したり、農民組合づくりを応援したり、かなり民主的なメンバーが来ていましたが、朝鮮戦争を始める直前から右翼化が強まり、民主的な運動をしめつける方向に大転換した時期でした。

 呼び出されて会ったのは軍医の高官でしたが、医者なので紳士的に話をしてくれました。しかし結論は「資料の公開は不可能である。被爆者の疾病を隠蔽した事実も学会の研究を禁止した事実もない。念のため調査するから二週間待て」と言われた。やがて呼び出しがあり、「総司令部で調査の結果、隠蔽も禁止も全く事実無根である。従って、今後、そのような言動は一切しないように。万一、そのようなことを喋る時はその責任はお前が取らねばならない」と慇懃無礼に威嚇されて帰りました。

 猛烈に腹が立ちました。アメリカが落した爆弾で、死んだ者は別としても、なんとか助かっている者が診断もつかず、治療法も不明の病気で苦しんでいる。日本の学者が苦労して調べた資料を没収し、研究を禁止した上、日本の医師の協力要請を拒否する。理不尽な占領権力の傲慢さに、腹の底から憤りが全身に燃えあがりました。私はアメリカの無法と闘うため共産党に入ろうと決心しました。当時、被爆者の問題など、誰も相手にしてくれず、占領権力に真正面から立ち向っていたのは共産党しかなかったのです。


7.差別の中での死(昭和25年~30年)

 次に被爆者の死にぶつかったのは昭和25年(1950年)、朝鮮戦争が始まった年。東京、杉並区の西荻窪で、労働者や貧しい人のための民主的な診療所をつくって活動していた時です。下痢が続くと言って通っていた、一見、すごく年寄りに見える男性患者がいました。職業はニコヨン。日当240円で市の失業対策事業(公園の掃除や道路工事)で働く日雇い労働です。16日勤めて手帳に判を貰うと、日雇い健康保険で無料で医療が受けられる。だから本人はどんなに辛くても無理をして16日は働くわけです。もう一つ、いつも首に手拭を巻いているのが特徴で、絶対にとろうとしませんでした。その患者がぱったり来なくなりました。中断してよい患者じゃないのです。看護婦が気がついてみんなで心配し、往診の途中にカルテの住所を訪ねてみました。ところが、その番地の辺は大きな農家ばかりで、なかなか分からない。漸く探しあてたのは、ある農家の鶏小屋でした。今は鶏のいない、トタン屋根だけの金網をはった鶏小屋の中に、戸板を敷いて、その上に煎餅布団を一枚敷いて寝ていました。一目見て、もうあまり長くない容貌です。相変わらず垢にまみれた手拭を首に巻いています。「もういいよ。分っているから取れよ」と言っても首を横に振ります。看護婦に大きい注射器とブドウ糖を直ぐ届けるよう診療所に電話をかけに行かせて、「もう誰もいない。私も広島の被爆者だから、首を見せなさい」というと、漸く手拭を外しました。予想通り、後頚部から右耳の下にかけて大きなケロイドです。やっと広島で被爆したことを話しました。

 当時は、被爆者であることを知られてプラスになることは何もなかった。まず周りを警察がうろうろする(被爆者は占領軍から広島・長崎のこと、被害のことなど、原爆に関することは一切、喋ることも書くことも禁止されていたので、地域によってはいつも警察の監視下におかれていた)。回りに人が寄らなくなる(病気がうつると言われた)。

 即刻、入院が必要でしたが、当時はこうした患者の入院できる病院などどこにもなかった。私が面倒を見るより仕方がないので、朝晩往診して大量補液を続けましたが、最後に死に脈を取り、本人の遺言通り、区役所の世話で無縁仏として葬りました。

 一ヶ月後、友人と言うのが訪ねて来て,患者遠藤某の被爆の模様が分かりました。彼は隊長以下十数名の特殊な通信隊員で、8月4日、原爆の落ちる2日前に満州から小さな船で広島の宇品に着いた。配属部隊の都合で船内に待機していて6日も朝、被爆した。隊長の命令で上陸し、西部軍司令部のあった広島城の付近で救援活動に従事、数日して発熱、下痢の始った数人の仲間と、大竹の海軍病院に送られ、入院した。一緒にいた仲間の兵は散り散りに退院して家に帰ったが、彼だけは帰る家がないからと言って残っていた。その後、音信が絶え、病院に問い合わせると昭和22年11月末に事故退院していて、行く先は不明だったという。そしたら彼と一緒にニコヨンで働いていた者から、遠藤が死んだという手紙が来て、先生に聞いたら最後の状態が分るだろうと、私を訪ねてきたわけでした。

 遠藤が軍隊復員後、直ぐに実家に帰らなかったのは、彼は養子で、養子に入った後に実子(彼の弟になる)が生まれ、養父母とも実子に相続させたくて、彼との関係が複雑、微妙になっていたのが原因らしいと、友人は推定していました。

 被爆者の過去には、被爆時はこうだった、ああだったいう、直接被爆時の話以上に、被爆してから後、どんな人生を送ったのか、そういう人生を送らざるを得なかった原爆との関わりをみんな持っています。ここを知らないと本当の被爆の恐ろしさをしることにはならないのです。熱かった、苦しかった、恐ろしかった、ケロイドができただけでは、人間と核兵器が何故、共存できないのかが繋がらないのです。


8.他の病名をつけられて死んだ原爆症の被爆者

 その次は昭和30年(1955年)。私が東京から埼玉県に移って2年目です。日本で最大の足袋の産地の行田市で、貧乏人でも親切に診てもらえる診療所を作ろうという運動が起こり、どういうわけか、是非、私にということになって、診療所を作りました。

 ところが3年目の春に共産党から市会議員に立候補することになりました。行田は非常に封建的な気風の強いところで、当時は社会党くさいというだけで馘になってしまう、行田では商売も出来なくなってしまうような街でした。社会党の市会議員もなくオール自民党の市でした。そこへ共産党を名乗って立候補したから、患者さんが押しかけて来て「折角、いい先生が来て貧乏人が助かったと思ったのに、共産党なんかで出たら村八分になって追い出されてしまう。市会議員なんかに出ないでくれ」というわけです。しかし止めるわけにはゆかないので、「必ず当選するから一生懸命応援しろ」と、頑張って3位で当選しました。

 最初の議会で、市長の市政方針への質問に、ある被爆者の死の問題を入れました。

 それは私が行田で診療を始めて1年目ぐらいのとき、近所の人から「首吊りが出た」と夜中に往診を頼まれました。駆けつけ人工呼吸をしてやっと、この世のものにしたのですが、事情を聞いても本人は何も話さない。この人も黙んまりのままなのです。

 小学校6年生くらいの女の子がいて、その子に聞くと、「お祖父さんとお母ちゃんがこの間、死んじゃった。お父ちゃんは貧乏でどうしようもない。病院で肝臓が悪いといわれた」と言います。それから色々調べたら18才のときに広島の観音町の町工場に勤めていて、爆心から4キロの自宅で、親子3人で被爆していた。その時の子どもは死んでしまったが、被爆した体で職もないし家もない。三次町で工場を始めた仲間がいて、働けるなら来いと拾ってくれ、何年か働いたが病気が出て働けなくなってしまった。奥さんの実家が埼玉県の行田市にあり、頼って来たわけだが。被爆者だったその奥さんが白血病で死んでしまった。そうこうするうちに、最後の頼りの奥さんの父親が脳出血で倒れ、あっという問に他界してしまい、知らない土地で頼れるものが誰もいなくなってしまったわけです。これでは生きていけないからと生活保護を申請したら、大きな仏壇を財産とみなされ、売れば当面,生活できるからと認めて貰えず、子どもに食べさせることもできなくなって自殺したということが分りました。

 私は市役所に、生活保護の申請に対してこういうむごい扱いをするとは何事かと抗議しましたが。厚生課長は「そういう事情は知らなかった。担当が厚生省の指示通りに、仏壇の処理を指示し、真面目に、規定通りやったと思う。結果がこういうことでは、もう一度、詳しく調査して,善処したい」というのが答でした。

 はじめての市議会で市長質問にこの問題を取り上げたのは、日本の社会保障制度の大黒柱である生活保護法が、厚生省大臣の国会答弁とは正反対に、一番下積みの国民の生活の現場ではどんな酷いことになっているかの事実を示し、自民党政府の上からの政治の支配を、地方自治体、市町村の市制、町政,村政が住民どう守らねばならないかを明らかにするためでした。

 当時は彼が被爆者だということが分っても、被爆者手帳もまだ交付されていない、医療法(「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」1957年、昭和32年)が出来る前のことですから何の特典もありませんでした。結局、生活保護を取って熊谷の病院に入院させましたが、肝硬変で亡くなりました。女の子は縁があって母子寮にいる私の患者で、小学生の娘を最近、失くした未亡人に引き取られてゆきました。

 被爆者がどんなに酷い目に会って死んで行くのかを、私はこの人の場合にも骨身に徹して教えられました。


9.死亡診断書が他病名になっている原爆病の被爆者

 同じ年の暮れです。行田の一地方新聞が「広島から来た気の毒な原爆被爆者が国の福祉行政によって救われず、終に死亡したことを共産党の市会議員が市議会で市長に質問して云々」いう記事を書きました。

 それを読んだ深谷にいた広島の被爆者が私を訪ねて来ました。彼は結核で某市の日赤病院にかかっていたました。被爆者であることを絶対に話さないでくれと妻から言われていたので医者にも言わなかったのだが、主治医が詳しく診察してくれないので、広島で被爆していて心配だと話したところ、「そんなことはあなたの病気に関係ない」と取り合ってくれない。行田には被爆者をよく診てくれる先生がいるというので私のところに来たと言います。

 この人は今日ここに来て居られる行宗一(はじめ)さんと関係があるのです。行宗さんは私が被団協の運動に参加した時は日本被団協の代表委員をしていた偉い人です。私のいた広島陸軍病院の直ぐ隣にあった西部二部隊の兵隊さんでした。たまたま行宗さんはできたばかりのコンクリート製トイレの中にいて助かったんですが、私を訪ねて来たこの人も二部隊の兵隊さんでした。本人は部隊長の当番兵で、あの日、兵舎の水道が壊れたので縁の下にもぐって水道工事をしていたそうです。そこへピカッと来て、600~700メートルの近距離ですから殆どの兵隊が死にました。本人はピカッと光ったと同時に崩れた兵舎の下敷きになってしまった。工具で隙間をあけて這い出たら、濛々とした埃で何にも見えない。だんだん晴れてくると兵舎も無ければ街もない。死体と怪我人の中を白島町から中山峠を超えて、西条(今の東広島)というところにあった親戚まで逃げて、しばらくそこにいてから、岡山の実家へ帰ったそうです。

 岡山には自分の嫂の妹が埼玉の深谷から遊びに来ていて。その人といい仲になって結婚したが、間もなく病気になってしまった。いつまでも兄のところに厄介になっているわけにゆかず、奥さんの実家の深谷へ来て療養をしました。瓦屋さんで手伝いをしたのだが、身体が思うようでない。日赤病院では結核といわれ、療養を指示されましたが、もう一つ納得が行かないので私のところに来たわけです。いろいろ調べましたが、私にはどうも結核とは思えず、ぶらぶら病症候群、原爆病のように思われました。胸部X線写真でも、腸の検査でも結核の病巣ははっきりしませんし、喀痰や尿の培養でも結核菌は検出されませんでした。最後は下血を繰り返して日赤病院に入院し、結局、亡くなりました。病名は腸結核でしたが、放射性起因の慢性血液疾患だった疑いが濃厚だったように思っています。

当時はまだ現在のような精密な血液検査ができない時期でした。

 以上のように私は多くの被爆者を診てきましたが、私が印象に残っている被爆者の死を綴ってゆくと、直接、高線量のピカにやられて、「あれじゃ助かりようはない」という死に方よりも、後から入市したとか、遠距離で僅かしかピカを浴びなかった、所謂、残留放射能に被爆して遅くなって死んで行ったという症例が多く、原爆で殺されたと証明する方法がない、口惜しい,歯がゆい死に方をした被爆者が強く印象に残っています。考えてみると、被爆者には、ひと目で被爆者と分る火傷跡やケロイドの目立つ障害者よりも、何んとも言いようのない不運を背負って、連れ合いからも,身内からも甲斐性なし、怠け者と思われながら、あまり幸せでない人生を歩かされてきた人たちの方が多かったように思われます。
 ピカを生き延びた被爆者がこうした不幸な死への道をたどらざるを得なかったのは、第一に、アメリカが対ソ戦略上の理由から、原爆被害の放射線障害をプレスコードをしいて隠し続け、被爆者に最も必要だった障害の研究と、治療法の開発の道を閉ざしたこと。第二には日本政府がアメリカの理不尽な圧力に屈して十二年間、社会の底辺で苦しむ被爆者を全く放置したことによると私は確信しています。


10.日本被団協が誕生し、被爆者は闘い続けてきました。

 ビキニの水爆実験(昭和29年、1954年)のあと、日本全国で原水爆禁止の署名運動が起こり、1930年に原水爆禁止大会が広島で開かれ、原水爆実験禁止の運動が公然と闘われるようになりました。その勢いに支えられて昭和31年(1956年)、長崎での第二回原水爆禁止世界大会の後、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が長崎で結成しました。埼玉県にも昭和32年(1957年)、秩父の被爆者小笹寿さんが埼玉県内にいる広島。長崎の被爆者を一人、一人,訪ねて探し出され、会を結成されました。当時はまだ県民の間に被爆者に対する理解が乏しく、警察による干渉と資金難から数年で無活動状態になって運動が中断しました、1973年(昭和48)に埼玉被団協(しらさぎ会)が再開されてからは、日本被団協の一員として「核兵器廃絶」「国家補償による被爆者援護法」の二要求を掲げ、県在住被爆者2400余名の約3分の1を組織して、活動を続けています。

 再建当時,平均年齢50歳前後だったしらさぎ会の主メンバーも、2001年現在では平均年齢75歳の高齢になり、この2―3年、急速に死亡者が増え、癌死亡が圧倒的に多いのは,覚悟していることとは言え,悲しい限りです。


11.被爆者の要求と政府の被爆者対策の対立点

(1)被爆者援護法
 被爆者は1931年の創立時から被爆者援護法を要求してきましたが、1984年11月[昭和59]「原爆被爆者の基本要求」を決定し、援護法の性格を「国家補償による被爆者援護法」と明確に規定しました。

 これは政府の諮問を受けた「原爆被爆者基本問題懇談会(基本懇)が「核戦争被害をも含めて戦争被害の『受任』を国民に強い、『原爆被爆者援護法』の制定を拒否した1960年(昭和58)の答申(意見)に対する批判を踏まえ、被爆者の基本的な願いとその実現の方法を明らかにしたものです。

 政府の被爆者対策は ①「戦争の被害は国民が受任すべきもの」②「原爆被害のうち放射線による障害だけを補償の対症にする」③「補償は国家保障でなく弱者救済の社会保障で行なう」を基本にしていますが、被団協は ①「人間として生きることも死ぬことも許されない原爆被害は到底受任できるものではない」②「原爆被害はからだ、こころ、くらしの全てに亙る障害であり、放射能被害に矮小化し得るものではない」③「原爆被害は『孫訴訟における最高裁判所判決』が『遡れば戦争という国の行為によってもたらされたもの』と規定した通り、被害者本人に全く責任のない被害である。よって弱者救済の社会補償によるべきではなく、あくまでも国家責任で行なうべきである」と主張している。


(2)原爆放射線の被害をめぐって
 更に放射線による被害についても、政府は被害を被爆放射線量によって区分し、アメリカが作定した距離別放射線量を示すDS86(最高裁判所が松谷裁判で「疑問があり、適切ではない」と判決)により、対象者を爆心地からの近距離直接被爆者に限定、残留放射線による内部被爆者の被害を無視してきたことに対し、被団協は被爆が直接であれ、間接であれ、原爆被害は被爆線量によって判定せず、被爆の状況と被害の実相を重視し、少なくとも癌に罹患した被爆者はすべ「援護法」の認定被爆者として認めるよう主張して、真っ向から対立しています。


12.被爆者に対する援護の問題について

 被爆者は日本被団協を結成して運動をはじめた当初から、各界、各層の団体,個人から限りない援助と励ましを受けてきました。これらの被団協に寄せられた支援と援助は「被爆者援護」という言葉で総称されてきました。核兵器廃絶を目標に掲げた日本原水爆禁止協議会(日本原水協)は1955年の結成総会以来、核兵器廃絶と被爆者援護を活動方針の主軸に掲げています。

 各種団体、個人から被爆者運動に寄せられた援護活動の最大のものは、なんといっても財政支援、資金援助でした。僅かな会費収入以外に財源のない中央、地方の被団協にとって、活動を通じて国民から集めたカンパ、寄付を含めて寄せられる各界からの多額の寄付が、今日まで被団協の活動を支えて来たと言って決して過言ではありません。

 援護は資金援助だけでなく、困窮する被爆者への相談から高齢被爆者への手編みの肩掛け、膝掛けの贈呈など、こころ温まる善意の援助がよせられました。

 こうした援護活動が長く続けられてきた結果、「被爆者援護イコール金品の寄付」という図式が固定してしまったような嫌いがあります。今日、高齢化した日本被団協は組織が弱体化し、財政的にも困難が増大していますから、今後も引き続き寄付に異存せざるをえないことは当然ですが、もう一つ、重要な「援護」があることを述べておきたいと思います。

 今、被爆者手帳を持って生き延びている被爆者は全部で29万人余ですが、そのうち被爆者の会に所属して、被爆者という自覚を持ち、なんらかの活動に参加するのは10%以下だろうと推定され、被団協新聞の定期購読者も2万人前後にすぎません。

 残念ですが大部分の被爆者は、今日でも被爆者であることを隠し、子供や孫にも内緒にして暮しています。就学、就職、結婚、出産など人生の節目,節目に、被爆者であるために加えられてきた不当な差別と疎外の苦しみを二世,三世に味合わせたくないとの思いが消えないのです。

 若し、この人たちが挙って被爆体験を語り、核兵器の悪を暴いて、原水爆禁止運動の中に加わっていたら、被団協はもっともっと大きな力を発揮できたであろうと、歯がゆい思いでいっぱいです。

 被爆した事実を隠すということは、人間として自由に生きる権利を自分から制限し、ナチスの強制収容所と並んで今次世界大戦の最大の人権侵害と言われる原爆攻撃に頭を下げ、屈服してしまうことを意味します。このような人たちは自分一人では「原爆は黙っていること」という呪縛から抜け出すことができません。みなさんから、是非、被爆の体験を聞かせて欲しいと誘って下さい。被爆者に力を貸して、残り少なくなった被爆者の最後の人生を。世界平和のために役立てる花道として、胸を張って生きて行けるよう手助けして下さること、それが被爆者への最大の援護であると申し上げて、私の話を終ります。

広島・長崎を語り継ぐために
http://homepage3.nifty.com/kikigaki/index01.html

高速鉄道問題で揺れる中国、今度は“高速鉄道アニメ”にパクリ疑惑




開業直後から複数のトラブルに見舞われた中国の高速鉄道。以前より“速くて安全”と高らかに謳われていただけに、中国のネットなどでは高速鉄道を揶揄する声が噴出している状況だが、ここに来てさらなる“燃料”が投下され話題を呼んでいる。来月から放映予定の高速鉄道をモチーフにしたアニメに、パクリ疑惑が浮上したのだ。

中国メディア騰訊遊戯や掲示板サイトなどによると、この疑惑が浮上したのは8月から放映予定の中国アニメ「高鉄侠」。ネットユーザーの指摘では、同作がかつて中国でも放映されていた日本のアニメ「超特急ヒカリアン」(1997年4月2日から2000年3月29日までテレビ東京系で放映。中国語表記は「鉄胆火車侠」)とそっくりだというのだ。

実際、ネットに流通している「高鉄侠」の告知ポスターを見ると、高速鉄道がSDロボットに変形して悪者と戦うという設定は「超特急ヒカリアン」と同じで、登場するキャラクターの構成もどことなく似ているように見える。放映前であるためストーリーの細部などは比較できないものの、中国のネットユーザーが“パクリ”だと言いたくなる気持ちはわからなくもない。

この件に関して中国のネットでは「やり過ぎ」「中国のアニメは全部パクリかよ」といった批判的な声が飛び交っており、早くも疑惑を超えて“確定”の雰囲気に。「高速鉄道同様、アニメもパクった上に中国オリジナルと偽るつもりか」などと厳しい声も出ている。

ナリナリドットコム 2011/07/16 10:18 (引用)
http://www.narinari.com/Nd/20110715912.html

浜岡原発真下に活断層 名古屋大教授指摘 室戸岬まで全長400キロ

 中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の真下を通り、室戸岬(高知県)に延びる長さ四百キロの巨大な活断層が存在する可能性があることが、鈴木康弘名古屋大教授(変動地形学)らの研究で分かった。中電は独自の調査結果で活断層の存在を否定しているが、東日本大震災を受け、専門家らは耐震評価の見直しを訴えている。

 日本列島周辺の海底を調査した海上保安庁のデータを基に、鈴木教授と中田高広島大名誉教授らが二〇〇九年に詳細な海底地形図を作製し、研究を進めている。その結果、浜岡原発周辺の太平洋岸から室戸岬付近まで四百キロにわたり幅十~三十キロ、深さ三百~千メートルの海底のたわみ「撓曲(とうきょく)」を確認。「遠州灘撓曲帯」と名付けた。

 撓曲は、もとは水平だった地形が、その地下にある活断層の動きで、できるとされ、「遠州灘撓曲帯」の地下には、同じ長さの活断層が想定される。

 鈴木教授は、浜岡原発の北東二キロにあり、段丘状に隆起している「牧之原台地」も、遠州灘撓曲帯を形成した活断層の動きによる地形と推測し、浜岡原発の真下に活断層がある可能性を指摘している。

 中電は、浜岡原発の半径百キロ圏内の海域に十四の活断層があることは認めているが、音波探査の結果、遠州灘撓曲帯に対応する活断層はないとしている。

 中電が把握している活断層の中で最も強い揺れを想定する「石花海(せのうみ)海盆西縁断層帯」は長さ三十四キロ。鈴木教授は「可能性のある断層は想定に入れるべきだ」と求めている。


東京新聞 2011年7月17日 朝刊 (引用)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011071702000030.html

菅総理の「脱原発依存」会見について 小出裕章氏(MBS)


20110713 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
2011年7月13日(水)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

番組案内

2011年7月13日【水】
25年前の原発映画
 今夜は25年前に日本で作られたドキュメンタリー映画「24000年の方舟」のプロデューサー、鵜久森典妙(うくもり・のりたえ)さんをゲストに招き、話を聞きます。
 この映画は25年前に、日本の原子力政策の問題点や、プルトニウムの怖さなど伝えるために作られたものですが、今回の福島原発の事故を受けて、再上映を求める声が高まり、リバイバル上映となりました。
 番組では、映画製作の当初の思いや、製作者として、今回の福島の事故をどうとらえているのか、鵜久森さんに伺います。
 京大の小出裕章先生の「解説コーナー」もあります。

2011年7月18日月曜日

妻が夫の局部を切断、生ゴミ処理機にかける カリフォルニア州

カリフォルニア州オレンジ郡の警察によれば、妻が夫に薬物を飲ませた上で男性性器を切断、生ゴミ処理機に放り込んで粉砕するという事件が起きた。

警察の捜査によれば、キャサリン・ベッカー容疑者(48)は11日、薬物または毒物を夕食に仕込み、夫(51)が眠気を催すのを待った。

「被害者は横になり、目覚めた時にはベッドに縛り付けられていた」と捜査関係者は語る。容疑者は夫の洋服を引きはがすと、性器をつかんで切断したという。

その後ベッカー容疑者は救急車を呼び、駆けつけた警官に「夫は(切断されて)当然のことをした」と語ったという。夫妻は離婚手続きを進めている最中だった。

ベッカー容疑者は傷害や監禁などの容疑で逮捕され、拘留されている。夫は大学病院に搬送され緊急手術を受けた。

CNNニュースジャパン 2011.07.14 11:14 (引用)
http://www.cnn.co.jp/fringe/30003371.html

2011年7月17日日曜日

<海江田経産相>菅首相の「脱原発」を批判、 のインタビューを批判する

海江田万里経済産業相は16日までの毎日新聞のインタビューで、菅直人首相がいずれは原発をゼロにする「脱原発依存」を表明したことに対し「原子力の平和利用技術を切っていいのか」と異論を唱えた。電力の安定供給については「今冬までは何とかなるが、(原発が)全部止まれば無理だ」と警戒感を示した。

 経産相は「従来のような(原発の)新設は無理。縮小は既定方針」とする一方で、放射性廃棄物管理などの技術継承が必要なことなどを踏まえ、「核兵器を持たずに原子力技術を本格開発したのは日本ぐらいなのに人材も育たなくなる」と強調。さらに再生可能エネルギーの普及には「時間がかかる」と電力不足への懸念を示し、脱原発方針を批判した。経産相が反対姿勢を示し、首相が掲げる「脱原発」の実効性はさらに不透明になった。

 経産相によると、首相から「脱原発」の電話連絡を受けたのは、13日の首相会見の40~50分前。経産相は懸念を伝えたが、首相は「そうした議論は今度する」と述べたといい、閣内で十分な議論を経なかったことが浮き彫りになった。

 また、首相が「脱原発」を争点に解散に踏み切る場合は「(衆院解散を行うための閣議書に)署名しない」と明言した。ただ、首相は署名を拒否した閣僚を罷免し、解散に踏み切ることができる。

 電力供給について経産相は「今夏は東京、東北電力管内で(15%節電に違反すれば、大口需要家に罰金を科す)電力使用制限令を出す異常事態。冬までは何とかなると思うが、(生産などが)シュリンク(縮小)しているからだ」と懸念を表明。政府の安全評価(ストレステスト)で定期検査中の原発の再稼働が遅れ、来春までに全国の原発が停止する可能性もあるが、「全部ストップするシナリオは頭にない」と安全性が確認された原発から順次再稼働させる考えを示した。首相が「埋蔵電力」と見込む企業の自家発電は「発電する企業の利用優先。どれだけ(一般に)使えるのか、判断は難しい」との見方を示した。

 ◇主なやりとりは以下の通り。

 --菅直人首相が「脱原発依存」の会見をしました。

 ◆(首相から)会見の40~50分前に電話連絡を受けた。核兵器を持たずに原子力技術を本格開発してきたのは日本ぐらいなのに、その技術を捨て去っていいのか。数十年でなくなることになれば、人材も育たない。
原子力技術と原発は違う。また日本人が技術を持つということならば、優秀な人材は海外に派遣すればいい。原子力発電を止めることが技術を捨て去る事にはならない。
こうした点を首相に伝えたが、首相からは「そうした議論は今度やろう」と(かわされた)。自分の中では(脱原発の是非について)まだ決着はついていない。
海江田さんと話しても時間の無駄だということをは菅さん知っているからかわされたのだ。


 --「脱原発」をどう考えますか。

 ◆(化石燃料頼みになれば資源国などに)弱みにつけ込まれ、ガスなどの価格が上がる。そんなこと無い様にODA等でこれまでに金をばら撒いてきたんだろ、価格が上がるという根拠も無いくせにいい加減なこと言うなよ。(再生可能エネルギーなどの)新技術を何年で開発し、それまでどうつなぐかなど、緻密な議論が必要だ。原発は安全なら動かし、安全でなければ止める。すべてストップするシナリオは頭の中にない。現実問題として、2~3年で大きくは減らせない。 安全な原発は一つも無いぞ、発言が矛盾してるぞ。

 --仮に首相が「脱原発解散」に踏み切れば、容認しますか。

 ◆できない。(解散のための閣議書に)署名はしない。なら貴方はその前にクビですね。国民だって悩んでいると思う。さまざまな角度から情報を提供し、判断をしてもらう時間が必要だ。 国民の多数が脱原発を望んでいます。そんなことも分からないから貴方は駄目だと批判されているのだ。

 --九州電力玄海原発の再稼働を巡る議論も混乱しました。

 ◆玄海では当面の津波対策や過酷事故対策もあり、(6月29日に地元を訪れ)自信を持って安全だと言った。首相には事前に報告していたが、帰ってすぐに電話があり、「自分は関わっていない」「原子力安全委員会と相談したのか」と言われた。法律がそういう(安全委の了解を得る)仕組みになっていないと説明すると、電話ががちゃんと切れた。翌日に官邸で報告し、(安全評価の議論が)始まった。
貴方は大臣という神輿の肩書きがあるだけで専門家ではありませんから本当に安全かどうかは分からない筈です。電話を切られたのはがちゃんでは無く「プツ」だと思うが、頭が悪い人と話してもしょうがないと総理から見放されているのだろうな。

 --安全評価が再稼働の条件となりました。

 ◆もともと高経年化や過去のトラブルなどをチェックしなければ、という思いはあり、納得はしている。安全委もテストを考えていたようだが、再稼働に絡ませるということではなかったと思う。
貴方がどう思うかは、どうでも良いことで安全ではないのだから止めれば良いだけの話だ。

 --経産相は時期が来たら(混乱の)責任を取ると発言しました。

 ◆政治家がこう言えばどういうことか、想像していただければ。自分は間違ったことはしていない。
貴方は大したことは何もしていない。選挙の時に神楽坂で誰も聞いていないのにTVに出ていたなどとつまらない自慢話を100円ショップの前でしていて、後ろの金物屋の親父にうるさいと怒られた程度でしょう。新宿区民はもう、貴方が嫌いです。

 --首相は「今夏と今冬は原発無しで乗り切れる」との見通しを示しています。

 ◆いろんな工夫をすれば、今冬までは何とかなるが、東北と関東は電力使用制限令を発動する異常事態。関西、九州にも節電をお願いしないといけない。電力不足で企業の生産が滞ることは決して良いことではない。(浜岡原発の停止を要請した)中部は原子力の依存が低いが、関西、九州は違う。
電力が十分足りているのに、罰則まで付けて電力使用制限令を出し、国民を騙した。熱中症で亡くなった方たちのの遺族に対してどう釈明するのかね。

 --関西でも電力使用制限令が必要では。

 ◆したくない。なんとか(節電を)お願いしようと思う。
これ以上、理不尽な使用制限令を出したら、貴方が次回の選挙で落ちることは確実となってしまうから、したくないのだろう。ところで貴方は電力会社から一体幾ら貰うことになったのだ?

【聞き手・山本明彦、野原大輔】

毎日新聞 2011年7月17日 2時45分
http://mainichi.jp/select/today/news/20110717k0000m010146000c.html

菅総理「原発に依存しない社会」広がる波紋



モーニングバード 2011/7/14
経済産業省内閣官房付の革新派官僚、古賀茂明氏出演「経産省古賀氏に聞く 菅総理発言の舞台裏」

原発の町 匿名の"巨額寄付"とは



水曜シリーズ「特命調査班 ~マル調~」です。

ある自治体の決算書。
その中に、12億3,000万円というひときわ巨額のお金があります。
実はこれ、全額寄付金、それも匿名の寄付なんです。
一体、誰がなんのために…
「マル調」が調べていくと、背景には原子力発電所の存在が浮かび上がってきました。

美浜町丹生漁港。
午前4時半。
漁港を出た船は、1キロ沖合の定置網へ。
漁場は関西電力美浜原子力発電所を間近に望む。
「大敷網」とよばれる美浜町に伝わる伝統漁法で、ハマチやトビウオなどを揚げていく。
原子力発電所ができておよそ40年。
漁業の町は原発と共に歩んできた。

<漁師>
「1回(原発)作ったら、やっぱしうちらでも民宿とか生活の生計立てるのに、基本っちゅうもんができとるんで、それに乗らざるをえんちゃうのかな」
海に面して建つ民宿街。
夏は海水浴客で賑わうが、原発の定期点検で訪れる技術者たちも大切な顧客だ。

<民宿経営者>
「点検があるごとに『三菱電機』とか『重工』さんとか、いろんな方が来られるので、だいたいもう決まってそこを宿にしているから」

町は、様々な形で原発の恩恵を受けてきた。
<元美浜町議 松下照幸さん>
「ずーっとあの運動場の向こうまでがそうですね」
元・美浜町議の松下照幸さん。

「マル調」は原発町政を象徴する施設に案内された。
<松下照幸さん>
「これが体育館で。人口1万人の町が作るような施設ではない」
美浜町総合体育館の建設費は「電源三法交付金」で賄われた。
これは、国から発電所のある自治体に支給される。

人口1万人あまりのこの町に支払われた交付金は、これまでに219億円に上る。

体育館だけではない。
交付金は学校や図書館、福祉施設、道路など町民の生活に密着する様々なものにかたちを変えて町を発展させていった。
また交付金のほかにも町は毎年、関西電力から法人町民税や固定資産税なども受けていて、実に町の税収の半分を関電に依存している状態だ。

長年、反原発を訴えてきた松下さんは、こうした「原発マネー」が支配する町の状況を懸念する。
<松下照幸さん>
「もう、みんな村社会で、大きなカネが動いていて原発経済が地域を席巻してますから、その流れをよどませるような発言をすることはタブーに近い」
ところが税金という表立った収入以外にも、原発に関係があるとされる金が町にもたらされているという。
それは…
<マル調>
「当初の予算では1万円で補正もされていないんですが、決算段階では10億円に跳ね上がっています」
町に入ってくる巨額の寄付。
しかもその寄付は、なぜか『匿名』だった。


3基の原発が立ち並ぶ福井県美浜町。
この町には国からの交付金や電力会社からの税金のほかにも、巨額の「寄付金」がもたらされてきたという。
「マル調」は役場で町の予算と決算の資料を調べた。
<マル調>
「これですね、平成19年度の資料なんですが、当初の予算では1万円で補正もされていないんですが、決算段階では10億円に跳ね上がっています」
2007年度は10億2,000万円。
2006年度は12億3,000万円。
町の収入総額は毎年80億円前後なので、その年は収入の1割以上が寄付金だったということになる。
しかしこの寄付、これだけ町の財政に大きな影響を与える額にもかかわらず、誰からのものか記されていない『匿名』の寄付なのだ。
元美浜町議の松下さんは、この寄付の出元を町にたずねたのだが…
<松下照幸さん>
「行政側にただしますとね、『(寄付を)出す側がやっぱり“明らかにしないでほしい”という条件で出している』と。だけど、それはどこが出しているかは明白な話しなんですけどね」
(Q.どこですか?)
「やっぱり電力会社(と考えている)」
また、町で聞いてみても…
<美浜町民>
「匿名でっちゅうのは他のところは考えにくいんで、まあ原発関連のあれからじゃないのかなちゅう思いはありますけどね、やっぱりね」
電力会社からの寄付というのが、もっぱらの噂のようだ。
これに対し関西電力は「地域との共生の観点から、必要に応じて適切な協力を行っている」とするにとどまり、「協力」の中身や時期については「コメントできない」としている。
そこで「マル調」は、寄付金の出元を探るべく町長を直撃した。
<美浜町 山口治太郎町長>
「私の口からは明確にすることはできないんですけどね」
(Q.電力会社から?)
「いや、それも、あのー、この全部が電力会社か他の企業が若干でも入っているのか、大部分が他の企業かは、そこらへんもお答えは差し控えさせていただきたい」
(Q.電力会社は入っている?)
「それも私の口からは何もお答えできない」


しかし「マル調」が調査をすすめると、この寄付には不可解なところがあることがわかってきた。
寄付は、ある特定の期間に集中して行われていたのだ。
それは…
「出納整理期間」。
4月から5月の地方自治体が年度ごとの会計を事務処理する期間で、この期間内の入金は決算書だけに記載されることになる。
つまり、この巨額の寄付は議会では事前に審議されず議員らは決算書で初めて目にすることになるのだ。
これでは、議会で使い道などについてチェックできないのではないか。
町長にただすと…
<美浜町 山口治太郎町長>
「決算書自体は審議にかけてますから。数字自体は明確になってくるんですよ」
(Q.問題はない?)
「問題はないですね」
しかし地方行政の専門家は、こうした期間のカネのやりとりについて疑問を呈す。
<関西学院大学経済学部  林宜嗣教授>
「いきなり決算の中でドンと出てくるから、どうしても説明責任が軽くなる。うがった見方をすれば出納整理期間中に寄付を求めることがあったとすれば、説明責任を希薄にするテクニックという具合に考えられても仕方がない部分がある」
さらに匿名でのカネのやりとりは、住民の不信感を招きかねないと指摘する。
<関西学院大学経済学部 林宜嗣教授>
「匿名にするということになってくるとですね、なにかこう舞台裏で、密室でそういうやりとりをしているという印象をどうしても持ってしまうんですね。情報をもっとオープンにするということが、まず出発点でしょうね」
原発のあり方を問われる今、岐路に立たされる原発立地自治体。
もし電力会社と町との間に不透明な金の流れがあるとすれば、住民の疑心を招きかねないことになる。
http://www.mbs.jp/voice/special/201107/13_713.shtml

18年前、全電源喪失検討 安全委 幻の報告書



18年前、全電源喪失検討 安全委 幻の報告書
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011071390070408.html
http://megalodon.jp/2011-0713-0912-14/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011071390070408.html

18年前に電源喪失対策検討「重大性低い」安全委結論
http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201107130644.html
http://megalodon.jp/2011-0714-0043-40/www.asahi.com/national/update/0713/TKY201107130644.html

原発:全電源喪失は「考慮不要」...安全委、93年に報告書
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110714k0000m040098000c.html
http://megalodon.jp/2011-0714-0045-26/mainichi.jp/select/wadai/news/20110714k0000m040098000c.html

情報の隠蔽と流出は繰り返される。

電力不足どこへ?東電社長「西へ融通検討」



埋蔵電力が一体どれだけあるのかが分からない。
311から4ヶ月以上経っても正確な調査が完了していないということだが、この発表の遅れには見えない誰かの思惑が影響していることは明らかだ。
罰則を設けてまでの節電を強いる反面、関西に回すだけの余剰電力があるのであれば、私達も無理な節電はせずに必要な分は、ちゃんと電気を使ってもいいということだ。
熱中症になって病院に担ぎ込まれても、東電は責任をとってはくれないのだから。

2011年7月16日土曜日

逆転勝訴の橋下氏「きちんと判断していただいた」

逆転勝訴の報を受けた大阪府知事の橋下徹氏は15日、大阪府摂津市内で取材に応じ「ありがたい。きちんと判断していただいた。やっぱり最後に頼れるのは最高裁」と話した。

 判決について「1審や2審で負けたので、あまり偉そうなことは言えない」としながらも、「長い裁判で、知事になってからも自分で書面を書いてきたが、僕は弁護士に向いているのかもしれない。国民の皆さんには、制度を正しく活用していただきたい」と余裕もみせた。

 一方、敗訴した光市事件弁護団側は、代理人の弁護士が広島市内で記者会見し、「価値のないお粗末な判決。裁判官の見識を疑う」と不満をあらわにした。

 弁護団長の島方時夫弁護士も「この判決に一番驚いているのは、橋下氏本人ではないか」と指摘。当時を振り返り、「あの弁護団はKY(空気が読めない)だったが、誰かが元少年の弁護をしなければならなかった。(橋下氏のように)空気の読める人が、どうしてテレビ番組で批判したのか」と改めて非難した。

MSN産経ニュース 2011.7.15 22:18 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071522190010-n1.htm


罪も無い二人の人間を殺しその後姦淫に及んだ犯罪者にどういう弁護が必要なのだ。
猛省を促し罪を償わせるのが弁護士の役目だろう。

挙句、一審で無期懲役判決が出た後、被告人は知人に以下のような手紙を出している。
検察はこれを少年Aに反省が見られない証拠として裁判所に提出した。

終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか

この懲戒請求を受けた犯罪者の弁護士の苦痛と妻子を殺され残された夫の苦痛を比べてみろ。
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ にふざけた言い訳が掲載されている。

「光市母子殺害」テレビ発言 橋下知事が逆転勝訴

橋下徹大阪府知事が就任前に弁護士として出演したテレビ番組で、山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団への懲戒請求を呼びかけたため業務を妨害されたとして、弁護団のメンバーら4人が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日、橋下氏に賠償を命じた2審判決を破棄、請求を棄却した。橋下氏の逆転勝訴が確定した。

 1、2審判決によると、橋下氏は平成19年5月の民放番組で、被告の元少年側が差し戻し控訴審で殺意を一転否認した主張を「弁護団が組み立てた」と発言。「弁護団に対して許されないと思うんだったら、一斉に懲戒請求してもらいたい」と呼びかけた。

 上告審では、呼びかけが不法行為に当たるかどうかが主な争点となった。

 同小法廷は判決で「事件の情報を持っていないのに、弁護団を非難したのは配慮を欠いた軽率な行為で、不適切だ」と批判。しかし、弁護士の懲戒請求が広く認められている点を重視し、「発言内容は、視聴者の判断に基づく行為を促すものだったに過ぎない」などと指摘。「弁護士業務に重大な支障は生じておらず、弁護団の精神的苦痛が受忍限度を超える程度だったとはいえない」と結論付けた。名誉毀損(きそん)の成立も認めなかった。

 1審広島地裁は名誉毀損と不法行為の成立を認定し、橋下氏に対し計800万円の賠償を命令。2審広島高裁は不法行為だけを認定し、賠償額を360万円に減らし、双方が不服として上告していた。

MSN産経ニュース 2011.7.15 16:50 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071516510003-n1.htm

大飯原発1号機停止へ…関西の電力需給厳しく

関西電力は16日、調整運転中の大飯(おおい)原子力発電所1号機(福井県おおい町、出力117・5万キロ・ワット)で、緊急炉心冷却装置(ECCS)を構成する蓄圧タンクの圧力が低下するトラブルがあり、原因を調べるため、同日夜に運転を手動停止すると発表した。

 1号機は経済産業省原子力安全・保安院の最終検査を受けずに「調整運転」を行い電力供給を続けていた。

 今回のトラブルで、再稼働の時期は極めて不透明となり、今夏の関電の電力需給はさらに逼迫(ひっぱく)しそうだ。

 発表によると、大飯原発1号機で15日午後10時45分頃、核分裂反応を抑えるホウ酸水を蓄える蓄圧タンクの圧力が低下。1時間以内に復旧したため、保安規定には違反しないが、最終検査に向けて原因を調べる必要があると判断。16日午後9時頃にも原子炉を停止させることにした。環境への影響はないという。

読売新聞 2011年7月16日11時38分(引用)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110716-OYT1T00235.htm


大飯原子力発電所1号機は、これまでに幾度もトラブルがあった原発だ。
発表があった大きなものだけでも、過去10年に3回もある。
2010年2月には、1次冷却水の放射能濃度が上昇、原子炉を停止したトラブルで、福井県が核燃料集合体2体でそれぞれ燃料棒1本から放射性物質の漏えいが確認されたと発表。
2007年9月には、放射能を含む1次冷却水3.4トンが漏れ出しているのが見つかった。
2003年12月には、原子炉格納容器内の排水を集めるサンプの水位が上昇し手動停止で原子炉を停止。
ここいらで、原子力使って発電するなんてことは止めようよ。



たばこ増税は「おやじ狩り」=復興財源、与謝野氏に反論-野田財務相

民主党の野田佳彦財務相は16日午前、横浜市内で開かれた討論会で、東日本大震災の復興財源について「たばこも酒も税制を通じた『おやじ狩り』みたいなところがある」と述べ、たばこ税や酒税の引き上げに慎重姿勢を示した。

 この後、記者団に「復興構想会議も『基幹税を中心に多角的に検討』と(提言に)書いてあるので、そこが基本形だ」と述べ、所得税、法人税、消費税の増税が検討の中心との認識を示した。
 与謝野馨経済財政担当相が、たばこ税なども検討すべきだとの考えを示したことに反論したものだ。
 また野田氏は、菅直人首相が「脱原発依存」の考えを示したことに関し、「為替、法人税を含めた税体系に電力料金(引き上げ)の問題が重なって、(企業が)日本を出て行くようになってはいけない」と述べた。

時事ドットコム 2011/07/16 13:40 (引用)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011071600195


これとほぼ同じ内容のニュースが産経新聞でも報じられたが、そちらでは、
『今後のエネルギー政策についても、「自然エネルギーを普及させる基本的方向は正しいが、それを数値化しながら、いつまでにどうするかをまとめていくかのが政府の責任だ」と指摘し、唐突に「脱原発依存」を表明した菅直人首相の手法を批判した。

 討論会には自民党の林芳正政調会長代理も出席し、「やっぱり菅さんよりも野田さんがいい。記者会見で今の話を首相がしていたら、日本の企業人の受け止めが変わっていた」と野田氏にエールが送った。

 ただ、野田氏は会合後、民主党代表選への対応について「私は菅内閣の一員なので、次の話をするのではいけない」と述べるにとどめた。』

などと、世論操作を意図していることが見え見えの内容となっている。
代替案もロクに無い人野田財務相と与謝野経済財政担当相が、同じ内閣の中で異なる見解を示す事自体情けないがそれを煽るマスコミはもっと情けない。
仮にたばこ税をさらに50円上げたとしてもせいぜい2,000億円の増収に過ぎず、それを機にさらに禁煙する人が増えれば税収はもっと減ってしまう。
本気でコストの削減に努めることが今の日本では必要なのに、無い金を使うことばかり考えている政治家ばかりなのだからこれではもうどうしようもない。




福島第1原発:東電が仮払い拒否 幼稚園など「対象外」

東京電力福島第1原発事故で被害を受けている事業者に対する損害賠償を巡り、東電が幼稚園や老人ホーム、診療所への仮払金の支払いを拒否していることが、毎日新聞の入手した文書などで分かった。支払い対象の事業者を中小企業に限定し「学校法人や社会福祉法人、医療法人は法律上、中小企業に該当しないため」と説明。将来の賠償も「分からない」としており、全被害者への賠償責任を定めた原子力損害賠償法に反した姿勢に厳しい批判が出ている。【清水憲司、松谷譲二】

 東電広報部は毎日新聞の取材に対し「学校法人などにも仮払いする必要性が高いことは十分認識しており、対象範囲の見直しを進めている」と回答した。

 原発から約9キロの福島県浪江町で私立浪江幼稚園を経営する学校法人「大谷(おおや)学園」が、中小企業に1社当たり最高250万円の仮払いが始まったことを知り、6月14日、仮払いを請求した。

 その後、東電・福島補償相談センター(福島市)が同22日付でこの文書を出した。文書には「学校法人は(法律上)財団法人で、中小企業ではないので対象外。(今後の補償も)分からない」と記載されている。

 原賠法は文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」が損害の範囲を判定する指針を策定すると規定。審査会は4月の1次指針で、救済対象の事業者を「営業被害などを受けた多数の事業者ら」と幅広く定めており、中小企業に限る法的根拠はない。

 毎日新聞の取材では、他に南相馬市の幼稚園を経営する学校法人▽同市で特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人▽富岡町で診療所を経営する医療法人--が仮払いを拒否された。福島県によると、福島第1原発から半径30キロ以内には▽6学校法人▽22医療法人▽15社会福祉法人--がある。

 浪江幼稚園の大谷清子(せいこ)園長は「園児約160人が皆いなくなり収入はゼロなのに人件費などで月100万円の支出がある。仮払金がもらえず、将来も賠償されないのではと思うと不安で眠れない」と訴えている。

毎日新聞 2011年7月16日 2時35分 (引用)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110716k0000m040166000c.html

福島の全肉牛、出荷制限へ…セシウム汚染拡大で

福島県産肉用牛から相次いで国の暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されている問題で、政府は15日、同県内のすべての肉用牛について原子力災害対策特別措置法に基づき出荷を制限する方針を固めた。

菅首相が19日以降、福島県の佐藤雄平知事に指示する。

 厚生労働省と農林水産省は15日、放射性物質に汚染された肉用牛が福島県全域に広がっている恐れがあると判断。市場に流通させないために、出荷制限に踏み切ることを決めた。同県はすでに県内のすべての肉用牛農家約4000戸に対し18日まで出荷自粛を要請。両省は出荷自粛の期限後に、制限する方針だ。同県の昨年2月時点の肉用牛飼育頭数は約7万8000頭。

読売新聞 2011年7月16日03時03分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110716-OYT1T00001.htm

2011年7月14日木曜日

原発作業員118人所在不明

東京電力福島第一原子力発電所で、この4月に働いていた作業員のうち118人の所在が分からず、被ばく量の検査ができていないことが分かりました。

東京電力は、この4月から働き始めた作業員およそ4600人の被ばく量の検査状況について、13日厚生労働省に報告しました。それによりますと、これまでに検査が終わったのは3254人で、緊急時の被ばく限度となる250ミリシーベルトを超えた作業員はいませんでしたが、▽100ミリシーベルト以下で50ミリシーベルトを超えた人が10人、▽50ミリシーベルト以下で20ミリシーベルトを超えた人が96人いたということです。一方、被ばく量の検査が終わっていないおよそ1300人のうち、118人については、作業員の名簿に残っている名前に該当する人が確認できず、所在が分からない状態だということです。また、3月に働いていた14人の作業員とも連絡が取れておらず、所在が分からない作業員は、合わせて132人に上るということです。厚生労働省は、作業員の管理が極めてずさんだとして、東京電力に対し、今月29日までに作業員を特定し、被ばく量の検査を終えるよう求めています。

NHKニュース 2011年7月13日 21時29分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110713/k10014191011000.html

2011年7月13日水曜日

大マスコミは「電力不足」と煽っているが…なんと原発50基分!〝埋蔵電力活用で「脱原発」できる〟


大マスコミは「電力不足」と煽っているが…なんと原発50基分!埋蔵電力活用で「脱原発」できる


54基すべての原発がストップする――。大マスコミが大騒ぎだ。

13カ月ごとの定期検査を義務付けられている原発は、現在35基が停止し、稼働しているのは19基だけ。経産省は、九州電力の「玄海原発」を突破口に、四国電力の「伊方原発」など定期検査を終える原発を次々に再稼働させる方針だった。

ところが、九州電力が「玄海原発」の再稼働容認を撤回。四国電力も「伊方原発」の運転再開を断念したと発表した。
このままでは稼働中の19基も次々に定期検査に入り、来年春にはすべての原発が止まる。その結果、深刻な「電力不足」に陥ると大手メディアが騒いでいるわけだ。

しかし、原発が止まったら本当に電力は足りなくなるのか。「脱原発」は不可能なのか。
ガ然、注目されているのが「みんなの党」の渡辺喜美代表が国会で指摘した「埋蔵電力」の活用だ。日本中の企業の自家発電設備をフル活用すれば電力不足を補えるという。
「企業の自家発電能力は、約6000万キロワットもあります。東電の供給能力約6000万キロワット、原発40~50基に匹敵する規模です。そこで自家発電の余剰分である『埋蔵電力』を活用すべきだと国会で提案したのです。ただ、政府は余剰分がどのくらいか把握していないという答えです」(渡辺事務所)

自家発電した電力を、それなりの値段で買ってもらえるとなれば、企業は積極的に売電するはずだ。新規参入する企業も出てくるだろう。


◆「火力」と「水力」だけでも十分賄える

そもそも、原発がストップしても電力不足に陥らないことは専門家の常識だ。東京電力は03年に、原発事故や不祥事で全17基を停止しているが、停電は起きていない。
元慶大助教授の藤田祐幸氏の調査結果によれば、1965年以降、その年の最大電力であっても、「火力」と「水力」の発電能力だけで十分に賄え、発電能力を超えた需要は一度もない。原発を必要としないことが分かっている。

さらに京大原子炉実験所助教の小出裕章氏も4月に行った講演でこんな資料を公開している。
「……発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では28%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。(略)それほど日本では発電所は余ってしまっていて、年間の平均設備使用率は5割にもなりません」

電力はいくらでも生み出せるのだ。大手メディアはなぜ大騒ぎしているのか。


日刊ゲンダイ 2011/07/11 12:54

2011年7月9日土曜日

東電による『ふくいちライブカメラ』映像偽装疑惑





福島原発ライブカメラで検索すると、東京電力のふくいちカメラと、TBSのライブカメラが出てくる。
TBSの方には2号機の側にある工事のクレーンも映っているのだが、ふくいちカメラにはクレーンが映っていない。
つまりいずれかのライブ映像が偽物だということだ。

映画スターが来ない! 盛り上がらない…頭抱える宣伝マン

 ■背景に長引く原発事故
 映画スターが来ない…。長引く福島第1原発事故の影響で、欧米から映画の公開に合わせた大物スターや監督の来日が3月中旬以降、ばったりと絶えた。映画ファンはスターを招いたイベントが開かれないことを寂しがり、映画業界では「宣伝が盛り上がらない」と頭を抱えている。(岡本耕治)

                   ◇

 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」(15日公開)は、2001年公開の第1作以来、10年続いたシリーズの完結編。前評判も良く、ダニエル・ラドクリフ(21)、ルパート・グリント(22)、エマ・ワトソン(21)の主演3人の英国俳優が来日し、大々的に完成披露試写などのイベントが展開されると予想された。

 しかし、今回は「多忙」を理由に、3人はおろか、デビッド・イエーツ監督の来日もない。第2作以降は3人のうち1人は必ず来日していただけに、「フィナーレにしては寂しい」という声は多い。

 ある宣伝マンは「相次いでいる来日キャンセルの理由は、先方は明言しないが原発事故。本人が行きたがっても、周囲が止めるらしい。気持ちは分かるが…」とため息をつく。

 洋画の大作の場合、テレビや新聞、雑誌のインタビューを通じてスターの姿と映像を大量に露出させ、“盛り上がり感”を演出するのが恒例だ。昨年はレオナルド・ディカプリオ(36)、アンジェリーナ・ジョリー(36)、キャメロン・ディアス(38)、ジュリア・ロバーツ(43)ら米俳優陣が来日した。

 しかし、今年は3月5日公開の「ツーリスト」で米俳優、ジョニー・デップ(48)が来日して以降、大震災後は「ブラック・スワン」「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」「X-MEN ファースト・ジェネレーション」など、スターが来ないまま公開となる映画ばかりが続く。

 ある関係者は「本国に来日を打診しても、沈黙したまま返事がこない場合もある。これでは説得もできない」と嘆く。

 映画業界ではテレビCMを増やし、ライター数十人を海外取材に招くなどして宣伝活動を行っている。しかし、「今ひとつ盛り上がりが出ない。誰か大物が来日してくれれば突破口になるのに…」と業界関係者は口をそろえる。

 そんな中で期待を集めるのが、12月に「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」が公開される米俳優、トム・クルーズ(49)だ。「大の親日家だし、客観的な分析ができる人。ここで来日すれば男が上がって興行にもいい影響が出る、と判断して来日するのでは」と関係者。

 また、別の宣伝マンは「『こういう時期だけれど、僕はいくよ』と言ってくれる人も少しずつ出てきた。悲観はしていない」と希望をつないでいる。


産経ニュース 2011.7.8 08:05 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110708/ent11070808080001-n1.htm

2011年7月8日金曜日

「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part1


日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)http://www.jvja.net/ の会員5人(森住卓、豊田直巳、山本宗補、野田雅也、綿井健陽)と広河隆一(DAYS JAPAN編集長)は、3月11日の東日本大震災発生翌日(12日)から現地に向かいました。
 ここにアップしたPart1では、3月12日に東京を出発して福島第一原発を目指した途中の様子です。当時のラジオ・テレビニュースが何を伝えていたのかも含めてご覧くだ­さい。

2011年7月6日水曜日

フランス:Tricastin原子力発電所で爆発事故



Centrale-Tricastin : incendie sans conséquences

7月3日付けのモスクワタイムズがフランスの原発で爆発があったことを報道。真っ青な空が黒煙で覆われています。


『An explosion and subsequent fire damaged a transformer of the first power unit at France’s Tricastin nuclear power plant. No injured or dead have been reported.
The fire was put out in a matter of 20 minutes. No damage to the environment has been recorded.

Power unit 1 of the Tricastin plant was not in operation at the time of the explosion.

引用元:Explosion at French nuclear power plant: Voice of Russia』

フランスのTricastin原子力発電所で爆発が起き1号機の変圧器が破損した。
1号機は爆発時に稼働中ではなく、炎は20分間で消し止められ環境の被害はないとのこと。

検証・大震災:ばらまかれた「フクシマ・ファイル」 原発商戦、仏したたか

◇「GEの事故」強調 アレバ、米でロビー活動

 東京電力福島第1原発事故から1カ月足らずの4月初旬、米ワシントン。水素爆発した過程などを図解したカラーの冊子(A4判33ページ)が、米連邦議会や政府関係者の間に出回った。

 後に「フクシマ・ファイル」と呼ばれるこの冊子は、フランスの原子力大手アレバ社のロビイストたちがばらまいたものだった。

 原子炉は「米ゼネラル・エレクトリック(GE)社製マーク1」。そう強調したうえ、内容は臆測を交えていた。実際には起こっていない貯蔵プールの使用済み核燃料の溶融までも記述。最終ページには「東京電力は、ほとんどの情報を開示していないようだ」と記した。

 事故対応に追われる日米両政府やGE関係者は衝撃を受けた。ロビイストたちは、冊子を配る時に「事故は日本特有のもの」と口にし、アレバ社の原発では起きないと言外ににおわせていた。「フクシマ・ファイル」は、原発ビジネスの競合相手を陥れる「工作」ととらえられた。

 サルコジ仏大統領が来日したのは、この冊子が出回るのとほぼ同じ3月31日。サルコジ氏は菅直人首相との会談で「必ず日本は再生する」と語り、全面支援を約束。仏ドービルで5月26日に始まる主要8カ国首脳会議(G8サミット)で日本の首相として初めての冒頭演説を要請した。

 「中傷」と「支援」を使い分けたかのような手法に、日本政府関係者は「仏は汚い」と憤った。だが、仏は事故の「特殊性」を強調することで原発ビジネスへの影響をできるだけ抑えつつ、震災前は優位にあった「GE・日立」「東芝・ウェスチングハウス」の日米連合を逆転する千載一遇の商機ととらえていた。

 「(アレバ社員を)あなたの部下として使ってください」。サルコジ氏の前日に訪日したアレバのロベルジョン最高経営責任者(CEO、6月末退任)も海江田万里経済産業相との会談で必死に売り込んだ。アラブ首長国連邦の原発入札で韓国に敗れ、自社の技術力を世界にアピールする思惑もあった。

 対照的にGE社のイメルト会長兼CEOの動きは鈍く、来日はロベルジョン氏より遅れた。経産省幹部は「原発の製造責任を追及されるのを恐れ、当初は政府関係者に会うことすら嫌がった」と明かす。

 イメルト氏は原子力事業で合弁している日立製作所の説得を受け、4月4日に海江田経産相と会談。事故処理に全面協力する意思を示したが、会談後に記者団から製造責任を聞かれると「原子力は長年安全性を保ってきた」とかわした。

 フランスの攻勢に押されたのは日本の原子炉メーカーも同じだった。福島第1原発の汚染水の浄化に必要な装置の納入を巡り、アレバ側は「どこよりもいいものを持っている。しかもすぐに納められる」と東電に売り込んだ。アレバに先を越された格好の日本のメーカー幹部は「耐え難きを耐えるしかなかった」と語った。

 受注に成功したロベルジョン氏は6月末の退任を前に「原発の低価格競争時代は終わった」と語り、同社製への自信を隠さなかった。

 新興国を中心に世界では180基以上の原子炉が建設・計画中で、市場規模は1兆ドル(約80兆円)。福島事故後も原子力エネルギーの需要は減ることなく、国際ビジネスの激しい競争が早くも再燃している。

毎日新聞 2011年7月4日6時0分 (引用)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110704ddm001040090000c.html

2011年7月4日月曜日

避難所で強姦致傷の疑い 気仙沼、会社員男を逮捕

宮城県警気仙沼署は3日、気仙沼市の避難所にいた女性を殴って乱暴しようとしたとして、強姦致傷の疑いで同市長磯鳥子沢74の5、会社員長田和彦容疑者(38)を逮捕した。長田容疑者は「知らない」と容疑を否認しているという。

 逮捕容疑は3日未明、ボランティアに来ていた川崎市の30代の自営業女性が寝ていたところ、頭を殴ったほか、カッターナイフのようなもので切りつけ、乱暴しようとした疑い。

 同署によると、周囲には数人の女性が寝ていたが、被害者の叫び声を聞くまで気付かなかったという。

47News 2011/07/03 23:35 (引用)
http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011070301000715.html


これはあくまでも氷山の一角であって、気仙沼、陸前高田、大船渡エリアでは、小中学生の抵抗できない女子の被害が後を絶たない。
本人も周りも被害届けを出すことを躊躇するケースが多く、警察も半ばお手上げの無法状態である。
しかしいつまでもこの様な犯罪が許されていい筈はなく、まもなく彼等には天誅が下ろうとしている。

原発「安価」神話のウソ、強弁と楽観で作り上げた虚構、今や経済合理性はゼロ

「原発の電気は安い」

 国をはじめとする原子力発電推進派の、これが決まり文句だった。

 1キロワット時の電力を作るのに、水力は約12円、石油11円。そこへもってくると、原子力なら半分の約5円で済む――。傑出した経済性は、ウラン燃料が比較的入手しやすい、燃料がリサイクルできる、CO2を排出しない、と並ぶ、「原発の4大美点」だった。

本当の費用は天文学的、政府推計は楽観的すぎる

 しかし、安全神話を一瞬で吹き飛ばしたのと同様、福島第一原発事故によって、「安価神話」の信憑性にも、疑惑のまなざしが向けられている。


■過小評価と抜け穴だらけ 「公式試算」のいいかげん

 原子力の発電コストは、三つの要素で成り立つ。

 第1が、燃料費や人件費など、電気を作るうえでかかる「発電費用」。第2が、発電に伴って出る使用済み燃料を再加工したり、廃棄物を処理する費用だ。後工程という意味で「バックエンド費用」と呼ばれる。

 これに、「立地費用」が加わる。原発を誘致した地元自治体に対する補助金や交付金がこれに当たる。

 驚くべきことに、国が言う「原発5円」は、1と2のコストしか含めていない。しかも、不備がある。

 まず、発電費用から、揚水発電のコストが外されている。

 揚水発電とは、夜間電力で水をくみ上げて上部調整池にためておき、需要の多い昼間に落水して発電する。原発はつねに一定の出力で発電するため、夜間は電気が余る。揚水はその有効活用策だ。つまり、揚水発電は原子力のために存在する存在であり、両者は不可分の関係にある。

 立命館大学国際関係学部の大島堅一教授は、電力各社の有価証券報告書をつぶさに検証し、本来かかったはずの発電コストを試算した。その結果、原子力と揚水を足したコストは2007年度で1キロワット時約9円と、国の試算の約2倍であり、火力の約11円とほぼ同じであることが判明した。

 ちなみに、揚水を除いた一般水力発電のコストが約4円で最も安く、国の言う「水力12円」説の“ウソ”も、併せて明らかになった。

 国の試算がさらに問題なのは、“第2の費用=バックエンド費用”が、極めて過少評価されている点だ。

 04年の政府審議会に提出された政府資料によると、バックエンド費用は総額約18.8兆円となっている。これでも十分巨額だが、今回、大島教授への取材に基づき本誌が試算したころ、実にその4倍、70兆円規模に膨らむ可能性があるとわかった。

 政府と本誌の試算は、大きく二つの費用で異なる。まずは、使用済み燃料の再処理費用だ。燃やし終わった燃料からウランやプルトニウムを取り出し、新たな燃料(MOX燃料)として使えば、ウラン資源を有効活用できるという考え方は、「核燃料サイクル」として、日本の原子力政策の根幹を成す。

 政府は、青森県六ヶ所村にある再処理工場の費用を11兆円とはじいている。だが、実は、六ヶ所再処理工場では、43年までに発生すると見積もられている使用済み燃料約6.4万トンの半分しか処理する能力を持ち合わせていない。だとすれば、コストも11兆円ではなく、2倍の22兆円と認識するのが自然だろう。もちろん、使用済み燃料にかかわる費用すべても、倍にして考える必要がある。


■あまりに楽観的な「歩留まり100%」前提

 それだけではない。リサイクル燃料であるMOX燃料も燃やし終えれば当然、使用済み燃料が出る。ところが、試算からはこの部分がすっぽりと抜け落ちている。

 六ヶ所はもともとウラン使用済み燃料の半量を再処理するために建設された工場で、MOX燃料を持ち込むことは本来できない。技術的に見ても、組成が異なるウラン燃料とMOX燃料を一緒に処理できないという見方もある。六ヶ所と同規模の専用工場を建てるなら、やはり11兆円以上が必要になる。再処理しないならしないで、MOX使用済み燃料分の処分費用がいるだろう。

 しかも、11兆円というのは、工場稼働率100%を前提にしているのだから楽観的というほかない。実際は、フランス・アレバのラ・アーグ工場が稼働率56%、英国セラフィールド工場は4%にとどまる(各07年)。歩留まりが下がれば、反比例してコストはかさむ。ひいき目に見て稼働率70%としても、22兆+11兆=33兆円の処理費用は47兆円に膨らむと考えてもおかしくはない。

 高レベル放射性廃棄物の処分に関する費用に至っては、国の見積もりは決定的に「甘い」。高レベル廃棄物というのは、使用済み燃料を再処理する際に出る液体状の廃棄物で、安定した物質であるガラスを混ぜて「固化体」にされる。固化体は、30~50年かけて冷まされた後(中間貯蔵)、地下300メートルより深い地層に最終処分される。政府は、固化体1本のコストを3530万円として、2兆円余りとはじいている。

 ところが、である。高レベル廃棄物は、過去、フランスや英国に固化を委託してきた。固化を終え返還された燃料は、現在は六ヶ所村で中間貯蔵されている。大島教授はこれについても、電気事業連合会の資料から検証した。結果、1本の貯蔵費用は1億2300万円程度と、政府前提の3.5倍にも達することがわかった。

 「地下に埋めて半永久的に人類から隔離する費用が、当座の管理費用より安いとは考えにくい。少なくとも同じと見るべきだろう」と語る。高レベル廃棄物もほかと同様、全量再処理ベースで計算すると、(2.55兆円×2)×3.5=約17.8兆円。これは、国試算ベースの7倍に相当する。“真”のバックエンド費用は約74兆円──。金額の当否はともかく、国の見積もりはあまりに楽観的だ。


■再生可能エネルギーが将来いちばん安くなる

 最後に、第3のコスト。発電所の建設を受け入れた地元自治体には、見返りとして、多額の交付金や補助金が流れる。これも、発電コストにほかならない。

 再び大島教授の試算によると、1キロワット時当たりの開発単価と立地単価の合計は揚水を含む原子力が2.1円、火力と水力が各0.1円(1970~2007年度)だった。これを足した同期間の「総コスト」は、揚水を含む原子力が12.23円、火力9.9円、水力3.98円となった。原子力発電は、最も割高な発電だったことになる。神話は虚構だった。

 しかも、これまで見てきたように、バックエンド費用は明らかに過小に見積もられている。さらに言えば、事故に関する費用は、まったく含めていない。福島第一原発の事故処理、賠償、そして廃炉にかかる費用――原発の経済合理性について斟酌(しんしゃく)する余地はもはや、どこにもない。

 ちなみに東京電力は、1970年度からの37年間で得た原子力事業からの利益約4兆円を一瞬にしてなくした。東電にとって原発はまったく割に合わない電源だった。

 大島教授は言う。「原発の経済パォーマンスは想像以上によくない。特に、再処理はおろかな政策であり、すぐにやめるべきだ」。

 使用済み燃料を再処理して得られるMOX燃料は金額にして9000億円分に相当する。そのために、再処理に11兆円、MOX燃料加工に1.9兆円(ここでは政府試算どおり)もの費用を投下するのだ。

 「おカネをドブに捨てているようなものだ。それだけの費用があれば、風力発電や太陽光発電を市場でテイクオフさせられる。立地・開発に関する補助金も、利用目的を転換していくことはできるだろう」(同)。

 菅直人首相が、先月の仏ドービル・サミットで「20年代に20%にする」とブチ上げた再生可能エネルギーは、燃料費がかからない。かつ国産である。

 「さらに、原子力との著しい違いは、原子力コストはこれからも上がり続けるのに対して、再生可能エネルギーのコストは下がる一方だということだ」と言う大島教授は、原子力に傾斜してきた日本のエネルギー政策を「再生可能エネルギーの成長を見過ごした産業政策の失敗」だと位置づける。

 あぶり出された原子力のウソ――それは同時に、原発の真実の姿も白日の下にさらしている。そこから目をそらすことは、もうできない。


東洋経済オンライン 6月23日(木)13時9分配信
(週刊東洋経済2011年6月11日号)

※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/7499f2bb819d113061fed47cced06f62/page/1/

【インタビュー】日本の放射能問題は深刻=元内閣官房参与・小佐古氏

【東京】菅内閣の元官房参与、小佐古敏荘氏(61)が原発事故に対する政府の対応を痛烈に批判し、今後、放射能の脅威がさらに露呈する可能性があると警告した。

 ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューに応じた小佐古氏は、菅内閣は海の汚染や魚への影響について迅速な分析ができておらず、汚染除去コストを最小限に抑えるために特定の放射能の危険性を過小評価していると述べた。日本の放射線安全学における第一人者である小佐古氏がメディアの取材に応じたのは、4月に内閣官房参与を辞任して以来初めて。

 同氏は、茶葉やほうれん草など、食品の汚染については、既に散発的に報告されているものの、今年後半、特に日本人の主食である米の収穫が始まった頃に、より広範な、憂慮すべき問題が明らかになるだろうとした。

 同氏は、「今年の秋の収穫の時期が来れば混乱がおきる。収穫した時に米の中に、どのようなレベルかわからないが、放射能が入っている。それがスキャンダルになり、東北の米は買わないということになれば、やっかいなことになる」と述べた。

 さらに、3月11日に原子炉が津波の被害を受けて以来、福島第1原発の状況に対して政府がとってきた対応は、日本の政策決定のまずさを露呈したとし、「政府の意思決定メカニズムははっきりしない。どういう理屈で何を決めているのかはっきりしない。とても民主主義社会とは思えない」と述べ、東アジアの発展途上国のような状況になっているとの見方を示した。

 小佐古氏は、具体的に、校庭における放射能の許容水準を超える学校が17校にとどまるよう、政府は許容水準を比較的高いレベルに設定した、と述べた。同氏が主張していたようにより低い水準に設定した場合、何千校もの学校で全面的な放射能除去作業が必要になる。菅首相率いる民主党は補正予算の国会承認を得るために苦慮しており、同氏は、このようにコストがかかる選択肢は支持されなかった、としている。

 「今の内閣は生き延びるためだけに、色々な対策をうっているとしか私には考えられない」と同氏は述べた。

 本紙が小佐古氏の主張について政府のコメントを求めたところ、内閣府の高官が匿名で回答し、政府は海の放射能除去に向けて最大限の努力をしており、漁業従事者やその他関係者と緊密に協力していると述べた。

 同高官は、「特に主食の米には細心の注意をはらっている」と述べ、既に作付けは制限されているが、もし基準値を超える放射能が検出された場合は出荷を停止すると付け加えた。

 また、学校の問題については、政府は許容レベルの引き下げに向けて検討中であり、追加措置も考慮しているとした。

 今年4月30日、政府や学界の審議会などに数多く参加してきた東京大学教授の小佐古氏が菅内閣の官房参与を辞任したため、政府の原発事故対応をめぐる懸念に拍車がかかった。小佐古氏は、同氏を含む専門家が行った多くの申し入れは取り入れられなかったとしており、政府が定める校庭の放射能許容水準は「受け入れられない」とした。自分の子どもでもそういう目に遭わせることはできないと記者会見で涙をぬぐう同氏の姿は全国に放映された。

 その後2カ月間、同氏は東京大学で放射線安全学の講義に集中してきたが、まずは海外で心の内を明かす準備ができたと述べ、今後数週間は米国や台湾で講演を行う。

 同氏は、特に、被災した原子炉から周辺の海に廃棄された大量の放射性物質が海を汚染する可能性について懸念を深めている。政府は、福島第1原発の原子炉冷却過程で、何が海に廃棄されたのか、大ざっぱな報告しか発表していない。小佐古氏は、海水の監視や、汚染水の拡散状況の予想をこれまで以上に行い、海草から貝類、魚類にいたるまで様々な種類の汚染に対応するための措置を実行するように求め、「ずっとやれやれといってきたのに、やっていない」と述べた。

 同氏は辞任の際、官房参与だった6週間に行ったすべての申し入れをまとめた、「福島第一原子力発電所事故に対する対策について(参与提言を中心に)報告書」と題する分厚い文書を政府高官に提出した。本紙は独立した情報源からその文書のコピーを手に入れている。

 3月16日に官房参与に着任して以来、小佐古氏とその他の専門家の一部は幅広く様々な提言を行ってきたが、中には何週間も経ってから一般に知られるようになったものもある。例えば、3月17日には、政府の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で「合理的な最悪のケース」を使い、住民の被曝レベルを予想することを提言した。

 3月18日には、政府の原子力安全委員会に対し、SPEEDIによるシミュレーションに基づいて、当初の避難区域の妥当性を再考するように勧告した。

 しかし、SPEEDIデータは3月23日まで一般には公開されず、避難区域は4月11日まで変更されなかった。政府を批判する向きは、そうした遅れによって、何千人もの福島県住民が高レベルの放射能にさらされた可能性があるとしている。

記者: YUKA HAYASHI


The Wall Street Journal 2011年 7月 2日 13:02 JST
http://jp.wsj.com/Japan/node_258611

電力会社・崩れる牙城:発送電分離の先駆、英米では 停電頻発、安価の代償

菅政権が検討に着手した発送電分離だが、欧米では既に取り組んでいる。先駆けとなった英国と米国の現状を報告する。

 「電気代節約のため電力会社を変えるのは日常茶飯事よ」。ロンドン市内で夫と年金生活を送るレイナ・ウルフさん(70)は話す。英国では、利用者が複数の配電会社から料金などを比較して選べる。

 市場原理を重視するサッチャー政権が電力自由化に着手。90年には国有電力会社を発電会社3社と送電会社1社に分割・民営化した。消費者に配電する小売市場も自由化された。独仏などの企業も相次いで参入。会社員のベッキー・ハバートさん(31)は自宅購入を機に電力会社選びを始めた。「調べてみてびっくり。会社によって年間200ポンド(約2万6000円)も料金が違う」と自由化の効用を強調する。

 ただ、コスト競争への対応で経営効率化を迫られ、巨額の費用が必要な発電所への投資が滞るなど自由化の弊害も出始めている。英政府は09年2月、「20年までに総額200億ポンド(約2兆6000億円)の投資をしなければ、電力供給が不足し、大規模停電が起きる可能性がある」との報告書を発表し、電力業界に警鐘を鳴らした。

 米国でも90年代以降、電力自由化が各州に拡大し、発送電分離の動きが相次いだ。09年末時点で3000社超の事業者が乱立。20年近くに及ぶ電気料金値下げ競争とコスト削減で設備投資の遅れが指摘される点は英国と共通している。特に送電網の老朽化は深刻だ。

 首都ワシントン郊外のメリーランド州ロックビル市に住むアリッサ・ウィーナーさん(43)は買い物から戻り、自宅の電気がつかないことに気づいた。「また停電ね」。動じることもなく、ランタン型の懐中電灯をテーブルに載せ、読書を始めた。「半年に1回は停電しているから慣れているの」と平然。冷蔵庫の中身は停電のたびに全て廃棄し買い直しているという。

 ワシントン周辺では年2~3回の停電が当たり前だ。原因は雷雨や強風などだが、今年1月には10センチの降雪で24時間以上停電した地域もあった。

 カリフォルニア州で00~01年に大停電が発生したのは、州当局の勧告を受け、電力会社が発電設備を売却するなどの発送電分離が進み、設備投資が滞ったためだ。03年にはニューヨークなどで北米大停電が発生し、電力自由化を取りやめる州も出ている。オバマ大統領が「スマートグリッド(次世代送電網)推進」を掲げたのも脆弱(ぜいじゃく)な送電網への危機感が背景にある。

 ◇日本、新規参入阻むコスト高 「安定供給が命綱」産業界、分離論けん制
 「電力の品質を損なうことになればまずい」。半導体メーカーなどが加盟する日本電機工業会の下村節宏会長(三菱電機会長)は5月末の会見で、菅直人首相らが言及した発送電分離論をけん制した。半導体などの超精密機器の生産にとって電力の安定供給という品質は「命綱」だからだ。電力業界は「発送電分離は顧客への安定した電力供給の責任をあいまいにする」と発送電一括管理の重要性を主張してきた。

 確かに日本の電力の「品質」の高さは世界トップクラスだ。年間の平均停電時間は14分(09年度)で世界で最も短い。電力業界によると「風力発電の比率が高い沖縄県が台風の影響で停電が比較的多く、東京電力管内では2分」という。さらに瞬間的に電圧が低下するトラブルも超精密機器には大敵だ。だが「年数十回にも上ることがある欧米に比べ、日本はひとけた」(松村年郎名古屋大教授)と安定した電力供給が日本製品の信頼性を支えてきた面がある。

 しかし、日本の電気料金は、電力自由化が進んだ米欧よりも割高だ。インターネット通販大手、楽天の三木谷浩史社長は「電力コストが高いと国際競争力に影響する。新しい流れが必要だ」と、発送電分離を批判する経団連から脱会した。IT(情報技術)業界はデータセンターで大量の電力を必要とするため高い電気料金はマイナスに働く。

 日本も制度上は、大口需要家向けの電力小売りは自由化されている。だが、電力大手以外の販売量シェアは10年度で3・4%に過ぎず、大手の「地域独占」は崩れていない。新規事業者が電力大手の送電網を利用して送電する際の利用料が電気料金の2割程度を占め米国よりも負担が重く、参入のハードルが高いからだ。

 地域独占の発送電一貫体制の弊害は、福島第1原発事故後の東電の「計画停電」でも表面化した。大手電力同士で融通できる電力には限りがあり、大手以外の事業者は肩代わりできるほどの発電能力を持たない。東電が電力供給をストップした途端、交通網などは大混乱した。

 第二次世界大戦前の日本の電力業界は、ほぼ自由市場で数百社の電力会社が乱立していた。戦時中の国家統制による一元管理体制を経て、1951年に全国を9地域に分け、各地域を電力9社がそれぞれ独占する体制(現在は沖縄電力含め10社)がスタートした。それから60年を経て、震災と原発事故という未曽有の危機に直面し、電力システムのあり方が根底から問い直されている。(立山清也、三沢耕平、宮崎泰宏、野原大輔、和田憲二、ロンドン会川晴之、ワシントン斉藤信宏が担当しました)

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 ◆各国の年間停電時間◆

米国   417分

英国    76分

フランス  62分

ドイツ   17分

日本    14分

 ※1世帯あたり。米国はカリフォルニア州。日本は09年度。米国、英国、ドイツは08年。フランスは07年。電気事業連合会調べ。

毎日新聞 2011年7月3日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110703ddm003020081000c.html

電力会社・崩れる牙城:東電解体、極秘プラン 政権幹部「発送電分離が焦点」

◇「賠償支援は応急措置」

 東京電力福島第1原発事故を受け、仙谷由人官房副長官ら政権中枢が「地域独占の電力供給のゆがみ是正と東電の体制見直しを本格検討する」と事実上の「東電解体」を目指す内部文書を作成していたことが分かった。原発事故の損害賠償で政府は6月、東電を支援する原子力損害賠償支援機構法案を閣議決定したが、文書は「あくまで応急措置」と明記。文書作成に携わった政権幹部は「東電の体制見直しは発電・送電事業の分離と原発国有化が焦点となる」と断言する。

 政府が東電の賠償支援策を検討していた4月から5月上旬にかけ、東電の勝俣恒久会長は、首相官邸で賠償問題を引き受けてきた仙谷氏とひそかに会談した。勝俣氏は「東日本大震災は原子力損害賠償法が『電力会社は免責』と定める巨大な天災地変」との文書を手に免責を訴えたが、仙谷氏は一蹴し、「東電を徹底的に『仕分け』する」と迫ったという。

 関係者によると、仙谷氏の構想は、東電の送電事業(送電・変電・配電)を売却し、原発は国有化して、東電は火力、水力などの発電事業だけにする。東電の総額7兆円超の電気事業資産のうち、1・6兆円程度しか残らない計算で「原発事故の背景となった官僚的体質の温床」と指摘される地域独占は崩壊する。また、送電事業の売却益を賠償費用に充てることも可能だ。

 仙谷氏と勝俣氏の会談が数回にわたって行われているころ、経済産業省は「賠償を支払うため、16%の電気料金値上げが必要」とする賠償支援策の原案を作っていた。東電は国の資金支援を受けながら賠償を続ける一方、原発から火力発電に切り替える燃料費増を電気料金に上乗せして収益を確保し、国への返済原資とする内容だ。

 この案では、地域独占で毎年約5兆円の電気料金収入を保証されてきた東電の収益構造は温存され、原発事故のツケは電気料金値上げという形で国民に回される。「こんな国民負担は世間に通用しない」。仙谷氏は経産省幹部をどやしつけた。

 しかし、東電の11年3月期決算の発表が5月後半に控えていた。「政府の賠償支援策が固まらなければ、東電は膨大な賠償負担を背負って債務超過に陥る」との観測が広がった株式市場は大きく動揺した。

 仙谷氏ら官邸側は、やむをえず経産省案をベースに、電気料金の値上げは明示せずに政府の支援策をまとめた。同時に「今回の支援策は、あくまで東電の決算を円滑に実行し、市場を動揺させない観点から応急的に措置するもの」と指摘したうえで「東電解体」を今後本格的に検討する方針を明記した内部文書を作成し、勝俣氏に「通告」した。

 政府が支援策を決定した3日後の5月16日、枝野幸男官房長官が発送電分離について「選択肢として十分あり得る」、18日には菅直人首相も「議論すべきだ」と相次いで意欲を示した。

 ◇10年前にも浮上
 発送電分離は約10年前、当時の世界的な電力自由化の流れの中で議論されたことがある。東電と蜜月関係にあった経産省で一部の「反東電派」が中心となったが、電力業界が与党だった自民党を抱き込んで強く抵抗し、議論は頓挫した。

 東電の資産を洗い出すため政府が有識者を集め、6月に設置した「東電に関する経営・財務調査委員会」。発送電分離論者の松村敏弘東大教授らが名を連ね、リーダー役の仙谷氏は周辺に「自民党政権下で確立された電力会社を頂点とする幕藩体制を壊す」と産業構造の大転換に意欲を見せる。

 だが、菅首相は退陣を表明しており、「東電解体」の推進力を欠く。東電にOBを役員として天下りさせてきた経産省の幹部は「東電を攻めているという政治的アピールだけ。この政権はしょせん何をやっても実現しない」と冷ややかだ。

    ◇

 東電に代表される電力会社が地域独占を背景に築いてきた牙城。その基盤が原発事故を機に崩れようとしている。電力会社をめぐる構図を多角的に検証する。(随時掲載)

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 ■ことば

 ◇発送電分離
 電力会社が一括して管理してきた電力事業を「発電」と「送電」の機能別に分離し、それぞれ別の事業者に行わせること。「配電」(発電所から送電された電力を家庭や企業に送り届ける機能)も分離の対象になることが多い。発電事業への新規参入組も送電網を公平な条件で使えるようになるため、電力市場の競争が活発化し、電気料金の値下げや太陽光発電など再生可能エネルギーの普及促進につながるとされる。

毎日新聞 2011年7月3日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110703ddm001020063000c.html

松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発





 松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地である岩手・宮城両県を訪ね、両県知事と会談した。前日の福島県に続く就任後初めての被災地訪問だが、被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発した。週明けの国会で野党が追及する可能性もある。

 最初に訪れた岩手県庁の玄関前では、衛藤征士郎・衆院副議長からもらったというサッカーボールを持ち出し、「キックオフだ」と達増拓也知事に蹴り込んだが、達増氏は取り損ねた。

 会談では、仮設住宅の要望をしようとする達増知事の言葉を遮り、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。仮設住宅での孤独死対策などの国の施策を挙げ、「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話した。

 午後に訪問した宮城県庁では、応接室に後から入ってきた村井嘉浩知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と語った。被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた。

 松本氏は防災相から引き続き震災対応に当たることもあって村井氏は面会後、記者団に「地元のことをよく分かっている方が大臣に就任して喜んでいます」と述べた。しかし、ある県幹部は「被災地に来て、あの言動はない」と憤っていた。(山下剛、高橋昌宏)

asahi.com 2011年7月3日21時38分 (引用)
http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY201107030246.html



この人は一体何様のつもりなのだろう。上から目線で威圧的な物の言い方が嫌いだ。



2011年7月3日日曜日

防衛省が開発した球形飛行体



この球形飛行体の特徴として、

・どこでも離着陸ができる
・小回りがきく(正確な飛行で屋内でも捜索可)
・カメラを付けられる
・時速60kmで飛行可能
・材料費は11万円(秋葉原で調達)
・開発段階で飛行時間は8分

今後、災害派遣やテロ対策のような場面で活躍が予定されており、人が立ち入りにくい災害時の原発建屋内でも活躍ができそうです。

東日本大震災の地震保険金 総額1兆円超える


社団法人・日本損害保険協会は22日、東日本大震災による地震保険金の総額が1兆円を超えたと発表した。
協会によると、6月21日時点での地震保険の支払件数は、東北地方の29万8069件を含む合計55万4005件。保険金の支払総額は1兆5億9619万4000円となり、1兆円を超えた。
保険金支払額で過去最高額となった1995年阪神・淡路大震災の783億円をすでに大きく上回っている。

新建ハウジングWeb 6月23日(引用)
http://www.s-housing.jp/archives/13279

関西電力の火力発電所停止 夏の電力需給に影響も

関西電力は2日、兵庫県姫路市にある火力の姫路第2発電所5号機(出力60万キロワット)に不具合が見つかり、同日午後9時から運転を停止する作業に入ったと発表した。7月下旬に運転を再開するとしているが、夏場の電力需給に影響が出る可能性がある。
関電によると、1日の定期巡回点検で、発電関連の装置の中にあるヒューズの一部で断線が発見された。点検の結果、ほかの部品でも劣化が確認され、運転を停止することにした。
関電は夏場の電力確保のため、火力発電所を最大限活用する計画だが、今回の運転停止は痛手となりそうだ。


西日本新聞 2011年7月2日 23:09 (引用)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/251562

2011年7月2日土曜日

東日本大地震における地球規模の情報の流れ(ツイッター)

大きなイベントがあると、人は Twitter を使って友達や家族、世界中のフォロワーにニュースや自分の考えを共有するようになりました。そして、ある場所から発せられた情報がリツイートや返信、ダイレクトメッセージを通じて瞬く間に世界中に拡散します。この現象は、ワールドカップなどのスポーツイベントからテレビで幅広く報道されるようなロイヤルウェディングまで、様々なイベントにおいて見られました。また、今年の3月11日に発生した東日本大地震のような大規模災害に直面した際にも見られました。特に東日本大地震では、地震とその直後の津波の際に合計5回に渡って5,000 TPS (秒間ツイート) を超えたことが確認されています。下記のビデオは、東日本大地震において、世界中の Twitter での情報の流れを示しています。

パーソナルメッセージ
地震直後、友達や家族の安否を確認するための日本国内から発信されるツイート数が500%にも跳ね上がりました。下記のビデオは、地震前後1時間における日本へ発信された@返信 (赤色)、日本から発信された@返信 (黄色) のボリュームを示したものです。


情報の拡散
下記のビデオは、地震後の1時間における日本から発信されたツイートに対するリツイートの流れを示したものです。日本から発信された元のツイートを赤色、フォロワーによるリツイートを緑色で示しています。


地球的規模であろうが、局所的な規模であろうが、Twitter は 〜広い意味ではテクノロジーそれ自体が〜 自分達の目を通して世界を見ることを可能にしてくれました。結果として、かつてなく簡単に情報を共有でき、コミュニケーションすることが可能となりました。そして、世界はより身近なものになりました。


Twitterブログ 6月30日(引用)
http://blog.jp.twitter.com/2011/06/blog-post_30.html


こうして可視化することによりツイッターが災害時の情報交換に大いに役立ったことが分かります。

計画的避難区域で女性自殺か

1日午前、計画的避難区域に指定されている福島県川俣町の空き地の焼け跡から58歳の女性の遺体が見つかり、女性は原発事故の影響で仕事を失い避難生活を続けていることから、警察は自殺の疑いが強いとみて調べています。

1日午前7時半すぎ、川俣町山木屋地区で61歳の男性が自宅近くの空き地で煙が上がり、58歳の妻が倒れているのを見つけました。通報を受けた警察官が現場に駆けつけたところ、女性はすでに亡くなっていたということです。女性の夫によりますと、2人は、自宅が計画的避難区域に指定されたため、先月19日、子どもたちとばらばらに避難していて、1日は片づけのために自宅に戻っていたということです。また女性は、夫とともに勤めていた自宅近くの養鶏場が、避難に伴って休業したため仕事を失い、最近は経済的な不安や、慣れない避難生活が苦しいとたびたび漏らしていたということです。警察は現場の状況などから女性が自殺した疑いが強いとみて、当時の状況を詳しく調べています。


NHK News web 7月1日 21時53分 (引用)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110701/t10013922811000.html


こういう事件があったら、東電にコメントを求めに行くのが本来のジャーナリストの姿だと思うが、NHKはそういう事はしない様だ。
この悲劇もまた原発が原因となって引き起こしたものだ。
放射能汚染以外にも、原発は人間を不幸にする悲しい力を持っている。
世界中から原発が無くなることを願うと共に、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。