松本健一内閣官房参与は18日までに産経新聞社のインタビューに応じ、仙谷由人官房副長官が中心となり東日本大震災の「復興ビジョン私案」を3月中に作成したが、菅直人首相はいったん了解しながら最終的に握りつぶしたことを明らかにした。
首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。
また、松本氏は「復興の財源確保にあたっては被災者からもあまねく税をとるやり方はダメだ」と復興税の導入に反対したが、首相は「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れず、復興税に固執したことなども証言した。
◇
東日本大震災発生から5カ月間、首相官邸は空転し続けた。首相は「人間の配置」「法律化のための手順」「お金」の3つをすぐに考えられないといけないんだけど、菅直人首相はそれができない。
「原発を止めろ」というのは思いつきなんだけど、その先の電力の手当てをどうするか。人を使うならその人に任せて「オレが責任をとる」と言わなければならないのに、すべて「自分が自分が」となってしまうんだな…。
「脱原発」を表明した時も、太陽光パネルを1千万戸に展開すると言った時も、菅さんは官邸の誰にも相談していない。自国では原発をやめちゃうけど、外国には輸出すると閣議決定するなんて論理矛盾も甚だしいことです。
菅さんは「オレはものすごく原子力に詳しい」と言っていたけれど、あれも30年前の状況を言っているだけ。素人ではないとはいえ、現在の原発がどうなっているかなんてあまり知らないと思いますよ。
3月17日に仙谷由人氏が官房副長官として官邸に戻ってきた。早速、復興のアイデアをまとめて届けたら「いいアイデアだから首相にも言っておいて。俺からも言っておくから」と言うので、23日に菅さんに面会して「復興ビジョン私案」を示し、了解を得た。勘はいいんですよ。そのとき私が復興の財源確保のために復興債を挙げると、菅さんはすぐに「償還はどうする?」と聞いてきた。
私は「復興債を発行し、10年先20年先の相続のとき減免すれば庶民には重税感もなく、すぐに復興財源はまかなえる」と主張したけど、菅さんは「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れなかった。財務省にのみこまれたといっていい。
そして1週間後には「復興構想会議をつくるから復興はそこでやっていく」と言い出した。そのころ復興は「チーム仙谷」で動いていたから菅さんは「脚光をこいつらが浴びるのはちょっと…」と思った。自分がやりたくなる。それが菅さん。国民の方を基本的に向いてこなかった。
でも、6月25日に出てきた構想会議の提言に、私たちの案を超える内容は一つもなかった。
こういう非常時には決まって「今ここでオレが出ていけば物事は解決できる」と勘違いした人物が出てくるもんです。徳川慶喜や近衛文麿元首相もその例でしょう。
菅さんには市民運動家のころから「いずれ首相になりたい」という野望はあったんでしょうが「首相になって何をやりたい」というのはなかった。だから政策をどうするとか、人脈を築くとか、具体的なものもない。結局外堀を埋められ、そして誰もいなくなった。それでは政治はできない。
菅さんは現実の人間を見て政治をやっていないんです。こんなだから外交でもじり貧の負け戦ばかり。先の大戦のミッドウェー海戦のように現実を見ず「ここで勝てば形勢を逆転できる」と思い込み、負け戦を繰り返す。それが10月の訪中計画だったりするわけですよ。
菅さんには自分が脚光を浴び、「よくやった」と喝采をされたいというところがある。そういう意味ではポピュリストなんです。戦時中の東条英機元首相なんかもそうだったよね…。(村上智博)
MSN産経ニュース 2011.8.18 23:59 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110819/plc11081900010000-n1.htm
首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。
また、松本氏は「復興の財源確保にあたっては被災者からもあまねく税をとるやり方はダメだ」と復興税の導入に反対したが、首相は「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れず、復興税に固執したことなども証言した。
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東日本大震災発生から5カ月間、首相官邸は空転し続けた。首相は「人間の配置」「法律化のための手順」「お金」の3つをすぐに考えられないといけないんだけど、菅直人首相はそれができない。
「原発を止めろ」というのは思いつきなんだけど、その先の電力の手当てをどうするか。人を使うならその人に任せて「オレが責任をとる」と言わなければならないのに、すべて「自分が自分が」となってしまうんだな…。
「脱原発」を表明した時も、太陽光パネルを1千万戸に展開すると言った時も、菅さんは官邸の誰にも相談していない。自国では原発をやめちゃうけど、外国には輸出すると閣議決定するなんて論理矛盾も甚だしいことです。
菅さんは「オレはものすごく原子力に詳しい」と言っていたけれど、あれも30年前の状況を言っているだけ。素人ではないとはいえ、現在の原発がどうなっているかなんてあまり知らないと思いますよ。
3月17日に仙谷由人氏が官房副長官として官邸に戻ってきた。早速、復興のアイデアをまとめて届けたら「いいアイデアだから首相にも言っておいて。俺からも言っておくから」と言うので、23日に菅さんに面会して「復興ビジョン私案」を示し、了解を得た。勘はいいんですよ。そのとき私が復興の財源確保のために復興債を挙げると、菅さんはすぐに「償還はどうする?」と聞いてきた。
私は「復興債を発行し、10年先20年先の相続のとき減免すれば庶民には重税感もなく、すぐに復興財源はまかなえる」と主張したけど、菅さんは「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れなかった。財務省にのみこまれたといっていい。
そして1週間後には「復興構想会議をつくるから復興はそこでやっていく」と言い出した。そのころ復興は「チーム仙谷」で動いていたから菅さんは「脚光をこいつらが浴びるのはちょっと…」と思った。自分がやりたくなる。それが菅さん。国民の方を基本的に向いてこなかった。
でも、6月25日に出てきた構想会議の提言に、私たちの案を超える内容は一つもなかった。
こういう非常時には決まって「今ここでオレが出ていけば物事は解決できる」と勘違いした人物が出てくるもんです。徳川慶喜や近衛文麿元首相もその例でしょう。
菅さんには市民運動家のころから「いずれ首相になりたい」という野望はあったんでしょうが「首相になって何をやりたい」というのはなかった。だから政策をどうするとか、人脈を築くとか、具体的なものもない。結局外堀を埋められ、そして誰もいなくなった。それでは政治はできない。
菅さんは現実の人間を見て政治をやっていないんです。こんなだから外交でもじり貧の負け戦ばかり。先の大戦のミッドウェー海戦のように現実を見ず「ここで勝てば形勢を逆転できる」と思い込み、負け戦を繰り返す。それが10月の訪中計画だったりするわけですよ。
菅さんには自分が脚光を浴び、「よくやった」と喝采をされたいというところがある。そういう意味ではポピュリストなんです。戦時中の東条英機元首相なんかもそうだったよね…。(村上智博)
MSN産経ニュース 2011.8.18 23:59 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110819/plc11081900010000-n1.htm
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