ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)
ドイツのTV局ZDF「フロンタール21」シリーズが 8/26 放送した番組 Die Folgen von Fukushima。
福島第一原発から80キロ離れた本宮の農家大沢さんは、自分の栽培する野菜の検査を市民放射能測定所に依頼した。
県の食品衛生検査所では受け付けてもらえなかったからだ。
結果大量のセシウムが発見される。
「これはもはや食べ物ではなく放射性廃棄物です」。
なぜ行政はこうした検査を受け付けないのか、ドイツの記者が原発担当大臣を問い詰める。
また、福島県は26日、福島市と南相馬市のユズ4検体から国の暫定規制値(同500ベクレル)を上回る680~2400ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110827k0000m040076000c.html
▶野菜・果実(H23.8.23-25採取分)[PDF形式]
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/mon230823-25v.pdf
福島市と南相馬市のユズから高い数値が出ていることに関して、同じ南相馬市のユズでも830ベクレルと2400ベクレルと大きな差があるように、同じ地町村でも場所が少し違うだけで汚染の量に大きな差が出るということは、同じ地域の検体数をもっと増やさなければならない。
Entelchen3 さんが 2011/08/28 にアップロード
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU&feature=player_detailpage
2011年8月30日火曜日
永続化する帰宅制限 被災住民に募る疑念
「国はやっぱり、原発の周辺に最終処分場を造るつもりなんじゃないか。帰宅制限の延長はその布石だと思ってしまう」
東京電力福島第1原発が立地する福島県双葉町の主婦、吉田サダ子さん(76)はそう話す。自宅は原発から約4キロ。現在、福島市内の仮設住宅で夫の義雄さん(85)と2人で暮らす。静岡県に嫁いだ娘から同居の誘いもあったが、義雄さんの「双葉が恋しい。先が長くないなら、生まれ育った故郷の近くで死にたい」という言葉で、仮設住宅への入居を決めた。
サダ子さんによると、住民らの最近の話題はもっぱら帰宅制限の延長。「二度と故郷へ帰れない」と考える人も増えているという。
「普通のごみ処分場でさえ反発が起きるのに、汚染ごみを引き受けてくれるところなんてない。国は私らに黙って(建設を)決め、後から説明するのでは」
サダ子さんは最近、双葉町での日々がしきりに懐かしく思えるという。ヨモギやナデシコを摘んだこと、穏やかな町並み、遠い山々…。「双葉町が最終処分場になるなら、それ以上悲しいことはありません」。そう言って目を潤ませた。
■■■
住民らにこうした疑念が生じるのは、政府が放射性物質(放射能)に汚染されたがれきなど災害廃棄物の処理について、明確な道筋を示していないためだ。
菅直人首相は27日、汚染廃棄物の中間貯蔵施設を福島県内に建設したいとする政府の意向を表明したが、場所や貯蔵方法などの具体的な説明はなかった。細野豪志原発事故担当相も「中間貯蔵施設がそのまま最終処分場に移行することはない。最終処分場は県外に造る」という方針を改めて示したが、細野氏は「私がこの問題に関わっている限りは」との留保を付けたままだ。こうした“逃げ道”を残すやり方が続く限り、地元住民らに政府への信頼は生まれない。
住民らが疑念を抱く背景には別の理由もある。原発事故の対策を検討するために民主党が設置した「党原発事故影響対策プロジェクトチーム」(座長・荒井聡衆院議員)が8月3日にまとめた第1次報告だ。報告は、原発内にある使用済み核燃料の処理が難航する見通しを示し、「原発周辺での居住が長期間不可能な場合は、土地を国有化し、住民の移住を促す」と提言した。住民の多くは「核燃料処理のため」という理由で故郷が国有化され、結局は最終処分場の用地にされるのでは、と恐れている。
「最終処分場への布石では」 被災住民に募る疑念
違う意見の住民も中にはいる。「私は故郷を最終処分場にしてもいいと思う。その方が国や被災者のためにも望ましい。周囲からの反発を恐れて口には出せないだけで、そう思っている人は少なくないのでは」。双葉町に隣接する大熊町の男性会社員(52)はそう打ち明けた。
男性によると、原発周辺を最終処分場にすることで、汚染ごみを運搬する手間がなくなる。日本を含め世界中で処理が問題になっている使用済み核燃料を受け入れ、各国から対価を受け取り、補償や復興費に充てることも可能だという。
「故郷が処分場にならないなら、それに越したことはない。だが現実として今後、原発周辺で子育てする人はいない。いずれ無人になる土地なら、他の地域に迷惑をかけるより、復興の礎にすべきだ」と話した。
いずれにしても、政府が早く方針を示さないことには何も変わらないし、動かない。震災から半年が近づいている。政府はこれまで何をやってきたのか。
産経ニュース 2011.8.29 22:42 (連載は小野田雄一氏が担当)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110829/dst11082922450017-n1.htm
東京電力福島第1原発が立地する福島県双葉町の主婦、吉田サダ子さん(76)はそう話す。自宅は原発から約4キロ。現在、福島市内の仮設住宅で夫の義雄さん(85)と2人で暮らす。静岡県に嫁いだ娘から同居の誘いもあったが、義雄さんの「双葉が恋しい。先が長くないなら、生まれ育った故郷の近くで死にたい」という言葉で、仮設住宅への入居を決めた。
サダ子さんによると、住民らの最近の話題はもっぱら帰宅制限の延長。「二度と故郷へ帰れない」と考える人も増えているという。
「普通のごみ処分場でさえ反発が起きるのに、汚染ごみを引き受けてくれるところなんてない。国は私らに黙って(建設を)決め、後から説明するのでは」
サダ子さんは最近、双葉町での日々がしきりに懐かしく思えるという。ヨモギやナデシコを摘んだこと、穏やかな町並み、遠い山々…。「双葉町が最終処分場になるなら、それ以上悲しいことはありません」。そう言って目を潤ませた。
■■■
住民らにこうした疑念が生じるのは、政府が放射性物質(放射能)に汚染されたがれきなど災害廃棄物の処理について、明確な道筋を示していないためだ。
菅直人首相は27日、汚染廃棄物の中間貯蔵施設を福島県内に建設したいとする政府の意向を表明したが、場所や貯蔵方法などの具体的な説明はなかった。細野豪志原発事故担当相も「中間貯蔵施設がそのまま最終処分場に移行することはない。最終処分場は県外に造る」という方針を改めて示したが、細野氏は「私がこの問題に関わっている限りは」との留保を付けたままだ。こうした“逃げ道”を残すやり方が続く限り、地元住民らに政府への信頼は生まれない。
住民らが疑念を抱く背景には別の理由もある。原発事故の対策を検討するために民主党が設置した「党原発事故影響対策プロジェクトチーム」(座長・荒井聡衆院議員)が8月3日にまとめた第1次報告だ。報告は、原発内にある使用済み核燃料の処理が難航する見通しを示し、「原発周辺での居住が長期間不可能な場合は、土地を国有化し、住民の移住を促す」と提言した。住民の多くは「核燃料処理のため」という理由で故郷が国有化され、結局は最終処分場の用地にされるのでは、と恐れている。
「最終処分場への布石では」 被災住民に募る疑念
違う意見の住民も中にはいる。「私は故郷を最終処分場にしてもいいと思う。その方が国や被災者のためにも望ましい。周囲からの反発を恐れて口には出せないだけで、そう思っている人は少なくないのでは」。双葉町に隣接する大熊町の男性会社員(52)はそう打ち明けた。
男性によると、原発周辺を最終処分場にすることで、汚染ごみを運搬する手間がなくなる。日本を含め世界中で処理が問題になっている使用済み核燃料を受け入れ、各国から対価を受け取り、補償や復興費に充てることも可能だという。
「故郷が処分場にならないなら、それに越したことはない。だが現実として今後、原発周辺で子育てする人はいない。いずれ無人になる土地なら、他の地域に迷惑をかけるより、復興の礎にすべきだ」と話した。
いずれにしても、政府が早く方針を示さないことには何も変わらないし、動かない。震災から半年が近づいている。政府はこれまで何をやってきたのか。
産経ニュース 2011.8.29 22:42 (連載は小野田雄一氏が担当)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110829/dst11082922450017-n1.htm
10万ベクレル以下の汚染焼却灰、埋め立て可 環境省
環境省は27日、放射能で汚染されたがれきなどの焼却灰について、一般の最終処分場に埋め立て処分するための新たな指針案を明らかにした。地下水への流出を防ぐなどの措置を取れば、灰に含まれる放射性セシウムが1キロ当たり10万ベクレル以下なら可能とする。今年6月に示した暫定基準値(8千ベクレル以下)を見直す。
新指針では、8千ベクレル超~10万ベクレル以下の焼却灰を埋め立て処分する場合、(1)セメントで固める(2)耐久性のある容器に入れる(3)隔離層を設けて水の浸入を防止(4)施設に屋根を付ける、などの方法で放射性物質の流出を防ぐことを求めた。
この日開かれた環境省の専門家会議では「より安全を期すために、四つの処理法を組み合わせるべきだ」などの意見が出た。詳細を詰めた上で、近く自治体に通知する。10万ベクレルを超える焼却灰の処理方法については、引き続き検討する。
同省は今年6月、埋め立て処分する灰が10万ベクレル以下であれば周辺住民の安全は確保できるとしていたが、処理にあたる作業員の被曝(ひばく)を考慮して、暫定的に8千ベクレル以下なら処理できるという見解を示した。その後、基準を超える焼却灰の検出が福島県のほか、東京都や千葉県で相次ぎ、処分に困る事態となっていた。
環境省が東日本の16都県に要請したゴミ焼却処理施設から出る焼却灰の放射能濃度測定では、回答があった469施設のうち、7都県の42施設で8千ベクレル超の灰が検出されたが、いずれも10万ベクレル以下だった。
asahi.com 2011/08/27 (引用)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201108270453.html
新指針では、8千ベクレル超~10万ベクレル以下の焼却灰を埋め立て処分する場合、(1)セメントで固める(2)耐久性のある容器に入れる(3)隔離層を設けて水の浸入を防止(4)施設に屋根を付ける、などの方法で放射性物質の流出を防ぐことを求めた。
この日開かれた環境省の専門家会議では「より安全を期すために、四つの処理法を組み合わせるべきだ」などの意見が出た。詳細を詰めた上で、近く自治体に通知する。10万ベクレルを超える焼却灰の処理方法については、引き続き検討する。
同省は今年6月、埋め立て処分する灰が10万ベクレル以下であれば周辺住民の安全は確保できるとしていたが、処理にあたる作業員の被曝(ひばく)を考慮して、暫定的に8千ベクレル以下なら処理できるという見解を示した。その後、基準を超える焼却灰の検出が福島県のほか、東京都や千葉県で相次ぎ、処分に困る事態となっていた。
環境省が東日本の16都県に要請したゴミ焼却処理施設から出る焼却灰の放射能濃度測定では、回答があった469施設のうち、7都県の42施設で8千ベクレル超の灰が検出されたが、いずれも10万ベクレル以下だった。
asahi.com 2011/08/27 (引用)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201108270453.html
土壌汚染、34地点がチェルノブイリ移住基準超
東京電力福島第一原子力発電所事故で拡散した放射性物質による土壌汚染の状態を調べた地図がまとまり、29日に開かれた文部科学省の検討会で報告された。
立ち入りが制限されている警戒区域や計画的避難区域で、チェルノブイリ原発事故での強制移住基準(1平方メートル当たりの放射性セシウム137が148万ベクレル)を超える汚染濃度が測定されたのは、6市町村34地点に上った。住民の被曝 線量などを把握するのが狙い。菅首相が27日、「長期間にわたり住民の居住が困難になる地域が生じる」との見通しを示したが、それを裏付けた。
測定結果によると、6月14日時点で、セシウム137の濃度が最も高かったのは、警戒区域内にある福島県大熊町の1平方メートル当たり約1545万ベクレル。セシウム134と合わせると、同約2946万ベクレルとなった。
同300万ベクレル超となったのは、セシウム137で同町、双葉町、浪江町、富岡町の計16地点に上った。高い濃度の地点は、原発から北西方向に延びており、チェルノブイリ事故の強制移住基準を超える地点があった自治体は、飯舘村、南相馬市を加えた計6市町村だった。同省は約2200地点の土壌を測定した。
立ち入りが制限されている警戒区域や計画的避難区域で、チェルノブイリ原発事故での強制移住基準(1平方メートル当たりの放射性セシウム137が148万ベクレル)を超える汚染濃度が測定されたのは、6市町村34地点に上った。住民の
測定結果によると、6月14日時点で、セシウム137の濃度が最も高かったのは、警戒区域内にある福島県大熊町の1平方メートル当たり約1545万ベクレル。セシウム134と合わせると、同約2946万ベクレルとなった。
同300万ベクレル超となったのは、セシウム137で同町、双葉町、浪江町、富岡町の計16地点に上った。高い濃度の地点は、原発から北西方向に延びており、チェルノブイリ事故の強制移住基準を超える地点があった自治体は、飯舘村、南相馬市を加えた計6市町村だった。同省は約2200地点の土壌を測定した。
読売新聞 2011年8月30日03時05分 (引用)
2011年8月26日金曜日
北電:08年シンポでやらせ指示 共産党が指摘
共産党北海道委員会は26日、北海道電力泊原発(北海道泊村)3号機のプルサーマル計画を巡り、08年10月に実施されたシンポジウム(道主催)で計画推進の意見を述べるよう、北電が社員に電子メールを送っていたと発表した。九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働を巡る「やらせメール」と同様の問題で、同委は「悪質で卑劣。道民を冒とくしている」と批判している。
同委によると、メールはシンポの9日前の同3日、北電泊原子力事務所渉外課が送信。「『プルサーマル計画に関する公開シンポジウム』への参加協力について」と題し、「計画を確実に進めるため、数多くの方にご参加いただき推進意見を提出していただければと思っております」と記されている。送信記録では、社内の21部署に送られた。
シンポは泊村に近い岩内町を主会場に開かれ、聴衆計469人が参加。有識者による講演やパネルディスカッション、質疑があった。参加した共産党の大田勤同町議は「9人が質問したが疑問や反対の内容が多く、賛成の立場は1人か2人。参加者の大半は反対だった」と話す。
一方、237人が回答した終了後のアンケートでは、「疑問を十分取り上げられたか」との問いに、51%が「そう感じる」か「だいたい、そう感じる」と答えた。「計画への理解は深まったか」には55%が「深まった」か「だいたい深まった」と回答。大田町議は「会場の雰囲気と違い、変だなと思った」と話した。
議論の内容は道の有識者検討会議に反映され、高橋はるみ知事は09年3月、計画の容認を表明した。北電広報部は「社内調査し、事実確認したうえで対応したい」とコメント。道の寺山朗危機管理監は「事実関係を調査中」と話した。
北電は九電問題を受けた経済産業省の調査に対し、今回の2カ月前に国が泊村で開いたシンポでは「問題ない」と報告していた。
【高山純二、田中裕之、坂井友子、吉井理記】
福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真 (独ZDF)
広河隆一氏のDAYSフォトジャーナリスト学校の卒業生である
小原一真氏が福島第一原発に潜入取材。
そのレポートはDAYS JAPAN 9月号に
「原発で初めて写真取材に成功/小原一真」
として掲載されている。
また、小原一真氏自身のホームページでも詳しく掲載されている。
福島第一原発での労働者達の実態が極めてリアルに詳細にレポートされている。
その小原一真氏にドイツのZDFが取材を行った。
そのニュースをNHKBSが紹介している。
福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真(独ZDF)
http://www.youtube.com/watch?v=YNZ3bFUGyq4
Fukushima: Heimliche Fotos schocken Tokio
Schockfotos: Heimlich im AKW Fukushima
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/content/1419402
http://www.youtube.com/watch?v=3LNg79kc42Y
福島原発に初めてジャーナリストが入った!
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/222331522.html
DAYS JAPAN 原発で初めて写真取材に成功/小原一真
http://www.daysjapan.net/index.html
http://www.daysjapan.net/bn/1109.html
KAZUMA OBARA
http://kazumaobara.com/index.html
Flontline in Fukushima
http://kazumaobara.com/2011/08/flontline-in-fukushima.html
未だ収束の目処が経たない福島第一原発。
震災から5ヶ月経過した今でも東京電力は
ジャーナリストの取材を禁止し情報統制を行っている。
福島第一原発1号機建屋から直線距離で200メートル程北西に位置する免震棟。
ピンク色のシートに壁面と床が覆われた中に入ると
すれ違った男性の胸ポケットから線量計の警報音が鳴りだした。
免震棟内の各部屋の壁にはその部屋の線量が書かれたものが掲示されている。
そのほとんどが毎時15マイクロシーベルト以上の測定結果を示しているが、
測定時期が4月のものも未だに更新されずに掲示してある。
午前7時半。同行した作業員の第一回目の作業が始まる。
作業は屋外で1時間行われ、その後、一度免震棟に戻る。
1時間の休憩時間が与えられてはいるが、スクリーニングや防護服を
再度装着する時間を考慮すると実質の休憩時間は30分程度。
1時間の作業時間と1時間の休憩時間。
これを一日に3回繰り返し、この1日の作業は終了する。
2回目の作業が始まる9時半過ぎ、作業員と同じ服装で免震棟の外に出た。
防護マスクをつけて20分程度で鼻の奥にツンとした痛みを感じた。
呼吸が非常に苦しい。30分で左後頭部が痛み始めた。
酸素が足りないのか、マスクを強く締めすぎたのか。
1時間が経つ頃には頭部の痛みが限界に達し、マスクを外したい衝動に駆られた。
午前11時半。2回目の作業を終えた作業員が免震棟に戻ってくる。
疲れきった作業員たちが床の上に敷かれた銀マットの上で所狭しと横たわっている。
銀マットからあぶれた何人かの若者たちは廊下に体育座りで仮眠をとっている。
頬が赤く、あどけなさの残る青年もいる。
朝のうちは談笑し余裕が見られた作業員たちだが、
この時間帯は会話も少なめになり、ただ体力の回復に努めているように見えた。
8月1日、1号機と2号機の間の排気筒付近で1万ミリシーベルトが検出された。
しかし、この日も作業員はその事実を知らされないままたんたんと働いていたという。
震災から5ヶ月以上経っても見えてこない作業の実態と作業員の顔。
どのような人間が私たちの日々の生活の安全を支えてくれているのか。
そして作業員の安全は確保されているのか。私はそれを知りたかった。
匿名報道が一般的になってしまった作業員に関するニュース報道。
私たちは自分の生活を守ってくれている人間の顔を隠さなければいけない
状況をもっと重く受け止めなければいけない。
小原一真氏が福島第一原発に潜入取材。
そのレポートはDAYS JAPAN 9月号に
「原発で初めて写真取材に成功/小原一真」
として掲載されている。
また、小原一真氏自身のホームページでも詳しく掲載されている。
福島第一原発での労働者達の実態が極めてリアルに詳細にレポートされている。
その小原一真氏にドイツのZDFが取材を行った。
そのニュースをNHKBSが紹介している。
福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真(独ZDF)
http://www.youtube.com/watch?v=YNZ3bFUGyq4
Fukushima: Heimliche Fotos schocken Tokio
Schockfotos: Heimlich im AKW Fukushima
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/content/1419402
http://www.youtube.com/watch?v=3LNg79kc42Y
福島原発に初めてジャーナリストが入った!
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/222331522.html
DAYS JAPAN 原発で初めて写真取材に成功/小原一真
http://www.daysjapan.net/index.html
http://www.daysjapan.net/bn/1109.html
KAZUMA OBARA
http://kazumaobara.com/index.html
Flontline in Fukushima
http://kazumaobara.com/2011/08/flontline-in-fukushima.html
未だ収束の目処が経たない福島第一原発。
震災から5ヶ月経過した今でも東京電力は
ジャーナリストの取材を禁止し情報統制を行っている。
福島第一原発1号機建屋から直線距離で200メートル程北西に位置する免震棟。
ピンク色のシートに壁面と床が覆われた中に入ると
すれ違った男性の胸ポケットから線量計の警報音が鳴りだした。
免震棟内の各部屋の壁にはその部屋の線量が書かれたものが掲示されている。
そのほとんどが毎時15マイクロシーベルト以上の測定結果を示しているが、
測定時期が4月のものも未だに更新されずに掲示してある。
午前7時半。同行した作業員の第一回目の作業が始まる。
作業は屋外で1時間行われ、その後、一度免震棟に戻る。
1時間の休憩時間が与えられてはいるが、スクリーニングや防護服を
再度装着する時間を考慮すると実質の休憩時間は30分程度。
1時間の作業時間と1時間の休憩時間。
これを一日に3回繰り返し、この1日の作業は終了する。
2回目の作業が始まる9時半過ぎ、作業員と同じ服装で免震棟の外に出た。
防護マスクをつけて20分程度で鼻の奥にツンとした痛みを感じた。
呼吸が非常に苦しい。30分で左後頭部が痛み始めた。
酸素が足りないのか、マスクを強く締めすぎたのか。
1時間が経つ頃には頭部の痛みが限界に達し、マスクを外したい衝動に駆られた。
午前11時半。2回目の作業を終えた作業員が免震棟に戻ってくる。
疲れきった作業員たちが床の上に敷かれた銀マットの上で所狭しと横たわっている。
銀マットからあぶれた何人かの若者たちは廊下に体育座りで仮眠をとっている。
頬が赤く、あどけなさの残る青年もいる。
朝のうちは談笑し余裕が見られた作業員たちだが、
この時間帯は会話も少なめになり、ただ体力の回復に努めているように見えた。
8月1日、1号機と2号機の間の排気筒付近で1万ミリシーベルトが検出された。
しかし、この日も作業員はその事実を知らされないままたんたんと働いていたという。
震災から5ヶ月以上経っても見えてこない作業の実態と作業員の顔。
どのような人間が私たちの日々の生活の安全を支えてくれているのか。
そして作業員の安全は確保されているのか。私はそれを知りたかった。
匿名報道が一般的になってしまった作業員に関するニュース報道。
私たちは自分の生活を守ってくれている人間の顔を隠さなければいけない
状況をもっと重く受け止めなければいけない。
内部被ばくに警鐘〜クリス・バズビー博士
日本政府などが様々な基準に採用しているICRP(国際放射線防護委員会)と一線を画し、内部被ばくや低量被ばくについて長年、研究を重ねて来た欧州放射線リスク委員会(ECRR)の技術議長クリストファーバズビー氏。日本の汚染はどのような状況にあるのか。そして、どのようなリスクがあるのか。OurPlanetTVの単独インタビュー。
ゲスト:クリス・バズビー博士(ECRR(欧州放射性リスク委員会)
インタビュアー:松元千枝(ジャーナリスト)
OPTVstaff さんが 2011/08/04 にアップロード
http://www.youtube.com/watch?v=YGDM5eyRvCM&feature=player_detailpage
インタビュアーが郡山で裁判があった場合に証言として出廷して貰えるか?との問いに「ビデオによる裁判への出廷なら良いけれども、自分自身が郡山市に行くのは断る。福島第一原発から100キロ圏内には怖くて行きたくない」とのこと。
北海道知事が「ばかばかしい」静岡知事と原発バトル勃発
北海道の高橋はるみ知事は25日の記者会見で、営業運転再開を容認した北海道電力泊原発3号機をめぐり「高橋知事は経済産業省出身だから独自判断ができなかった」と批判した静岡県の川勝平太知事について「変わったことを言う方なので、コメントしない。ばかばかしい」と不快感を表明した。
26日に定期検査入りの泊原発2号機と、検査中の1号機の再稼働については「慎重な、しっかりとした議論があらためて必要」と述べ、調整運転から営業運転に移行した3号機への対応とは一線を画す考えを示した。
産経ニュース 2011.8.25 18:42 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110825/lcl11082518430003-n1.htm
26日に定期検査入りの泊原発2号機と、検査中の1号機の再稼働については「慎重な、しっかりとした議論があらためて必要」と述べ、調整運転から営業運転に移行した3号機への対応とは一線を画す考えを示した。
産経ニュース 2011.8.25 18:42 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110825/lcl11082518430003-n1.htm
海外の見方「今も福島に人が住んでるのが信じられません」
下記動画から抜粋:Daily life in Fukushima: 'It was like visiting another universe' http://www.youtube.com/watch?v=aY5cvod4Tiw
2011/07/07
そして今も福島第一原発からの汚染は続いている。
2011年8月25日木曜日
福島第一原発5、6号機いつでも再稼働可能と東電協力会社幹部
史上最悪の事故を起こした福島第一原発は「廃炉」にするのが当然――世間では、そう思われている。しかし、現場で進められている作業を詳細に検証すると、表向きの発表からはわからない、隠された“意図”が姿を露わにする。ジャーナリストの伊藤博敏氏がレポートする。
* * *
福島第一原発には6基の原発があるが、連日のように報道される1~4号機に比べると、5、6号機の動静はほとんど伝えられない。
地震発生時に5、6号機は定期検査中。
しかも、午後3時35分に到達した高さ15mの津波によって、1~4号機の全交流電源が喪失したのに対し、5、6号機は1台の非常用ディーゼル発電機が運転を継続、10日後には外部電源に切り替えられ、以降、原子炉内の温度が100度以下になる「冷温停止」が続いている。
衛星写真で見ればよくわかるが、5、6号機は双葉町にあり、南にある大熊町の1~4号機とは少し離れている。
この若干の距離感に「冷温停止」の安心感が、5、6号機の存在を忘れさせる。だが、東京電力はこの2基を、1~4号機と違って今も貴重な「資産」として考えているようなのだ。
東電協力会社幹部が、事もなげに言う。
「メンテナンスは終わっており、5、6号機はいつでも再稼働できる準備が整っています。
津波対策にも乗り出しており、消波ブロックを現在、積み上げている。25tのものを4000個と聞いていますが、最終的には1万個ぐらいになるでしょう」
再稼働? 驚きの証言である。
既に、1~4号機については廃炉が決まっている。
原子炉建屋が吹き飛び、原形をとどめないほど大破、原子炉格納容器がむき出しになった3号機を始め、4基の原発は、これから数十年の歳月と1基5000億円ともされる費用をかけて、処分されていく。
その隣で、運転再開など「世間の常識」ではありえない。
有識者による「福島県復興ビジョン検討委員会」は、事故を起こした第一原発にとどまらず、第二原発の廃炉も求める方針を打ち出している。
そうした情勢を踏まえ、佐藤雄平知事は6月末の県議会で「原子力に依存しない社会を目指す」と、再稼働を否定した。
だが、東電は原子力政策の継続を信じて疑っていないようだ。
その証拠に、1~4号機の津波対策以上の熱心さで5、6号機に取り組んでいるように見える。
しかも、細大漏らさず情報を公開している、と言いつつ「聞かれたこと以外は答えない」という姿勢は事故以前から変わっていない。
これから詳述する5、6号機の大規模な防波堤工事は、私が今回問い合わせるまで伏せられていたのである。
東電は、津波の最高水位を5.7mと想定、それに備えて防波堤を築いていたが、襲ったのは15mの大津波。
防波堤をなぎ倒し、高さ10mの敷地に立つ1~4号機のタービン建屋を襲い、海水に浸した。
これによりタービン建屋内の電源系が機能喪失した。
余震による再度の津波を怖れた東電は、5月中旬から網や籠に石を充填し、それを積み上げる仮設防潮堤の設置に着手、6月末に完成した。
東電は公開仮設防潮堤の写真を公開しているが、3号機のタービン建屋から集中廃棄物処理施設に至る長さ362m、海面からの高さは14mのもので、マグニチュード8程度の地震で想定される高さ7~8mの津波を防ぐことができるという。
一方、5、6号機の敷地の高さは13mと1~4号機より高い。
それが、損害が軽微だったひとつの要因だが、津波で防波堤が破壊され、無防備な状態であるのは1~4号機と変わらない。
そこで、5、6号機では防波堤そのものの補修工事に入った。
福島第二原発と女川原発で重さ25tの消波ブロックを製造、運搬船で運び、クレーンで吊り上げ、構造計算のうえで積んでいく。
現地の写真を見比べると、「冷温停止」しているはずの5、6号機の工事のほうが手厚いように見える。
それについては、地形の差による違いだとする指摘もあるが、少なくとも、どちらの工事も同じマグニチュード8クラスを想定した津波対策である。
それを片方は発表し、5、6号機については発表しなかったのは、「再稼働への備え」と指摘されることを嫌ったからだと考えられないか。
東電は、「工程表」に基づき、原子炉循環系の確保、海洋汚染防止のための遮蔽壁の設置、余震、津波対策などを同時並行で進め、そこには5、6号機向けの防波堤補修など再稼働へ向けた準備も含まれる。
「再稼働」について、東電広報部はこう説明する。
「発表はしていませんが、防波堤補修のために、消波ブロックの積み上げ工事を、9月末までをめどに行なっているのは事実です。
1万個? いや、約3000個と聞いています。再稼働については、国や地域のご理解をいただきながら進めるもので、今、申し上げる段階ではありません。また、5、6号機も福島第二も大切な経営資源という認識です」
人も組織も簡単には変われない。
原発は今も東電にとって推進すべきものだし、ある程度は情報や資料を公開しているものの、「知らしむべからず」の基本姿勢に変わりはない。
その「ブレない東電」に政治がブレずに対応できるのか。電力行政に関する「ポスト菅」の役割は大きい。
※SAPIO2011年9月14日号 2011.08.25 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20110825_29274.html
* * *
福島第一原発には6基の原発があるが、連日のように報道される1~4号機に比べると、5、6号機の動静はほとんど伝えられない。
地震発生時に5、6号機は定期検査中。
しかも、午後3時35分に到達した高さ15mの津波によって、1~4号機の全交流電源が喪失したのに対し、5、6号機は1台の非常用ディーゼル発電機が運転を継続、10日後には外部電源に切り替えられ、以降、原子炉内の温度が100度以下になる「冷温停止」が続いている。
衛星写真で見ればよくわかるが、5、6号機は双葉町にあり、南にある大熊町の1~4号機とは少し離れている。
この若干の距離感に「冷温停止」の安心感が、5、6号機の存在を忘れさせる。だが、東京電力はこの2基を、1~4号機と違って今も貴重な「資産」として考えているようなのだ。
東電協力会社幹部が、事もなげに言う。
「メンテナンスは終わっており、5、6号機はいつでも再稼働できる準備が整っています。
津波対策にも乗り出しており、消波ブロックを現在、積み上げている。25tのものを4000個と聞いていますが、最終的には1万個ぐらいになるでしょう」
再稼働? 驚きの証言である。
既に、1~4号機については廃炉が決まっている。
原子炉建屋が吹き飛び、原形をとどめないほど大破、原子炉格納容器がむき出しになった3号機を始め、4基の原発は、これから数十年の歳月と1基5000億円ともされる費用をかけて、処分されていく。
その隣で、運転再開など「世間の常識」ではありえない。
有識者による「福島県復興ビジョン検討委員会」は、事故を起こした第一原発にとどまらず、第二原発の廃炉も求める方針を打ち出している。
そうした情勢を踏まえ、佐藤雄平知事は6月末の県議会で「原子力に依存しない社会を目指す」と、再稼働を否定した。
だが、東電は原子力政策の継続を信じて疑っていないようだ。
その証拠に、1~4号機の津波対策以上の熱心さで5、6号機に取り組んでいるように見える。
しかも、細大漏らさず情報を公開している、と言いつつ「聞かれたこと以外は答えない」という姿勢は事故以前から変わっていない。
これから詳述する5、6号機の大規模な防波堤工事は、私が今回問い合わせるまで伏せられていたのである。
東電は、津波の最高水位を5.7mと想定、それに備えて防波堤を築いていたが、襲ったのは15mの大津波。
防波堤をなぎ倒し、高さ10mの敷地に立つ1~4号機のタービン建屋を襲い、海水に浸した。
これによりタービン建屋内の電源系が機能喪失した。
余震による再度の津波を怖れた東電は、5月中旬から網や籠に石を充填し、それを積み上げる仮設防潮堤の設置に着手、6月末に完成した。
東電は公開仮設防潮堤の写真を公開しているが、3号機のタービン建屋から集中廃棄物処理施設に至る長さ362m、海面からの高さは14mのもので、マグニチュード8程度の地震で想定される高さ7~8mの津波を防ぐことができるという。
一方、5、6号機の敷地の高さは13mと1~4号機より高い。
それが、損害が軽微だったひとつの要因だが、津波で防波堤が破壊され、無防備な状態であるのは1~4号機と変わらない。
そこで、5、6号機では防波堤そのものの補修工事に入った。
福島第二原発と女川原発で重さ25tの消波ブロックを製造、運搬船で運び、クレーンで吊り上げ、構造計算のうえで積んでいく。
現地の写真を見比べると、「冷温停止」しているはずの5、6号機の工事のほうが手厚いように見える。
それについては、地形の差による違いだとする指摘もあるが、少なくとも、どちらの工事も同じマグニチュード8クラスを想定した津波対策である。
それを片方は発表し、5、6号機については発表しなかったのは、「再稼働への備え」と指摘されることを嫌ったからだと考えられないか。
東電は、「工程表」に基づき、原子炉循環系の確保、海洋汚染防止のための遮蔽壁の設置、余震、津波対策などを同時並行で進め、そこには5、6号機向けの防波堤補修など再稼働へ向けた準備も含まれる。
「再稼働」について、東電広報部はこう説明する。
「発表はしていませんが、防波堤補修のために、消波ブロックの積み上げ工事を、9月末までをめどに行なっているのは事実です。
1万個? いや、約3000個と聞いています。再稼働については、国や地域のご理解をいただきながら進めるもので、今、申し上げる段階ではありません。また、5、6号機も福島第二も大切な経営資源という認識です」
人も組織も簡単には変われない。
原発は今も東電にとって推進すべきものだし、ある程度は情報や資料を公開しているものの、「知らしむべからず」の基本姿勢に変わりはない。
その「ブレない東電」に政治がブレずに対応できるのか。電力行政に関する「ポスト菅」の役割は大きい。
※SAPIO2011年9月14日号 2011.08.25 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20110825_29274.html
2011年8月23日火曜日
なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか
検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ――高木徹也・杏林大学准教授のケース
3月11日午後2時46分。東北地方を中心に大規模な地震が起きた。その後、現地を襲った巨大津波や原発事故により、2万人近くの人が亡くなり、行方不明となっている。
この日以降、多くのメディアは被災地の人々の「生と死」について、溢れんばかりの情報を提供し続けてきた。こうした報道の数々が、被災者を勇気づけ、復興への前向きな思いを高める上で、大きな役割を担ってきたことは言うまでもない。
しかし「なぜこれだけ多くの人が亡くならなければいけなかったのか」という核心に迫った報道は、意外に少なかった気がする。報道には、時として慎重な姿勢が必要となることも確かだ。だが、震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよい頃ではないだろうか。
災害はいつかまた、必ずやって来る。だからこそ、その真相に目を向けなければ、新たな災害に備えるための教訓を得ることはできない。
私は3月から、防災学者、警察、消防、自衛隊、さらには被災地の自治体職員、医師、そして遺族など、多くの「震災の生き証人」たちに会い、取材を続けてきた。なかには、「亡くなった人たちは必ずしも『天災』だけが原因で命を奪われたとは言い切れない」と感じたケースもあった。
この連載では、そうした人々が実際に体験したこと、感じたことをベースにしながら、震災にまつわる「生と死の現実」について私なりに斟酌し、今後の防災で検証すべき点を提言していきたい。
検死医が目の当たりにした「津波の遺体」
「検死した遺体の中には、多額のおカネを持っていた人がいた。多い人は、現金で2000万円ほど。ある人は有価証券報告書、ある人は土地の権利書も抱え込んでいた。津波が来たときには、これらを持って避難しようと考えて、家の中の1ヵ所に集めておいたのではないか。地震の直後に急いで探し出して身に付けたという感じではなかった」
法医学を専攻する高木徹也准教授(杏林大学)は低く、通る声で話した。私は、この言葉を聞いたとき、ここ数ヵ月間、悶々としていた思いが少し消えていく気がした。
高木氏は、不審遺体の解剖数が非常に多いことで知られる法医学者である。法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、『ヴォイス~命なき者の声~』(フジテレビ系)など多数に及ぶ。3月11日の震災直後には、警察庁からの依頼で他の医師9人(そのうち、5人は歯科医)とともに被災地に入った。
高木氏は子どものころ、岩手県の宮古付近で生まれ育ったと前置きしつつ、こう続けた。
「この地域の大人は、これまでに何度も“津波が来る”と言われ、避難することに慣れていた。それでマンネリになり、今回も大きな津波は来ないと思い込み、逃げ遅れた可能性がある。もしかすると、“避難慣れ”が災いしたのかもしれない」
多いときは体育館に1日200もの遺体が
避難所のあり方は、今後の防災のためにも議論されるべきであるが、一方で住民の避難意識も検証したほうがいいと私は思う。
震災当日、住民が津波から避難する意識や姿勢に油断があった可能性があることは、3月、5月、6月と被災地に取材で赴き、消防団員や現地の住民から耳にしていた。こうして亡くなった人たちの生身の姿が報じられないと、その教訓を今後の防災に役立てることはできない。
高木氏が警視庁の緊急車両に乗り、都内から宮城県に向かったのは3月13日の夕方。宮城県内の海外沿いの道路などは破壊され、交通規制がなされていた。停電も続いていた。そこでJR山形駅前のビジネスホテルに他の医師とともに泊まった。そこから毎朝7時に警察車両で宮城県警察本部(仙台市)に向かった。
県警本部に着くと、高木氏らは、警察とミューティングを30分ほどかけて行なう。そこで、それぞれの医師が担当する遺体安置所を決める。そのうえで医師らは別々の警察車両に乗り、安置所に向かう。
その頃、県内には南三陸、気仙沼市、亘理(わたり)町などに10ヵ所ほどの安置所があった。その多くは、中学校や高校の体育館だった。震災直後ということもあり、付近の海外沿いを見ると、漂流物に混じって多数の遺体が浮いていたという。
安置所は卓球台をついたてにして、遺体を安置する場所、検視を行なう場所、身元確認をする場所などに区切られていた。震災の日より3~4日後から、親や子どもなどを探しに来た人たちが遺体を見つけては、泣き崩れていたという。検死は毎日、日没の午後4~5時頃まで続けられた。これ以降は停電のため、できなかった。
遺体は、自衛隊や海上保安庁、警察、消防などにより運ばれてきた。多いときには、1日で体育館に200ほどの遺体が並んだ。
まず、警察が泥にまみれたままの遺体の写真を撮影する。その後、学校のプールなどの水で泥を浅い流し、さらに顔のアップなどの撮影。そして、身元確認が行なわれる。ほくろや手術痕などの身体的特徴だけでなく、身に着けていた運転免許証や健康保険証なども、手がかりになるという。
この際、何かの事件に巻き込まれていないかなど万が一に備え、入念に調べられる。ここまで時間は約30分。その後、高木氏らによる検視が15分ほど、そして歯科医による歯科所見採取へと続く。県内の解剖施設は、地震や津波により破壊されていたために、ほとんどの遺体は解剖されなかった。
胸部圧迫、窒息、凍死、外圧――。
高木氏は、1週間で130ほどの遺体を検死した。新聞などでは「遺体は高齢者が多かった」と報じられていたが、子どもの遺体も少なくないと映ったという。
多くの遺体を診ていくうちに、共通する特徴を見つけた。それは、顔がうっ血している遺体が多いことだった。がれきなどが速い速度でぶつかり、胸部や腹部が圧迫され、頭部から心臓に血液が還らない状態に陥ったためと思われる。
「海や川、プールなどで亡くなる溺死とは、遺体の状況が違った。これら狭義の意味での溺死は、気道に大量の水が一気に入り込み、呼吸ができなくなり、死亡する。今回の場合は、9割以上が津波による溺死ではあるが、それに複合的な要因が重なり、亡くなったと診断できるものだった」
その複合的な要因とは、主に次の4つのものだという。これらの要因のうち、いずれかがほぼ全ての遺体に見られた。高木氏は検死の際、遺体がこれらのうちどれに該当するかを診ていく。
1つは、胸部圧迫による死亡。圧迫を与えたものとして考えられ得るのは、たとえば船や車、家、がれき、さらに押し寄せる波の水圧など。これらが胸や腹部に時速数十キロのスピードで当たり、呼吸ができなくなった可能性がある。
2つめは、一気に大量の水を飲み込むことでの窒息。3つめは、いわゆる凍死。当日、津波に襲われた後、冷たい波の中で木などにつかまり救援を待ったが、寒さで体温が下がり、息を引き取った例がこれに該当する。
4つめは外圧によるもの、たとえばがれきが頭に当たり、脳挫傷などになり死亡したことが考えられる。
ここで、私は尋ねた。震災直後から新聞で「消防団員が避難を呼びかけている最中、ハンドマイクを握ったまま、亡くなった」と報じられていたことについてだ。本当にこのようなことが起きるのかを知りたかった。高木氏はこう答えた。
「推測ではあるが、2つの理由が考えられる。1つは、即死。プールなどでの溺死ならば手足を動かし、もがくから、手に持っているものも放す。今回は、堤防を破壊するほどの水圧で押し寄せてくる津波だった。あの波が直撃すると、心臓や肺など循環器に障害が起きて即死になることは想像できる」
「もう1つの理由は、即時死後硬直(そくじしごこうちょく)。死後に体が硬くなる、いわゆる死後硬直は息を引き取った後、2~3時間に始まる。今回は非常に強い、精神的なストレスにより脳に障害が起き、死の瞬間に硬直した可能性がある。それにより、たとえばハンドマイクを握ったままの姿で亡くなったとも考えられる」
丸太につかまった犠牲者の不思議
私は、こんな問いかけもした。「丸太につかまったまま、亡くなっていた遺体があったと報じられたが、これは医学的にあり得るのか」
それは凍死による、即時死後硬直の可能性があるという。「私が診た遺体の中にも、がれきに挟まり、水の中で身動きが取れないまま、凍死したと思われるものがあった。あの日の水温や気温は低く、凍死してしまったのだろう。その場合も、何かにつかまったままの姿で硬直することは考えられる」
多くの遺体の服は脱げてはいないものの、泥が大量についていた。高木氏は安置所のことを振り返りつつ、語る。
「1枚を脱がすと、泥。もう1枚脱がすと、また泥がついていた。特に高齢者は7~8枚と厚着をしていた。だから、泥だらけになっていた。近所に住むお年寄りたちで“避難所は寒いから逃げるときは厚着をしよう”などと話し合っていたのではないか」
遺体の中には、体が引き裂かれ、足や腕だけになっているものもあった。「部分遺体」と言われるものだ。ショベルカーなど重機でがれきの処理をするときに、体を割いてしまった可能性もあるという。このような死後損壊を除けば、実際には損傷は少なく、顔貌や体格が判別できる遺体が多かった。
津波で家や車まで流れてくるとは――。
高木氏は多くの遺体から感じ取った“私見”と述べたうえで、次のような興味深いことを話した。これは、新聞などではあまり報じられないことである。
「宮城県北東部にある牡鹿半島(おじかはんとう)よりも北に位置する気仙沼市や南三陸町、女川町などでは、遺体の傷は比較的少なかった。このあたりはリアス式海岸ということもあり、津波の波は高く、その水圧で亡くなった人が多いように思えた」
「一方で、南にある地域では、津波が流れてくる流速で亡くなったと思える人が多かった。田園地帯が多く、波をさえぎるものがなかったために、一段と加速したのではないか。足が切れて無かったり、頭が割れていたり、胸にがれきが刺さったままのものがあった」
私が被災地に行き、津波から逃れた人に聞くと、こんなことを話すことがあった。
「津波は、波だけだと思っていた」「家や車が流されてくるとは想像できなかった」
この地域に住みながらも、意外と津波の実態を知らないのだ。今後は、想定され得る高さだけでなく、その勢いや水圧、さらには考えられ得る被害などにも踏み込んで、津波を理解する必要があるように思える。そして、津波の怖さを実感として心得るようにしていくべきなのではないだろうか。
津波で身元不明者が多かった理由
高木氏らは、2回目の検視として5月下旬に岩手県に向かった。1回目、震災直後に宮城県で検死を行なったときから懸念をしていたことがあった。それは、顔がうっ血した遺体が多かったことだ。
「時間が経つと、遺体は腐り、身元がわからなくなる可能性がある。特に血が滞ってうっ血しているところは腐りやすい。顔がわからないと、一段と身元の確認が難しくなる」
その懸念は、現実のものとなった。遺体を診ると、顔から腐敗が進行しているものがいくつもあった。
検死で訪れた大槌(おおつち)町では、犬や猫など動物などとの区別が難しい遺体もあった。この町では、津波が押し寄せたときに火災が起きた。
「焼死体の遺体があり、小型犬ぐらいの大きさになっていた。砂利が混ざった炭のようになり、身元や死因はなかなかわからなかった」
阪神大震災の場合は、ほとんどの遺体はその家の中で見つかった。だが今回は、自宅などからかなり離れたところで発見されることが多い。これが、身元不明者が多い理由の1つと考えられる。
高木氏は検死を終えた1週間程は、体の具合が悪かったという。遺体のことを思い起こし、夢にその姿が出てくることも続いた。
そして全ての遺体が忘れられないと言いながら、「心に強くひっかかるのが、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちの遺体だ」と話す。当日、この子たちが乗った送迎バスは津波に呑まれ、炎に包まれた。
「黒く焦げた、小さな体が折り重なるようになっていた。同じような背丈だった。かすかに残る服などから、身元の確認をしようとした」
報道(朝日新聞8月4日朝刊)によると、この子どもの母親たちは当日の真相解明を求めるために、弁護士らと今後の対応を協議しているという。
私は、遺族のこの動きは好ましいと思う。被災地で多くの死を見てきて、津波から避難する際の意識や姿勢はもっと検証されなければいけない、と考えているからだ。すべての死を「天災だから仕方がなかった」とか、「1000年に1度の津波だから止むを得ない」として責任の所在をあいまいにすることは、今後の防災の役には立たない。
最後に、高木氏は自衛隊、警察、消防などの働きを称えた。
「特に自衛隊には、心を打たれた。震災直後はまだ気温が低く、雪が降ると土砂が凍る。そのため遺体の捜索ができず、それまで捜索にあたっていた自衛官は遺体安置所に赴き、黙々と検死の補助作業をしていた。遺体を運び、体を水で丁寧に洗っていた。10代と思われる自衛官もいた。それを見ていて、こみあげてくるものがあった。遺体に関わる者として、心より敬意を表したい」
高木徹也准教授(杏林大学)の話から、私が感じ取った今後の防災を考えるうえで検証すべき点は、主に以下の3つである。
1、避難所の体制を整え直す
高木氏の検視によると、高齢者の中には厚着をしていた人がいたという。また、多額のおカネを持ち運ぼうとしていたケースがある。これらが、津波からの避難を遅らせた一因とも言える。
今回、被災した地域の多くの避難所には、食料、水、そして石油などの燃料、トイレなどはある程度は備えられていた。だが、事前の想定を上回る人が押し寄せたことで、足りなくなった。たとえば、陸前高田市(岩手県)の中学校では、震災直後、校内に石油ストーブが2つしかなかったという。そこで教室のカーテンなどを取り外し、避難者の体に巻くことで寒さをしのいだ。
今後、避難所の体制は整え直すことが急務である。さらにそれを住民に実際に見てもらう機会を設けるなど、啓蒙も必要だろう。震災以降、すでに文部科学省は全国の学校をその地域の防災拠点として整備する方針を固めている。特に東北の三陸沿岸や四国などの津波常襲地帯は、対策を急ぐことが大切だ。
2、避難意識を一段と高める
震災当日、住民らの避難が徹底されていたかと言えば、必ずしもそうとは言えない。たとえば、記事の最後にある、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちが死亡した例などだ。ここは私も足を運んだが、丘の上に幼稚園があり、そこが明らかに安全とわかる。それにもかかわらず、園は大津波警報の発表後に送迎バスを出発させた。1台が津波に巻き込まれ、乗っていた園児5人が死亡した。
これらの理由の1つには “油断”もあるのかもしれないが、この地域は今後も大きな地震や津波に襲われる可能性が依然としてある。他の津波常襲地帯も同じであるが、やはりマンネリを打破し、緊張感を持った避難にしていく必要があるのではないか。
そのためには、津波から逃げることをごく当たり前の「文化」にしていくことが大切だ。そうすることで、マンネリを防ぐことにつながっていくのではないだろうか。教育現場などで小さいころから津波からの避難を教え込み、津波常襲地帯の「文化」にしていくことが大切である。
3、遺体から津波の実態を理解する
遺体にまつわる話は、タブー視されている傾向がある。震災から数ヵ月が経つにもかかわらず、津波に巻き込まれた遺体はどうなっているのかなど、踏み込んだ記事はほとんどない。
私は興味本位で遺体について報じることには反対だが、津波に巻き込まれたらどうなるのかといったことは伝える必要があると考えている。ところが、遺体については新聞では「がんばった表情だった」とか「眠るように死んでいた」という表現が目立つ。
これで、多くの人は津波に対しての恐怖を感じるだろうか。いたずらに恐怖を煽るのは問題があるが、自然災害の恐ろしさは事実に即して伝えないといけない。メディアはこのあたりにつき、「自己規制」していないだろうか。
読者は、高木氏の話から何を感じとっただろう。なぜ、ここまで大きな被害が出たのかを冷静に検証することこそ、いま必要なのではないだろうか。
3月11日午後2時46分。東北地方を中心に大規模な地震が起きた。その後、現地を襲った巨大津波や原発事故により、2万人近くの人が亡くなり、行方不明となっている。
この日以降、多くのメディアは被災地の人々の「生と死」について、溢れんばかりの情報を提供し続けてきた。こうした報道の数々が、被災者を勇気づけ、復興への前向きな思いを高める上で、大きな役割を担ってきたことは言うまでもない。
しかし「なぜこれだけ多くの人が亡くならなければいけなかったのか」という核心に迫った報道は、意外に少なかった気がする。報道には、時として慎重な姿勢が必要となることも確かだ。だが、震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよい頃ではないだろうか。
災害はいつかまた、必ずやって来る。だからこそ、その真相に目を向けなければ、新たな災害に備えるための教訓を得ることはできない。
私は3月から、防災学者、警察、消防、自衛隊、さらには被災地の自治体職員、医師、そして遺族など、多くの「震災の生き証人」たちに会い、取材を続けてきた。なかには、「亡くなった人たちは必ずしも『天災』だけが原因で命を奪われたとは言い切れない」と感じたケースもあった。
この連載では、そうした人々が実際に体験したこと、感じたことをベースにしながら、震災にまつわる「生と死の現実」について私なりに斟酌し、今後の防災で検証すべき点を提言していきたい。
検死医が目の当たりにした「津波の遺体」
“避難慣れ”も災いして被害が拡大?
被災地に赴き検死に携わった杏林大学の高木徹也・准教授(筆者撮影)。
「検死した遺体の中には、多額のおカネを持っていた人がいた。多い人は、現金で2000万円ほど。ある人は有価証券報告書、ある人は土地の権利書も抱え込んでいた。津波が来たときには、これらを持って避難しようと考えて、家の中の1ヵ所に集めておいたのではないか。地震の直後に急いで探し出して身に付けたという感じではなかった」
法医学を専攻する高木徹也准教授(杏林大学)は低く、通る声で話した。私は、この言葉を聞いたとき、ここ数ヵ月間、悶々としていた思いが少し消えていく気がした。
高木氏は、不審遺体の解剖数が非常に多いことで知られる法医学者である。法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、『ヴォイス~命なき者の声~』(フジテレビ系)など多数に及ぶ。3月11日の震災直後には、警察庁からの依頼で他の医師9人(そのうち、5人は歯科医)とともに被災地に入った。
高木氏は子どものころ、岩手県の宮古付近で生まれ育ったと前置きしつつ、こう続けた。
「この地域の大人は、これまでに何度も“津波が来る”と言われ、避難することに慣れていた。それでマンネリになり、今回も大きな津波は来ないと思い込み、逃げ遅れた可能性がある。もしかすると、“避難慣れ”が災いしたのかもしれない」
多いときは体育館に1日200もの遺体が
毎日のように日没まで続く検死作業
避難所のあり方は、今後の防災のためにも議論されるべきであるが、一方で住民の避難意識も検証したほうがいいと私は思う。
震災当日、住民が津波から避難する意識や姿勢に油断があった可能性があることは、3月、5月、6月と被災地に取材で赴き、消防団員や現地の住民から耳にしていた。こうして亡くなった人たちの生身の姿が報じられないと、その教訓を今後の防災に役立てることはできない。
津波襲来後、高木氏が自ら撮影した被災地の状況。尋常ではない被害の様子は、住民がいかに大きなリスクに晒されたかを物語っている。写真は上から気仙沼、釜石、宮古。
高木氏が警視庁の緊急車両に乗り、都内から宮城県に向かったのは3月13日の夕方。宮城県内の海外沿いの道路などは破壊され、交通規制がなされていた。停電も続いていた。そこでJR山形駅前のビジネスホテルに他の医師とともに泊まった。そこから毎朝7時に警察車両で宮城県警察本部(仙台市)に向かった。
県警本部に着くと、高木氏らは、警察とミューティングを30分ほどかけて行なう。そこで、それぞれの医師が担当する遺体安置所を決める。そのうえで医師らは別々の警察車両に乗り、安置所に向かう。
その頃、県内には南三陸、気仙沼市、亘理(わたり)町などに10ヵ所ほどの安置所があった。その多くは、中学校や高校の体育館だった。震災直後ということもあり、付近の海外沿いを見ると、漂流物に混じって多数の遺体が浮いていたという。
安置所は卓球台をついたてにして、遺体を安置する場所、検視を行なう場所、身元確認をする場所などに区切られていた。震災の日より3~4日後から、親や子どもなどを探しに来た人たちが遺体を見つけては、泣き崩れていたという。検死は毎日、日没の午後4~5時頃まで続けられた。これ以降は停電のため、できなかった。
遺体は、自衛隊や海上保安庁、警察、消防などにより運ばれてきた。多いときには、1日で体育館に200ほどの遺体が並んだ。
まず、警察が泥にまみれたままの遺体の写真を撮影する。その後、学校のプールなどの水で泥を浅い流し、さらに顔のアップなどの撮影。そして、身元確認が行なわれる。ほくろや手術痕などの身体的特徴だけでなく、身に着けていた運転免許証や健康保険証なども、手がかりになるという。
この際、何かの事件に巻き込まれていないかなど万が一に備え、入念に調べられる。ここまで時間は約30分。その後、高木氏らによる検視が15分ほど、そして歯科医による歯科所見採取へと続く。県内の解剖施設は、地震や津波により破壊されていたために、ほとんどの遺体は解剖されなかった。
胸部圧迫、窒息、凍死、外圧――。
溺死の背景には複合的な原因があった
高木氏は、1週間で130ほどの遺体を検死した。新聞などでは「遺体は高齢者が多かった」と報じられていたが、子どもの遺体も少なくないと映ったという。
多くの遺体を診ていくうちに、共通する特徴を見つけた。それは、顔がうっ血している遺体が多いことだった。がれきなどが速い速度でぶつかり、胸部や腹部が圧迫され、頭部から心臓に血液が還らない状態に陥ったためと思われる。
「海や川、プールなどで亡くなる溺死とは、遺体の状況が違った。これら狭義の意味での溺死は、気道に大量の水が一気に入り込み、呼吸ができなくなり、死亡する。今回の場合は、9割以上が津波による溺死ではあるが、それに複合的な要因が重なり、亡くなったと診断できるものだった」
その複合的な要因とは、主に次の4つのものだという。これらの要因のうち、いずれかがほぼ全ての遺体に見られた。高木氏は検死の際、遺体がこれらのうちどれに該当するかを診ていく。
1つは、胸部圧迫による死亡。圧迫を与えたものとして考えられ得るのは、たとえば船や車、家、がれき、さらに押し寄せる波の水圧など。これらが胸や腹部に時速数十キロのスピードで当たり、呼吸ができなくなった可能性がある。
2つめは、一気に大量の水を飲み込むことでの窒息。3つめは、いわゆる凍死。当日、津波に襲われた後、冷たい波の中で木などにつかまり救援を待ったが、寒さで体温が下がり、息を引き取った例がこれに該当する。
4つめは外圧によるもの、たとえばがれきが頭に当たり、脳挫傷などになり死亡したことが考えられる。
ここで、私は尋ねた。震災直後から新聞で「消防団員が避難を呼びかけている最中、ハンドマイクを握ったまま、亡くなった」と報じられていたことについてだ。本当にこのようなことが起きるのかを知りたかった。高木氏はこう答えた。
「推測ではあるが、2つの理由が考えられる。1つは、即死。プールなどでの溺死ならば手足を動かし、もがくから、手に持っているものも放す。今回は、堤防を破壊するほどの水圧で押し寄せてくる津波だった。あの波が直撃すると、心臓や肺など循環器に障害が起きて即死になることは想像できる」
「もう1つの理由は、即時死後硬直(そくじしごこうちょく)。死後に体が硬くなる、いわゆる死後硬直は息を引き取った後、2~3時間に始まる。今回は非常に強い、精神的なストレスにより脳に障害が起き、死の瞬間に硬直した可能性がある。それにより、たとえばハンドマイクを握ったままの姿で亡くなったとも考えられる」
丸太につかまった犠牲者の不思議
遺体の姿は“場所”によって違う?
私は、こんな問いかけもした。「丸太につかまったまま、亡くなっていた遺体があったと報じられたが、これは医学的にあり得るのか」
それは凍死による、即時死後硬直の可能性があるという。「私が診た遺体の中にも、がれきに挟まり、水の中で身動きが取れないまま、凍死したと思われるものがあった。あの日の水温や気温は低く、凍死してしまったのだろう。その場合も、何かにつかまったままの姿で硬直することは考えられる」
多くの遺体の服は脱げてはいないものの、泥が大量についていた。高木氏は安置所のことを振り返りつつ、語る。
「1枚を脱がすと、泥。もう1枚脱がすと、また泥がついていた。特に高齢者は7~8枚と厚着をしていた。だから、泥だらけになっていた。近所に住むお年寄りたちで“避難所は寒いから逃げるときは厚着をしよう”などと話し合っていたのではないか」
遺体の中には、体が引き裂かれ、足や腕だけになっているものもあった。「部分遺体」と言われるものだ。ショベルカーなど重機でがれきの処理をするときに、体を割いてしまった可能性もあるという。このような死後損壊を除けば、実際には損傷は少なく、顔貌や体格が判別できる遺体が多かった。
津波で家や車まで流れてくるとは――。
住民も気づかなかった「本当のリスク」
高木氏は多くの遺体から感じ取った“私見”と述べたうえで、次のような興味深いことを話した。これは、新聞などではあまり報じられないことである。
「宮城県北東部にある牡鹿半島(おじかはんとう)よりも北に位置する気仙沼市や南三陸町、女川町などでは、遺体の傷は比較的少なかった。このあたりはリアス式海岸ということもあり、津波の波は高く、その水圧で亡くなった人が多いように思えた」
「一方で、南にある地域では、津波が流れてくる流速で亡くなったと思える人が多かった。田園地帯が多く、波をさえぎるものがなかったために、一段と加速したのではないか。足が切れて無かったり、頭が割れていたり、胸にがれきが刺さったままのものがあった」
私が被災地に行き、津波から逃れた人に聞くと、こんなことを話すことがあった。
「津波は、波だけだと思っていた」「家や車が流されてくるとは想像できなかった」
この地域に住みながらも、意外と津波の実態を知らないのだ。今後は、想定され得る高さだけでなく、その勢いや水圧、さらには考えられ得る被害などにも踏み込んで、津波を理解する必要があるように思える。そして、津波の怖さを実感として心得るようにしていくべきなのではないだろうか。
津波で身元不明者が多かった理由
検死医の心に今も引っかかるもの
高木氏らは、2回目の検視として5月下旬に岩手県に向かった。1回目、震災直後に宮城県で検死を行なったときから懸念をしていたことがあった。それは、顔がうっ血した遺体が多かったことだ。
「時間が経つと、遺体は腐り、身元がわからなくなる可能性がある。特に血が滞ってうっ血しているところは腐りやすい。顔がわからないと、一段と身元の確認が難しくなる」
その懸念は、現実のものとなった。遺体を診ると、顔から腐敗が進行しているものがいくつもあった。
検死で訪れた大槌(おおつち)町では、犬や猫など動物などとの区別が難しい遺体もあった。この町では、津波が押し寄せたときに火災が起きた。
「焼死体の遺体があり、小型犬ぐらいの大きさになっていた。砂利が混ざった炭のようになり、身元や死因はなかなかわからなかった」
阪神大震災の場合は、ほとんどの遺体はその家の中で見つかった。だが今回は、自宅などからかなり離れたところで発見されることが多い。これが、身元不明者が多い理由の1つと考えられる。
高木氏は検死を終えた1週間程は、体の具合が悪かったという。遺体のことを思い起こし、夢にその姿が出てくることも続いた。
そして全ての遺体が忘れられないと言いながら、「心に強くひっかかるのが、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちの遺体だ」と話す。当日、この子たちが乗った送迎バスは津波に呑まれ、炎に包まれた。
「黒く焦げた、小さな体が折り重なるようになっていた。同じような背丈だった。かすかに残る服などから、身元の確認をしようとした」
報道(朝日新聞8月4日朝刊)によると、この子どもの母親たちは当日の真相解明を求めるために、弁護士らと今後の対応を協議しているという。
私は、遺族のこの動きは好ましいと思う。被災地で多くの死を見てきて、津波から避難する際の意識や姿勢はもっと検証されなければいけない、と考えているからだ。すべての死を「天災だから仕方がなかった」とか、「1000年に1度の津波だから止むを得ない」として責任の所在をあいまいにすることは、今後の防災の役には立たない。
最後に、高木氏は自衛隊、警察、消防などの働きを称えた。
「特に自衛隊には、心を打たれた。震災直後はまだ気温が低く、雪が降ると土砂が凍る。そのため遺体の捜索ができず、それまで捜索にあたっていた自衛官は遺体安置所に赴き、黙々と検死の補助作業をしていた。遺体を運び、体を水で丁寧に洗っていた。10代と思われる自衛官もいた。それを見ていて、こみあげてくるものがあった。遺体に関わる者として、心より敬意を表したい」
“生き証人”の証言から学ぶ防災の心得
高木徹也准教授(杏林大学)の話から、私が感じ取った今後の防災を考えるうえで検証すべき点は、主に以下の3つである。
1、避難所の体制を整え直す
高木氏の検視によると、高齢者の中には厚着をしていた人がいたという。また、多額のおカネを持ち運ぼうとしていたケースがある。これらが、津波からの避難を遅らせた一因とも言える。
今回、被災した地域の多くの避難所には、食料、水、そして石油などの燃料、トイレなどはある程度は備えられていた。だが、事前の想定を上回る人が押し寄せたことで、足りなくなった。たとえば、陸前高田市(岩手県)の中学校では、震災直後、校内に石油ストーブが2つしかなかったという。そこで教室のカーテンなどを取り外し、避難者の体に巻くことで寒さをしのいだ。
今後、避難所の体制は整え直すことが急務である。さらにそれを住民に実際に見てもらう機会を設けるなど、啓蒙も必要だろう。震災以降、すでに文部科学省は全国の学校をその地域の防災拠点として整備する方針を固めている。特に東北の三陸沿岸や四国などの津波常襲地帯は、対策を急ぐことが大切だ。
2、避難意識を一段と高める
震災当日、住民らの避難が徹底されていたかと言えば、必ずしもそうとは言えない。たとえば、記事の最後にある、石巻市(宮城県)の幼稚園に通う5人の子どもたちが死亡した例などだ。ここは私も足を運んだが、丘の上に幼稚園があり、そこが明らかに安全とわかる。それにもかかわらず、園は大津波警報の発表後に送迎バスを出発させた。1台が津波に巻き込まれ、乗っていた園児5人が死亡した。
これらの理由の1つには “油断”もあるのかもしれないが、この地域は今後も大きな地震や津波に襲われる可能性が依然としてある。他の津波常襲地帯も同じであるが、やはりマンネリを打破し、緊張感を持った避難にしていく必要があるのではないか。
そのためには、津波から逃げることをごく当たり前の「文化」にしていくことが大切だ。そうすることで、マンネリを防ぐことにつながっていくのではないだろうか。教育現場などで小さいころから津波からの避難を教え込み、津波常襲地帯の「文化」にしていくことが大切である。
3、遺体から津波の実態を理解する
遺体にまつわる話は、タブー視されている傾向がある。震災から数ヵ月が経つにもかかわらず、津波に巻き込まれた遺体はどうなっているのかなど、踏み込んだ記事はほとんどない。
私は興味本位で遺体について報じることには反対だが、津波に巻き込まれたらどうなるのかといったことは伝える必要があると考えている。ところが、遺体については新聞では「がんばった表情だった」とか「眠るように死んでいた」という表現が目立つ。
これで、多くの人は津波に対しての恐怖を感じるだろうか。いたずらに恐怖を煽るのは問題があるが、自然災害の恐ろしさは事実に即して伝えないといけない。メディアはこのあたりにつき、「自己規制」していないだろうか。
読者は、高木氏の話から何を感じとっただろう。なぜ、ここまで大きな被害が出たのかを冷静に検証することこそ、いま必要なのではないだろうか。
逮捕された警察OBを接待漬けにした「テレビ局」
現職の警部が、捜査対象に天下っている警察OBに捜査資料を流す。品川美容外科の業務上過失致死を巡る情報漏洩事件は、警察のモラル低下を改めて印象づけた。だが、事件にはもう一つ別の側面があると警視庁詰め記者が語る。
「逮捕された元警視庁警部の中道宜昭(53歳)は、警察情報を集めるために品川美容外科に雇われた男で、言ってみればタカリ屋。でも、この男のタカリ癖を育んだのはマスコミ、特に民放テレビ局なんです」
中道が捜査一課の刑事だった数年前に繰り広げられた異様な光景を、あるテレビ局記者が明かす。
「近年はガードが堅い刑事が多いなか、中道は接待をすれば見返りをくれる貴重な存在だった。千葉の野田市に住んでいて、『中道を警視庁までハイヤーで送り届ける権利』をマスコミ各社が奪い合ったんです。家に一番乗りすればいいと、各社朝の3時には常磐道をひた走って野田に向かった。ハイヤー同士がかち合い、カーチェイスになることもあったそうです」
それだけではない。中道の「求愛活動」にもテレビ局は協力した。
「奥さんとは別居状態で、野田にあるスナックのママに入れあげていた。よく一緒に行ってカネを払わされました。資金力のある社は銀座の高級寿司屋でも接待していた。ここまで食い込める刑事はなかなかいないので、各社の接待競争が激化したのですが、さすがに癒着しすぎと判断した一部新聞社で『これ以上中道と付き合うな』とお達しが出たほど。彼を接待モンスターにしたのは、我々にも責任があるんです」(前出のテレビ局記者)
なかでも噂になっていたのがTBS。中道の息子は同社の社員である。上智に通っていた息子の就職が決まった時、中道はたいそう喜び、TBSとの親密度がいっそう高まったという。
今回、テレビ各局は「警察と医療機関の癒着体質」と訳知り顔で事件を報じたが、その裏で、自分たちもこのお喋り刑事にせっせと貢いでいたわけである。
週刊現代 2011年8月13日号
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/14590
「逮捕された元警視庁警部の中道宜昭(53歳)は、警察情報を集めるために品川美容外科に雇われた男で、言ってみればタカリ屋。でも、この男のタカリ癖を育んだのはマスコミ、特に民放テレビ局なんです」
中道が捜査一課の刑事だった数年前に繰り広げられた異様な光景を、あるテレビ局記者が明かす。
「近年はガードが堅い刑事が多いなか、中道は接待をすれば見返りをくれる貴重な存在だった。千葉の野田市に住んでいて、『中道を警視庁までハイヤーで送り届ける権利』をマスコミ各社が奪い合ったんです。家に一番乗りすればいいと、各社朝の3時には常磐道をひた走って野田に向かった。ハイヤー同士がかち合い、カーチェイスになることもあったそうです」
それだけではない。中道の「求愛活動」にもテレビ局は協力した。
「奥さんとは別居状態で、野田にあるスナックのママに入れあげていた。よく一緒に行ってカネを払わされました。資金力のある社は銀座の高級寿司屋でも接待していた。ここまで食い込める刑事はなかなかいないので、各社の接待競争が激化したのですが、さすがに癒着しすぎと判断した一部新聞社で『これ以上中道と付き合うな』とお達しが出たほど。彼を接待モンスターにしたのは、我々にも責任があるんです」(前出のテレビ局記者)
なかでも噂になっていたのがTBS。中道の息子は同社の社員である。上智に通っていた息子の就職が決まった時、中道はたいそう喜び、TBSとの親密度がいっそう高まったという。
今回、テレビ各局は「警察と医療機関の癒着体質」と訳知り顔で事件を報じたが、その裏で、自分たちもこのお喋り刑事にせっせと貢いでいたわけである。
週刊現代 2011年8月13日号
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/14590
野呂美加さんと放射能対策 菊池誠氏
日本は、原発災害は、想定外の津波と地震の組み合わせで、ひき起こされたと主張している。だが新たな証拠は、日本の原子炉は事故を起こす運命にあったことを示唆している
The Independent
David McNeill in Tokyo and Jake Adelstein
水曜日、2011年8月17日
(写真のキャプション:国際原子力機関の事実調査チームのリーダー、マイク・ウエイトマンが、事故後11週目の5月に福島第一原子力発電所の損傷を検査)
それは日本で進行中の原発事故ミステリーの一つだ。津波が襲う前に、3月11日の地震は、福島第一原子力発電所に対して、一体どれだけの損傷を与えたのだろう?
リスクは高い。もし、地震が、原発と、核燃料の安全性を、構造的に損ねたのであれば、日本中のすべての同様な原子炉を停止する必要があり得るのだ。54基のほぼ全ての原子炉は、休止中(35基)か、あるいは、来年4月までに停止予定であり、原発再稼働に関するあらゆる論議に、構造的な安全性の問題がのしかかっている。
この議論において、原発の運営者である東京電力と、日本政府は、とうてい信頼に足る裁定者とは言えない。3月11日後の数日間、"メルトダウンはしていない"と、政府のスポークスマン、枝野官房長官は繰り返した。東京電力の当時の清水正孝社長は、周知の通り、容易には信じられない発言として、後刻、"想定外の事故だった" と語った。事故から五ヶ月たって、枝野官房長官が話していた時点に、メルトダウンが既に起きていたことを我々は知っている。想定外どころか、事故は業界の評論家達によって、繰り返し警告されていたのだ。
何ヶ月もの嘘と虚報の中、定着している話が一つある。地震こそが原発用の電力を損壊し、原子炉6基の冷却を止めた、というものだ。津波が、そこで40分後に、原発の予備発電機を押し流し、あらゆる冷却を停止させ、世界で初めての三重メルトダウンを生じさせた、一連の出来事を引き起こしたのだ。
津波が施設に到達する前に、もしも再循環水配管と冷却水配管が地震の後で破裂していたらどうだろう?電力が停止する前に?建設後40年の老朽第一号炉、日本で依然稼働しているお祖父さんの古炉形に詳しい人々で、これに驚く人はまれだ。
破損して、劣化しつつある、きちんと修理されていない配管と冷却装置の問題は、長年指摘されていた。2002年9月、東京電力は、極めて重要な循環水配管の亀裂に関するデータの隠蔽を認めた。この隠蔽を分析した、原子力資料情報室は、こう書いている。"隠蔽された記録は、再循環配管として知られている原子炉の部品の亀裂に関係している。これらの配管は、原子炉から熱を取り出すために取り付けられているものだ。もしこれらの配管が破裂すれば、冷却液が漏出する深刻な事故となる。"
3月2日、メルトダウンの9日前に、政府の監督機関、原子力安全・保安院は、再循環ポンプを含め、原発機器の極めて重要な部分の検査をしそこねていることに対し、東京電力に警告した。東京電力は、検査し、必要があれば修理をし、原子力安全・保安院に、6月2日に報告するよう命じられていた。現時点では、その報告書は提出されていないようだ。
インデペンデント紙は、原発で何人かの作業員と話したが、皆、同じような話をくり返した。津波が襲う前に、配管と、少なくとも原子炉の一基に、深刻な損傷が起きていた。今でも事故が起きた原発で働いていたり、関係したりしているため、全員が匿名にしてほしいと希望した。事故が起きた日に、福島原発にいた保守技術者の作業員Aは、シューと音をたてて、洩れる配管を思い出している。
"ばらばらになる配管をこの目で見ましたし、原発中では、もっと色々壊れているだろうと思います。地震が原発内部もかなり損傷させたことに疑問の余地はありません... 一号炉タービン建屋の壁の一部がはがれ落ちるのも見ました。あの亀裂は、原子炉に影響したかも知れません。"
原子炉壁は極めて脆弱だと、彼は言う。"炉壁が余りに堅牢だと、内部からのわずかな圧力で、ひびが入る可能性があるので、壊れやすく作られている必要があるのです。もし内部で圧力が維持されれば...内部の機器を損傷する可能性があるので、圧力が逃げられるようになっている必要があるのです。危険な時には、たわむように設計されているのです。そうでないと、もっとひどいことになり得ます。他の人々にとっては衝撃的かも知れませんが、我々にとっては常識です。" 30代後半の技術者で、やはり地震の際に現場にいた作業員Bはこう回想する。"地震は二度襲ったように感じられ、最初の衝撃は余りに強く、建屋が揺れ、配管が曲がるのが見えました。数分間のうちに、配管が破裂するのを見ました。壁からはがれ落ちるものもありました...
"誰かが、皆避難しなければだめだと叫びました。けれども、冷却水給水用配管だと思われるものを含め、何本かの配管がひび割れしているぞと言われ、私にも見えたので、私は避難しながら、大変に心配でした。それは、冷却液が原子炉炉心に到達できないことを意味しています。もし十分な冷却液を炉心に送り込めなければ、炉心はメルトダウンします。原子力学者でなくても、そんなことはわかります。" 車に向かって進む際に、第一原子炉の建屋の壁が崩壊し始めるのが見えた。"穴があいていました。最初の数分間、誰も津波のことは考えていませんでした。私たちは生き残ることを考えていました。"
地震が原子炉に大きな損傷を引き起こしたという疑念は、数分後に、原発から漏れた放射能についての報告によって強化される。ブルームバーグ通信社は、午後3.29、津波が襲う前、原発からおよそ1.6キロの所で、放射能警報が鳴ったと報道している。
地震が、原子炉に対して、直接的な構造上の損傷を引き起こしたことを、当局が認めたがらない理由は明白だ。「東京電力: 帝国の暗黒」の著者、恩田勝亘氏は、こう説明している。政府や業界がそれを認めれば、"彼らが運用しているすべての原子炉の安全性にまつわる疑念が生じます。彼等は、同じシステム上の問題、同じ配管損傷を抱えた、多数の古めかしい原子炉を運用しているのです" 地震は、もちろん日本では日常茶飯事だ。
元原発設計者の田中三彦氏は、3月11日に起きたのは、冷却液損失事故だと説明している。"東京電力が公開したデータは、地震から数時間後の、冷却液の膨大な喪失を示しています。これは電力喪失のせいにはできません。既に、冷却装置には大変な損傷があったので、津波が到来するずっと前から、メルトダウンは不可避だったのです。"
公開されたデータは、地震直後機、午後2.52に、AとB系統両方の緊急循環冷却装置が自動的に起動したことを示していると彼は言う。"これは、冷却液の喪失が起きた場合にのみ、起こります。" 午後3.04から3.11の間に、格納容器内部の水噴霧装置が起動した。田中氏は、これは他の冷却装置が駄目な場合にのみ、使われる緊急対策だと言う。午後3.37頃に、津波が到来し、すべての電気系統を破壊する頃には、原発は、既にメルトダウンに向かって進んでいたのだ。
原発の現場検査を行い、東京電力のデータ改竄について、最初に内部告発をしたケイ菅岡氏は、事故が起きたことに驚いていないと語っている。日本政府宛の、2000年6月28日付け書面で、東京電力は、原発において、ひどく損傷した蒸気乾燥機を、彼が問題を指摘してから10年間稼働し続けていると警告した。政府は警告を二年間、放置していた。
"私はいつも単に時間の問題だと思っていました。" 事故について彼はそう語っている。"今は、自分が正しかったことが幸福と思えない、人生の一時期です。"
調査期間中、恩田氏は東京電力の原発で働いた何人かの技術者と話をした。一人は、配管が図面と合わないことがよくあったと語っていた。その場合、唯一の解決策は、重機を使い、配管を十分近くに引き寄せ、溶接して、閉じることだ。配管の検査は、ぞんざいなことが多く、近寄りがたい配管の裏側は無視されることが多かった。修理作業は大急ぎで行われる。必要以上に長く、放射能に曝されたい人などいないのだ。
恩田氏はこう補足した。"福島原子力発電所を初めて訪問した際、配管の蜘蛛の巣でした。壁や天井の、地上の配管。配管を跨ぎ、配管の下をくぐって歩かなければなりませでした。時には、頭を、配管にぶつけました。原子炉の熱を制御し、冷却液を運ぶ配管は、原子力発電所の静脈と動脈です。炉心は心臓部です。もし配管が破断すれば、不可欠な冷却水が炉心にまわらなくなり、心臓マヒになります。原子力の用語で、メルトダウンです。簡単に言えば、冷却液を運び、熱を制御している配管が破裂すれば、原子炉炉心は冷却できません。冷却液が炉心に届かないのですから。"
1977年から、2009年まで東京電力に勤務し、元福島原発の安全担当者だった蓮池透氏は、"福島原発の原発事故の緊急対策には、炉心冷却のために海水を使うという記述はありません。海水を炉心に注入は、原子炉を破壊することです。それをする唯一の理由は、他の水や冷却液が使えない場合です。"と語っている。
3月12日の夜明け前、原子炉の水位は急落し始め、放射能は上昇し始めた。当日午前4時過ぎに発表した東京電力の報道発表にはこうある。"格納容器内の圧力は高いが安定している。" 発表の中には、多くの人々が見落としている一つの記述が埋もれていた。"緊急冷却水循環システムが炉心内の蒸気を冷却していた。それが機能を停止した。"
午後9.51、社長命令で、原子炉建屋内は立ち入り禁止区域となった。午後11時頃、原子炉の隣にあるタービン建屋内の放射能レベルは、一時間0.5から1.2 mSvのレベルに達した。言い換えれば、メルトダウンは既に進行中だったのだ。このレベルだと、20分間、このレベルの放射能に曝されれば、日本の原子炉作業員の許容量5年分を超えてしまう。
3月12日の午前4時から6時のある時点で、吉田昌郎所長は、海水を原子炉炉心に注水するべき時期だと判断し、東京電力に通知した。海水は、水素爆発が起きてから数時間後、午後8時頃まで、注水されなかった。その頃では、おそらく既に遅すぎた。
3月末、東京電力は、"福島第一原子力発電所一号機の原子炉炉心状態"という題名の報告書中で、少なくとも、こうした主張のいくつかを 多少は認める方向に進んだ。報告書には、配管を含め、重要な設備に、津波前に損傷があったとある。
"これはつまり、日本と海外の業界による、原子炉は堅牢だという保障は、吹き飛んだということです" と、独立した放射性廃棄物コンサルタントで、グリーンピースと協力しているショーン・バーニーは語っている。"地震危険度の高い地域にあるすべての原子炉に対し、基本的な疑問が生じます"
バーニー氏が指摘している通り、東京電力も、冷却液喪失の16時間後、第一号炉爆発の、7ないし8時間前の、大量の燃料溶融を認めている。"こうしたこと全てを彼らは知っていたに違いありませんから、膨大な量の水で水浸しにするという彼等の決断は、太平洋への漏洩を含めて、更なる膨大な汚染を、必ずひき起こすものでした。"
地震によって、原発がどれほど損傷したのか、あるいは、この損傷だけが、メルトダウンの原因なのかは誰にもわからない。ただし、東京電力のデータと、目撃者の証言は、損傷がかなりのものであったことを明らかに示している。
蓮池氏はこう語っている。"東京電力と日本政府は色々説明していますが、辻褄があいません。彼等がまだ提供していない一つのことは、真実です。そうすべき頃合いです。"
記事原文のurl:www.independent.co.uk/news/world/asia/the-explosive-truth-behind-fukushimas-meltdown-2338819.html
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テレビは、川下り事故やばらばら殺人、あるいは茶番代表選のニュースばかり。
追求すべきフクシマの原因・責任・対策、スッカリかすんでいる。
知事が原子力マフィアの一員、泊原発の漫才再稼働に至っては、ただの垂れ流し。京都の皆様は東北の薪は放射能で危険で使えないといわれるが、すぐ近くに何基も立ち並ぶ放射能の巨塊・美浜・大飯・高浜原発を廃止しようと発想されなかったのだろうか?本当だろうか?
川下り観光船運営会社、捜査されたり、責任云々と報道されたりしているようだ。
フクシマ災害で、経産省や東電が捜査されたり、責任云々と報道されたりしたとは聞いたことがない。失敗学の先生による調査委員会は御用学者を免責する。失敗責任を明確にしなければ、防止対策などできないだろうに。莫大な被害をもたらした判断に責任を問わない犯罪者天国。
8月17日 泊原発の営業運転、交付金支給規則変更、韓国の原発事情について 小出裕章(MBS)
は、マスコミと違って、重要な事実が語られている。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-27f6.html
The Independent
David McNeill in Tokyo and Jake Adelstein
水曜日、2011年8月17日
(写真のキャプション:国際原子力機関の事実調査チームのリーダー、マイク・ウエイトマンが、事故後11週目の5月に福島第一原子力発電所の損傷を検査)
それは日本で進行中の原発事故ミステリーの一つだ。津波が襲う前に、3月11日の地震は、福島第一原子力発電所に対して、一体どれだけの損傷を与えたのだろう?
リスクは高い。もし、地震が、原発と、核燃料の安全性を、構造的に損ねたのであれば、日本中のすべての同様な原子炉を停止する必要があり得るのだ。54基のほぼ全ての原子炉は、休止中(35基)か、あるいは、来年4月までに停止予定であり、原発再稼働に関するあらゆる論議に、構造的な安全性の問題がのしかかっている。
この議論において、原発の運営者である東京電力と、日本政府は、とうてい信頼に足る裁定者とは言えない。3月11日後の数日間、"メルトダウンはしていない"と、政府のスポークスマン、枝野官房長官は繰り返した。東京電力の当時の清水正孝社長は、周知の通り、容易には信じられない発言として、後刻、"想定外の事故だった" と語った。事故から五ヶ月たって、枝野官房長官が話していた時点に、メルトダウンが既に起きていたことを我々は知っている。想定外どころか、事故は業界の評論家達によって、繰り返し警告されていたのだ。
何ヶ月もの嘘と虚報の中、定着している話が一つある。地震こそが原発用の電力を損壊し、原子炉6基の冷却を止めた、というものだ。津波が、そこで40分後に、原発の予備発電機を押し流し、あらゆる冷却を停止させ、世界で初めての三重メルトダウンを生じさせた、一連の出来事を引き起こしたのだ。
津波が施設に到達する前に、もしも再循環水配管と冷却水配管が地震の後で破裂していたらどうだろう?電力が停止する前に?建設後40年の老朽第一号炉、日本で依然稼働しているお祖父さんの古炉形に詳しい人々で、これに驚く人はまれだ。
破損して、劣化しつつある、きちんと修理されていない配管と冷却装置の問題は、長年指摘されていた。2002年9月、東京電力は、極めて重要な循環水配管の亀裂に関するデータの隠蔽を認めた。この隠蔽を分析した、原子力資料情報室は、こう書いている。"隠蔽された記録は、再循環配管として知られている原子炉の部品の亀裂に関係している。これらの配管は、原子炉から熱を取り出すために取り付けられているものだ。もしこれらの配管が破裂すれば、冷却液が漏出する深刻な事故となる。"
3月2日、メルトダウンの9日前に、政府の監督機関、原子力安全・保安院は、再循環ポンプを含め、原発機器の極めて重要な部分の検査をしそこねていることに対し、東京電力に警告した。東京電力は、検査し、必要があれば修理をし、原子力安全・保安院に、6月2日に報告するよう命じられていた。現時点では、その報告書は提出されていないようだ。
インデペンデント紙は、原発で何人かの作業員と話したが、皆、同じような話をくり返した。津波が襲う前に、配管と、少なくとも原子炉の一基に、深刻な損傷が起きていた。今でも事故が起きた原発で働いていたり、関係したりしているため、全員が匿名にしてほしいと希望した。事故が起きた日に、福島原発にいた保守技術者の作業員Aは、シューと音をたてて、洩れる配管を思い出している。
"ばらばらになる配管をこの目で見ましたし、原発中では、もっと色々壊れているだろうと思います。地震が原発内部もかなり損傷させたことに疑問の余地はありません... 一号炉タービン建屋の壁の一部がはがれ落ちるのも見ました。あの亀裂は、原子炉に影響したかも知れません。"
原子炉壁は極めて脆弱だと、彼は言う。"炉壁が余りに堅牢だと、内部からのわずかな圧力で、ひびが入る可能性があるので、壊れやすく作られている必要があるのです。もし内部で圧力が維持されれば...内部の機器を損傷する可能性があるので、圧力が逃げられるようになっている必要があるのです。危険な時には、たわむように設計されているのです。そうでないと、もっとひどいことになり得ます。他の人々にとっては衝撃的かも知れませんが、我々にとっては常識です。" 30代後半の技術者で、やはり地震の際に現場にいた作業員Bはこう回想する。"地震は二度襲ったように感じられ、最初の衝撃は余りに強く、建屋が揺れ、配管が曲がるのが見えました。数分間のうちに、配管が破裂するのを見ました。壁からはがれ落ちるものもありました...
"誰かが、皆避難しなければだめだと叫びました。けれども、冷却水給水用配管だと思われるものを含め、何本かの配管がひび割れしているぞと言われ、私にも見えたので、私は避難しながら、大変に心配でした。それは、冷却液が原子炉炉心に到達できないことを意味しています。もし十分な冷却液を炉心に送り込めなければ、炉心はメルトダウンします。原子力学者でなくても、そんなことはわかります。" 車に向かって進む際に、第一原子炉の建屋の壁が崩壊し始めるのが見えた。"穴があいていました。最初の数分間、誰も津波のことは考えていませんでした。私たちは生き残ることを考えていました。"
地震が原子炉に大きな損傷を引き起こしたという疑念は、数分後に、原発から漏れた放射能についての報告によって強化される。ブルームバーグ通信社は、午後3.29、津波が襲う前、原発からおよそ1.6キロの所で、放射能警報が鳴ったと報道している。
地震が、原子炉に対して、直接的な構造上の損傷を引き起こしたことを、当局が認めたがらない理由は明白だ。「東京電力: 帝国の暗黒」の著者、恩田勝亘氏は、こう説明している。政府や業界がそれを認めれば、"彼らが運用しているすべての原子炉の安全性にまつわる疑念が生じます。彼等は、同じシステム上の問題、同じ配管損傷を抱えた、多数の古めかしい原子炉を運用しているのです" 地震は、もちろん日本では日常茶飯事だ。
元原発設計者の田中三彦氏は、3月11日に起きたのは、冷却液損失事故だと説明している。"東京電力が公開したデータは、地震から数時間後の、冷却液の膨大な喪失を示しています。これは電力喪失のせいにはできません。既に、冷却装置には大変な損傷があったので、津波が到来するずっと前から、メルトダウンは不可避だったのです。"
公開されたデータは、地震直後機、午後2.52に、AとB系統両方の緊急循環冷却装置が自動的に起動したことを示していると彼は言う。"これは、冷却液の喪失が起きた場合にのみ、起こります。" 午後3.04から3.11の間に、格納容器内部の水噴霧装置が起動した。田中氏は、これは他の冷却装置が駄目な場合にのみ、使われる緊急対策だと言う。午後3.37頃に、津波が到来し、すべての電気系統を破壊する頃には、原発は、既にメルトダウンに向かって進んでいたのだ。
原発の現場検査を行い、東京電力のデータ改竄について、最初に内部告発をしたケイ菅岡氏は、事故が起きたことに驚いていないと語っている。日本政府宛の、2000年6月28日付け書面で、東京電力は、原発において、ひどく損傷した蒸気乾燥機を、彼が問題を指摘してから10年間稼働し続けていると警告した。政府は警告を二年間、放置していた。
"私はいつも単に時間の問題だと思っていました。" 事故について彼はそう語っている。"今は、自分が正しかったことが幸福と思えない、人生の一時期です。"
調査期間中、恩田氏は東京電力の原発で働いた何人かの技術者と話をした。一人は、配管が図面と合わないことがよくあったと語っていた。その場合、唯一の解決策は、重機を使い、配管を十分近くに引き寄せ、溶接して、閉じることだ。配管の検査は、ぞんざいなことが多く、近寄りがたい配管の裏側は無視されることが多かった。修理作業は大急ぎで行われる。必要以上に長く、放射能に曝されたい人などいないのだ。
恩田氏はこう補足した。"福島原子力発電所を初めて訪問した際、配管の蜘蛛の巣でした。壁や天井の、地上の配管。配管を跨ぎ、配管の下をくぐって歩かなければなりませでした。時には、頭を、配管にぶつけました。原子炉の熱を制御し、冷却液を運ぶ配管は、原子力発電所の静脈と動脈です。炉心は心臓部です。もし配管が破断すれば、不可欠な冷却水が炉心にまわらなくなり、心臓マヒになります。原子力の用語で、メルトダウンです。簡単に言えば、冷却液を運び、熱を制御している配管が破裂すれば、原子炉炉心は冷却できません。冷却液が炉心に届かないのですから。"
1977年から、2009年まで東京電力に勤務し、元福島原発の安全担当者だった蓮池透氏は、"福島原発の原発事故の緊急対策には、炉心冷却のために海水を使うという記述はありません。海水を炉心に注入は、原子炉を破壊することです。それをする唯一の理由は、他の水や冷却液が使えない場合です。"と語っている。
3月12日の夜明け前、原子炉の水位は急落し始め、放射能は上昇し始めた。当日午前4時過ぎに発表した東京電力の報道発表にはこうある。"格納容器内の圧力は高いが安定している。" 発表の中には、多くの人々が見落としている一つの記述が埋もれていた。"緊急冷却水循環システムが炉心内の蒸気を冷却していた。それが機能を停止した。"
午後9.51、社長命令で、原子炉建屋内は立ち入り禁止区域となった。午後11時頃、原子炉の隣にあるタービン建屋内の放射能レベルは、一時間0.5から1.2 mSvのレベルに達した。言い換えれば、メルトダウンは既に進行中だったのだ。このレベルだと、20分間、このレベルの放射能に曝されれば、日本の原子炉作業員の許容量5年分を超えてしまう。
3月12日の午前4時から6時のある時点で、吉田昌郎所長は、海水を原子炉炉心に注水するべき時期だと判断し、東京電力に通知した。海水は、水素爆発が起きてから数時間後、午後8時頃まで、注水されなかった。その頃では、おそらく既に遅すぎた。
3月末、東京電力は、"福島第一原子力発電所一号機の原子炉炉心状態"という題名の報告書中で、少なくとも、こうした主張のいくつかを 多少は認める方向に進んだ。報告書には、配管を含め、重要な設備に、津波前に損傷があったとある。
"これはつまり、日本と海外の業界による、原子炉は堅牢だという保障は、吹き飛んだということです" と、独立した放射性廃棄物コンサルタントで、グリーンピースと協力しているショーン・バーニーは語っている。"地震危険度の高い地域にあるすべての原子炉に対し、基本的な疑問が生じます"
バーニー氏が指摘している通り、東京電力も、冷却液喪失の16時間後、第一号炉爆発の、7ないし8時間前の、大量の燃料溶融を認めている。"こうしたこと全てを彼らは知っていたに違いありませんから、膨大な量の水で水浸しにするという彼等の決断は、太平洋への漏洩を含めて、更なる膨大な汚染を、必ずひき起こすものでした。"
地震によって、原発がどれほど損傷したのか、あるいは、この損傷だけが、メルトダウンの原因なのかは誰にもわからない。ただし、東京電力のデータと、目撃者の証言は、損傷がかなりのものであったことを明らかに示している。
蓮池氏はこう語っている。"東京電力と日本政府は色々説明していますが、辻褄があいません。彼等がまだ提供していない一つのことは、真実です。そうすべき頃合いです。"
記事原文のurl:www.independent.co.uk/news/world/asia/the-explosive-truth-behind-fukushimas-meltdown-2338819.html
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テレビは、川下り事故やばらばら殺人、あるいは茶番代表選のニュースばかり。
追求すべきフクシマの原因・責任・対策、スッカリかすんでいる。
知事が原子力マフィアの一員、泊原発の漫才再稼働に至っては、ただの垂れ流し。京都の皆様は東北の薪は放射能で危険で使えないといわれるが、すぐ近くに何基も立ち並ぶ放射能の巨塊・美浜・大飯・高浜原発を廃止しようと発想されなかったのだろうか?本当だろうか?
川下り観光船運営会社、捜査されたり、責任云々と報道されたりしているようだ。
フクシマ災害で、経産省や東電が捜査されたり、責任云々と報道されたりしたとは聞いたことがない。失敗学の先生による調査委員会は御用学者を免責する。失敗責任を明確にしなければ、防止対策などできないだろうに。莫大な被害をもたらした判断に責任を問わない犯罪者天国。
8月17日 泊原発の営業運転、交付金支給規則変更、韓国の原発事情について 小出裕章(MBS)
は、マスコミと違って、重要な事実が語られている。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-27f6.html
そもそも政府は放射能を甘くみてるんじゃないの?
neuhelfer さんが 2011/08/18 にアップロード
そもそも総研たまペディア
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=t0_G69IuPYk
児玉龍彦教授の除染活動に密着
ilovefukushima66 さんが 2011/08/15 にアップロード
児玉龍彦教授の南相馬市での除染活動に密着。丁寧な取材を高く評価したい。児玉先生の声明「日本の国土というのは、すべからく、子どもと妊婦を最優先する責務を科学者も政 治家も経済人もマスコミも責任を負っている」
http://www.youtube.com/watch?v=Yy-NL8gzU2M放射線量:福島県も高さ1メートルのデータ報告
文部科学省に報告される地上から高さ1メートルで測定した放射線量のデータが、22日公表分から福島県が加わり、全47都道府県でそろうことになった。同省によると、これまで同県は災害対応に追われていることを理由に報告してこなかったが、21日分から高さ1メートルで測定する態勢が整ったという。【木村健二】
「原発」に無力だった司法の状況
このほど結成された脱原発弁護団連絡会議の河合弘之代表が、8月9日に開かれたシンポジウムで、今年3月11日以前、原発差し止め訴訟が実に20連敗で全敗状態だったことについて、4点の理由を挙げて、分かりやすく説明しています。
一つ目は、数10年にわたり、数千億円が投入されて繰り返された「電力必要・安全キャンペーン」が国民と裁判官に完全に浸透していたこと。資源小国、原発必要論か国民を完全に籠絡し、裁判官は予断と偏見を持っていた、と。結果原発を危ないという人はありもしないことを大げさにいう変わった人、「狼少年」で、その弁護士も「狼少年」の弁護士だったとしています。
二つ目は、設置許可や、安全評価審査指針、耐震設計指針をパスしていればOKとなってしまっていた原発側の安全立証。
三つ目は、争点ごとに原発に有利な書証を絨毯爆撃のように出してくる山のようにいる御用学者の存在。これに対し、「御用学者ではない良心的な学者」を見つけるのは大変で、反論はゲリラ的なものにならざるを得なかった、と。
そして、四つ目は、行政の考え方を尊重すべしとする最高裁の裁判官に対する上からの締め付けと、裁判官のことなかれ主義、としています。
この状況が、福島原発事故で一変した、と河合代表は言います。原発キャンペーンの威力はなくなり、裁判官は住民側の警告の真実性を心と身体で感じ、許可や指針のパスがお墨付きにならない、と分かった、と。御用学者のいいかげんさは明らかになり、安易な認容判断を出して事故が起きてしまった場合の責任を考えて、慎重な姿勢に変わったとしています。
これが、まさに司法の場において、原発という存在がどうにもできなかった現実、別の言い方をすれば、危険な状態を回避するのに無力だった司法の現実であると思います。
逆に、推進する側からすれば、これが危険であるという主張を排して、原発を強行するために必要だった環境であり、ある意味、そのために作られた環境のようにもとれます。河合代表の指摘には、直接は挙げられていないものの、この環境を作るのに大マスコミが大きな役割を果たしていることはいうまでもありません。
それはある時は、前記国民籠絡キャンペーンで積極的な協力という形で、ある時は、真実や「狼少年」側の声を取り上げない不作為という形で、環境づくりに貢献してきたととることができます。
そして、やりきれない気持ちにはなりますが、冷厳な事実として受け止めなければならないのは、こうした不正義な環境がひっくり返り、司法がいわば正義に向かって機能し始めるためには、今回の大震災と福島原発事故というこの国の国民の被害と不幸が必要だった、ということです。
どんなことでもそう、それが現実といってしまえば、それまでですが、それでもこれは望ましい形ではない。いうまでもなく、国民の被害と不幸が発生するまで、この不正義な環境は、危険な状態のまま、事態の発生を回避できるのにしないまま、えんえんと存在しているからです。あの日、震災と原発事故がなければ、この国は今も間違いなく原発推進にひた走り、反原発派が連敗を続けていることを少し想像しただけでも、この環境の不気味さがより浮かび上がってくる気がします。
原発だけではありません。その規模、影響の大小違いがあっても、こうした作られた環境に阻まれ、司法でも社会でも、危険への警告が届かず、現状の政策が続く局面が沢山あります。そのいくつもの「必要・安全キャンペーン」に対しては、われわれができることは、時に権威に対しても疑い、「狼少年」にも耳をかし、自分の頭で考えることから始める意外にありません。
元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 2011年08月23日09時44分 (引用)
http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-229.html
一つ目は、数10年にわたり、数千億円が投入されて繰り返された「電力必要・安全キャンペーン」が国民と裁判官に完全に浸透していたこと。資源小国、原発必要論か国民を完全に籠絡し、裁判官は予断と偏見を持っていた、と。結果原発を危ないという人はありもしないことを大げさにいう変わった人、「狼少年」で、その弁護士も「狼少年」の弁護士だったとしています。
二つ目は、設置許可や、安全評価審査指針、耐震設計指針をパスしていればOKとなってしまっていた原発側の安全立証。
三つ目は、争点ごとに原発に有利な書証を絨毯爆撃のように出してくる山のようにいる御用学者の存在。これに対し、「御用学者ではない良心的な学者」を見つけるのは大変で、反論はゲリラ的なものにならざるを得なかった、と。
そして、四つ目は、行政の考え方を尊重すべしとする最高裁の裁判官に対する上からの締め付けと、裁判官のことなかれ主義、としています。
この状況が、福島原発事故で一変した、と河合代表は言います。原発キャンペーンの威力はなくなり、裁判官は住民側の警告の真実性を心と身体で感じ、許可や指針のパスがお墨付きにならない、と分かった、と。御用学者のいいかげんさは明らかになり、安易な認容判断を出して事故が起きてしまった場合の責任を考えて、慎重な姿勢に変わったとしています。
これが、まさに司法の場において、原発という存在がどうにもできなかった現実、別の言い方をすれば、危険な状態を回避するのに無力だった司法の現実であると思います。
逆に、推進する側からすれば、これが危険であるという主張を排して、原発を強行するために必要だった環境であり、ある意味、そのために作られた環境のようにもとれます。河合代表の指摘には、直接は挙げられていないものの、この環境を作るのに大マスコミが大きな役割を果たしていることはいうまでもありません。
それはある時は、前記国民籠絡キャンペーンで積極的な協力という形で、ある時は、真実や「狼少年」側の声を取り上げない不作為という形で、環境づくりに貢献してきたととることができます。
そして、やりきれない気持ちにはなりますが、冷厳な事実として受け止めなければならないのは、こうした不正義な環境がひっくり返り、司法がいわば正義に向かって機能し始めるためには、今回の大震災と福島原発事故というこの国の国民の被害と不幸が必要だった、ということです。
どんなことでもそう、それが現実といってしまえば、それまでですが、それでもこれは望ましい形ではない。いうまでもなく、国民の被害と不幸が発生するまで、この不正義な環境は、危険な状態のまま、事態の発生を回避できるのにしないまま、えんえんと存在しているからです。あの日、震災と原発事故がなければ、この国は今も間違いなく原発推進にひた走り、反原発派が連敗を続けていることを少し想像しただけでも、この環境の不気味さがより浮かび上がってくる気がします。
原発だけではありません。その規模、影響の大小違いがあっても、こうした作られた環境に阻まれ、司法でも社会でも、危険への警告が届かず、現状の政策が続く局面が沢山あります。そのいくつもの「必要・安全キャンペーン」に対しては、われわれができることは、時に権威に対しても疑い、「狼少年」にも耳をかし、自分の頭で考えることから始める意外にありません。
元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 2011年08月23日09時44分 (引用)
http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-229.html
東大・児玉龍彦教授:「国会は機能不全に陥っている」
児玉教授は政府の放射性物質汚染の対策が決まらないまま国会が会期末を迎えようとしている現状に、「(閉会は)まったく理解できない。国会は機能不全に陥っている。
国政は国民のためにある」と、声を詰まらせながら訴えた。
児玉教授は、除染作業によって生じた汚染土壌の処理方法などが決まらない中、永田町の話題が民主党代表選一色になっていることを批判。
「リーダー選びは大事だが、党内事情に終始するだけで、(汚染問題が)基準になっていない。国民にとって最高のことをやってくれる人になってほしい。総力をあげて国民本位の政策を作ってほしい」と主張した。
そのうえで、汚染地域の子どもや妊婦への支援体制整備や国レベルの汚染対策の方針を決める「従来の原子力とは関係ない清新な有識者による委員会」を設置することを求めた。
また、汚染土壌を入れたコンテナを浅い地中に埋めるなど、具体的な処分方法を提案した。
【永山悦子、久野華代】
政府の言う事を信用するな、遠くに逃げろ
木下黄太 氏のつぶやきより
http://twitter.com/#!/KinositaKouta/status/104859433527558144
頭では現状がどれ程怖い事態になっているのかを理解しているつもりではあったが、この木下氏のつぶやきには衝撃を覚えた。
ネット上では、デマや不安を煽る様な大袈裟な書き込みが多々見られるが、木下氏はそういうタイプの人間ではないからだ。
放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」
http://twitter.com/#!/KinositaKouta/status/104859433527558144
頭では現状がどれ程怖い事態になっているのかを理解しているつもりではあったが、この木下氏のつぶやきには衝撃を覚えた。
ネット上では、デマや不安を煽る様な大袈裟な書き込みが多々見られるが、木下氏はそういうタイプの人間ではないからだ。
放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」
東日本大震災:義援金90億円を返金 福島県が日赤に
日本赤十字社は22日、東日本大震災で日赤と中央共同募金会に寄せられ、被災した15都道県に送金した義援金のうち、福島県から約90億円の返金があったと発表した。福島県が被害を多めに見積もって日赤に申請していたため。
福島県の返金はいずれも今月12日で、1次配分から約34億円、2次配分からは約56億円。日赤や県によると、全壊住宅の戸数や福島第1原発事故の警戒区域、計画的避難区域など指定された区域からの避難世帯を多く見積もっていた。日赤は「新たな被害が分かれば追加で送金するので運用上問題はない」としている。【石川隆宣】
毎日新聞 2011年8月22日 (引用)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110823k0000m040061000c.html
福島県の返金はいずれも今月12日で、1次配分から約34億円、2次配分からは約56億円。日赤や県によると、全壊住宅の戸数や福島第1原発事故の警戒区域、計画的避難区域など指定された区域からの避難世帯を多く見積もっていた。日赤は「新たな被害が分かれば追加で送金するので運用上問題はない」としている。【石川隆宣】
毎日新聞 2011年8月22日 (引用)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110823k0000m040061000c.html
国際航業グループ、国内メガソーラー事業を強化 今年度80億円を投資
国際航業グループは国内メガソーラー事業に約80億円を投資し、2012年4月1日までに合計約20メガワット級となる、7カ所のメガソーラーの設置を目指す。 国際航業ホールディングスを中核とする国際航業グループは8月4日、2012年4月1日までに大規模太陽光発電システム(メガソーラー)を国内に新たに7カ所設置する計画を発表した。約80億円を投資し、合計約20メガワット級となるメガソーラーの設置を目指す。
同社はこれまで地図製作などの基となる空間情報の収集・解析を通じたコンサルティング業務を主軸とする一方で、2008年には太陽光発電事業を行う独Geosol Groupを子会社化。今年3月には宮崎県内にメガソーラー「都農第2発電所」を完成させるなど、国内外で太陽光発電事業に力を入れてきた。「(メガソーラーを設置するための)土地情報の収集から、設備の設計・建設、運用・保守までの全プロセスを実行できる」(国際航業HDの渡邊和伸 取締役企画本部長)というノウハウや、グループ企業である日本アジアホールディングスの資金調達力を生かし、国内メガソーラー事業を強化していく。
この取り組みは、今年4月に国会提出された「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」(再生可能エネルギーの全量買取制度)を受けたもの。国際航業HDの山下哲生 取締役会長は「同制度の施行が見込まれる2012年4月1日までを目標に約80億円を投資し、国内の7カ所で2メガワット級やそれ以上の規模のメガソーラーを完成させたい」と話す。
また、山下会長は「同法案における電力の買い取り価格が分かっていない以上、明確な売上目標は示せない」とするものの、「最低でも1%、できれば4~5%程度の事業採算性は確保したい」としている。
同法案の国会提出以来、新たに電力事業に参入を表明する企業が増えている。山下会長は「当社は国内外で多くのメガソーラーを設置した実績があるほか、空間情報の提供を通じて多くの地方公共団体と密接なつながりを築いてきた。部分的にソフトバンクなど他社と競合する可能性はあるが、土地の調達に関してはさほど問題にはならない」と話している。
ITメディアニュース 2011年08月04日 15時42分
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1108/04/news068.html
国際航業HDのサンドラ・ウー社長は「メガソーラー事業の強化を通じ、当社の国内認知度を向上させたい」と話す
同社はこれまで地図製作などの基となる空間情報の収集・解析を通じたコンサルティング業務を主軸とする一方で、2008年には太陽光発電事業を行う独Geosol Groupを子会社化。今年3月には宮崎県内にメガソーラー「都農第2発電所」を完成させるなど、国内外で太陽光発電事業に力を入れてきた。「(メガソーラーを設置するための)土地情報の収集から、設備の設計・建設、運用・保守までの全プロセスを実行できる」(国際航業HDの渡邊和伸 取締役企画本部長)というノウハウや、グループ企業である日本アジアホールディングスの資金調達力を生かし、国内メガソーラー事業を強化していく。
同社の海外でのメガソーラー事業取り組み実績(写真=左)、同社の強み(写真=右)
山下会長
また、山下会長は「同法案における電力の買い取り価格が分かっていない以上、明確な売上目標は示せない」とするものの、「最低でも1%、できれば4~5%程度の事業採算性は確保したい」としている。
同法案の国会提出以来、新たに電力事業に参入を表明する企業が増えている。山下会長は「当社は国内外で多くのメガソーラーを設置した実績があるほか、空間情報の提供を通じて多くの地方公共団体と密接なつながりを築いてきた。部分的にソフトバンクなど他社と競合する可能性はあるが、土地の調達に関してはさほど問題にはならない」と話している。
ITメディアニュース 2011年08月04日 15時42分
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1108/04/news068.html
放射性物質拡散を空から測定、1都21県に拡大
文部科学省は22日、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散状況を、航空機を使って測定する調査を、青森県から愛知県の1都21県に広げると発表した。
これまでは福島や宮城県を中心に、原発の半径約120キロ圏内で実施していたが、圏外でも線量の高い地域が見つかったため。23日に群馬県で始め、10月まで順次実施する。
航空機に搭載する測定器は、これまで使われていた原子力安全技術センターと米エネルギー省の装置に加え、日豪の地質調査会社から借り、計4台になる。民間や地方自治体の防災ヘリコプターに積んで放射性物質の分布を調べ、文科省のホームページで結果を公表する。
読売新聞 2011年8月22日23時14分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110822-OYT1T01071.htm
これまでは福島や宮城県を中心に、原発の半径約120キロ圏内で実施していたが、圏外でも線量の高い地域が見つかったため。23日に群馬県で始め、10月まで順次実施する。
航空機に搭載する測定器は、これまで使われていた原子力安全技術センターと米エネルギー省の装置に加え、日豪の地質調査会社から借り、計4台になる。民間や地方自治体の防災ヘリコプターに積んで放射性物質の分布を調べ、文科省のホームページで結果を公表する。
読売新聞 2011年8月22日23時14分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110822-OYT1T01071.htm
2011年8月21日日曜日
泊原発 高橋知事と北電の蜜月関係
泊原発 高橋知事と北電の蜜月関係
(東京新聞「こちら特報部」8月17日)
北海道電力泊原発3号機は営業運転再開へ動きだしたが、最終判断をした高橋はるみ北海道知事の、北海道電力との蜜月ぶりには驚かされる。同社幹部からの政治献金は毎年の恒例。北電元会長が資金管理団体の会長も務める。原発「全機停止」の事態を避けたかった経済産業省にとって、これほどの“人材”はなかったはずだ。 (小国智宏、篠ケ瀬祐司)
◆再開中止 市民が要請
北海道議会で特別委員会が開かれた16日午後、市民約40人が東京・丸の内の北海道電力東京支社を訪れ、泊原発3号機の営業運転再開断念を申し入れた。「9・11再稼働反対・脱原発! 全国アクション」実行委員会の杉原浩司さんは「国や道知事の判断とは別に、事業者としての責任も重大だ。最低限ストレステストを受けるべきだ」と、同支社担当者に迫った。
「安全性の信頼を確保するため原子力安全・保安院の最終検査に加えて原子力安全委員会の確認プロセスを得たことは評価したい」。十六日の道議会産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会。高橋はるみ知事は泊原発3号機の安全性について、こう説明した。 「地元町村には速やかに情報提供をしていく。
道民には記者会見で説明したい」とも。
この時点で運転再開容認の流れはできた。「今日中にも海江田大臣に了承の電話を入れたいらしい」と関係者の間でささやきが広がった。
高橋知事は当初、原子力安全・保安院が早急に北海道電力に対し最終検査を受けるよう指導したことに対し、「地方軽視だ」と反発した。ただ、海江田万里経産相から釈明の電話があると、一転して柔軟姿勢に転じ、営業運転再開に前向きな姿勢を示した。議会関係者からは「知事の反発はポーズにすぎない。初めから容認するつもりだった」との声が漏れた。
もともと高橋はるみ知事は原発を推進してきた経産省の官僚だった。
富山県出身。祖父の高辻武邦氏は富山県知事を二期務めた。父親は経産省と関係が深い地元のガス会社の元社長。弟は現社長だ。
一橋大学を卒業後、旧通産省に入省。中小企業庁課長などを経て、二〇〇一年、経産省北海道経済産業局長に就いた。これが、北海道との縁になった。
旧通産省で先輩に当たる北海道選出の町村信孝衆院議員に誘われ、〇三年の知事選に自民党推薦で出馬し初当選。町村氏の父親で衆院議員や北海道知事を務めた町村金五氏は、高橋知事の祖父の高辻氏と旧内務省で同期という間柄だった。
今年四月十日の知事選では新人三氏を大差で破って三選を果たした。
新人候補はそろって「脱原発」を掲げた。民主党推薦の候補は「原発に頼らない自然エネルギーの開発推進が重要」と強調。共産党推薦候補も泊原発3号機のプルサーマル計画反対や同1、2号機の廃炉を目指すと明言した。元民主党道議の無所属候補も「知事が脱原発宣言を出すべきだ」と訴えた。
これに対し高橋知事は事故やトラブル発生時への対応について「しっかり検討していきます」(北海道新聞のインタビュー)と「検討」を口にするだけ。
逆に「ただ、泊原発は一九九三年の北海道南西沖地震の際も影響なく、稼働停止すらしませんでした」(同)と安全性を強調した。
北海道電力との関係も深い。
高橋知事の資金管理団体「萌春会」には、北海道電力の役員が毎年、個人献金していることが分かっている。
真下紀子道議(共産)の調査では、〇四年は少なくとも十七人から四十四万円、〇五年も十七人から四十四万円、〇六年は十六人から四十五万円。〇七年もほぼ同額の献金があったとみられる。さらに〇八年は会長、社長ら十人から三十六万円、〇九年も十人から三十三万円が献金されていた。
しかも、会長経験者は十万円、会長、社長は五万円、副社長は三万円などと役職に応じた額が決まっており、毎年、ほぼ同じ時期に一斉に献金している。この「萌春会」の会長は、元北電会長で、北海道経済連合会(道経連)の会長も務めた南山英雄氏。
真下道議は道議会で「形を変えた事実上の企業献金だ」と指摘したが、高橋知事は「それぞれ個人の立場でご支援をいただいている」と述べ、今後も献金を受け入れる意向を示している。
さらには、道幹部が北電や関連会社に再就職していたことも真下道議らの調べで分かった。
高橋知事が知事に就任した以降に始まっており、少なくとも四人が再就職していた。元議会事務局長が〇六年に北電調査役に就任し、昨年退職。ほかに元建設部参事が子会社の技術顧問に就くなど、三人が子会社に再就職し現在も在職している。
運転再開へ向けてレールは敷かれていたわけだが、NPO法人「原子力資料情報室」の伴英幸共同代表は「地震、津波の想定が甘かったため福島で事故が起きた。泊原発でも(耐震安全性評価などの)バックチェックや、活断層の影響の検討が不可欠だ」と、時期尚早だとみる。
なぜ、これほど急ぐ必要があったのか。
福島第一原発の事故以来、定期点検が終了して運転再開した原発はなかった。このままの状態が続けば現在稼働中の原発も定期点検に入り、来年三月には日本中の全ての原発が止まる「全機停止」となるはずだった。
その瞬間に「日本の電力の三割を原発が担う」という、もうひとつの神話は崩壊する。全電力の中で原発の電力が占める割合を操作して発表するのは不可能になる。
ところが、泊3号機の運転再開により、同機が次の定期点検に入る十三カ月後まで、この事態は先送りされたのだ。
前出の伴氏は「『全機停止』は避けたいというのが原子力安全・保安院の意向なのだろう。玄海原発がやらせ問題で再開できなくなり『では泊原発を』となったのだろうが、規制当局が運転を促すのはおかしな話だ」と憤る。その上で「今は様子見をしていても、泊原発が突破口となり、営業運転再開を認める自治体が出てくるかもしれない」と、連鎖の可能性を指摘した。
<デスクメモ> 原発を津波から守る防潮堤はぜい弱だった。その一方で原発推進の国策を守る防護ネットは、あきれるばかりの周到さで国中に張り巡らされている。道経連の会長は一九七四年の発足以来、ずっと北電の会長だ。原発だけではなく制度や社会構造の“定期点検”も必要ということだろう。老朽化も怖い。 (充)
日々坦々/ 東京新聞 2011年8月17日
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1153.html
(東京新聞「こちら特報部」8月17日)
北海道電力泊原発3号機は営業運転再開へ動きだしたが、最終判断をした高橋はるみ北海道知事の、北海道電力との蜜月ぶりには驚かされる。同社幹部からの政治献金は毎年の恒例。北電元会長が資金管理団体の会長も務める。原発「全機停止」の事態を避けたかった経済産業省にとって、これほどの“人材”はなかったはずだ。 (小国智宏、篠ケ瀬祐司)
◆再開中止 市民が要請
北海道議会で特別委員会が開かれた16日午後、市民約40人が東京・丸の内の北海道電力東京支社を訪れ、泊原発3号機の営業運転再開断念を申し入れた。「9・11再稼働反対・脱原発! 全国アクション」実行委員会の杉原浩司さんは「国や道知事の判断とは別に、事業者としての責任も重大だ。最低限ストレステストを受けるべきだ」と、同支社担当者に迫った。
「安全性の信頼を確保するため原子力安全・保安院の最終検査に加えて原子力安全委員会の確認プロセスを得たことは評価したい」。十六日の道議会産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会。高橋はるみ知事は泊原発3号機の安全性について、こう説明した。 「地元町村には速やかに情報提供をしていく。
道民には記者会見で説明したい」とも。
この時点で運転再開容認の流れはできた。「今日中にも海江田大臣に了承の電話を入れたいらしい」と関係者の間でささやきが広がった。
高橋知事は当初、原子力安全・保安院が早急に北海道電力に対し最終検査を受けるよう指導したことに対し、「地方軽視だ」と反発した。ただ、海江田万里経産相から釈明の電話があると、一転して柔軟姿勢に転じ、営業運転再開に前向きな姿勢を示した。議会関係者からは「知事の反発はポーズにすぎない。初めから容認するつもりだった」との声が漏れた。
もともと高橋はるみ知事は原発を推進してきた経産省の官僚だった。
富山県出身。祖父の高辻武邦氏は富山県知事を二期務めた。父親は経産省と関係が深い地元のガス会社の元社長。弟は現社長だ。
一橋大学を卒業後、旧通産省に入省。中小企業庁課長などを経て、二〇〇一年、経産省北海道経済産業局長に就いた。これが、北海道との縁になった。
旧通産省で先輩に当たる北海道選出の町村信孝衆院議員に誘われ、〇三年の知事選に自民党推薦で出馬し初当選。町村氏の父親で衆院議員や北海道知事を務めた町村金五氏は、高橋知事の祖父の高辻氏と旧内務省で同期という間柄だった。
今年四月十日の知事選では新人三氏を大差で破って三選を果たした。
新人候補はそろって「脱原発」を掲げた。民主党推薦の候補は「原発に頼らない自然エネルギーの開発推進が重要」と強調。共産党推薦候補も泊原発3号機のプルサーマル計画反対や同1、2号機の廃炉を目指すと明言した。元民主党道議の無所属候補も「知事が脱原発宣言を出すべきだ」と訴えた。
これに対し高橋知事は事故やトラブル発生時への対応について「しっかり検討していきます」(北海道新聞のインタビュー)と「検討」を口にするだけ。
逆に「ただ、泊原発は一九九三年の北海道南西沖地震の際も影響なく、稼働停止すらしませんでした」(同)と安全性を強調した。
北海道電力との関係も深い。
高橋知事の資金管理団体「萌春会」には、北海道電力の役員が毎年、個人献金していることが分かっている。
真下紀子道議(共産)の調査では、〇四年は少なくとも十七人から四十四万円、〇五年も十七人から四十四万円、〇六年は十六人から四十五万円。〇七年もほぼ同額の献金があったとみられる。さらに〇八年は会長、社長ら十人から三十六万円、〇九年も十人から三十三万円が献金されていた。
しかも、会長経験者は十万円、会長、社長は五万円、副社長は三万円などと役職に応じた額が決まっており、毎年、ほぼ同じ時期に一斉に献金している。この「萌春会」の会長は、元北電会長で、北海道経済連合会(道経連)の会長も務めた南山英雄氏。
真下道議は道議会で「形を変えた事実上の企業献金だ」と指摘したが、高橋知事は「それぞれ個人の立場でご支援をいただいている」と述べ、今後も献金を受け入れる意向を示している。
さらには、道幹部が北電や関連会社に再就職していたことも真下道議らの調べで分かった。
高橋知事が知事に就任した以降に始まっており、少なくとも四人が再就職していた。元議会事務局長が〇六年に北電調査役に就任し、昨年退職。ほかに元建設部参事が子会社の技術顧問に就くなど、三人が子会社に再就職し現在も在職している。
運転再開へ向けてレールは敷かれていたわけだが、NPO法人「原子力資料情報室」の伴英幸共同代表は「地震、津波の想定が甘かったため福島で事故が起きた。泊原発でも(耐震安全性評価などの)バックチェックや、活断層の影響の検討が不可欠だ」と、時期尚早だとみる。
なぜ、これほど急ぐ必要があったのか。
福島第一原発の事故以来、定期点検が終了して運転再開した原発はなかった。このままの状態が続けば現在稼働中の原発も定期点検に入り、来年三月には日本中の全ての原発が止まる「全機停止」となるはずだった。
その瞬間に「日本の電力の三割を原発が担う」という、もうひとつの神話は崩壊する。全電力の中で原発の電力が占める割合を操作して発表するのは不可能になる。
ところが、泊3号機の運転再開により、同機が次の定期点検に入る十三カ月後まで、この事態は先送りされたのだ。
前出の伴氏は「『全機停止』は避けたいというのが原子力安全・保安院の意向なのだろう。玄海原発がやらせ問題で再開できなくなり『では泊原発を』となったのだろうが、規制当局が運転を促すのはおかしな話だ」と憤る。その上で「今は様子見をしていても、泊原発が突破口となり、営業運転再開を認める自治体が出てくるかもしれない」と、連鎖の可能性を指摘した。
<デスクメモ> 原発を津波から守る防潮堤はぜい弱だった。その一方で原発推進の国策を守る防護ネットは、あきれるばかりの周到さで国中に張り巡らされている。道経連の会長は一九七四年の発足以来、ずっと北電の会長だ。原発だけではなく制度や社会構造の“定期点検”も必要ということだろう。老朽化も怖い。 (充)
日々坦々/ 東京新聞 2011年8月17日
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1153.html
放射性廃棄物、英から震災後初の受け入れへ-処理施設の綱渡り続く
8月16日(ブルームバーグ):英国から放射性廃棄物が来月、核燃料再処理工場がある青森県上北郡六ヶ所村に運び込まれる。東京電力福島第一原発で事故が起きて以降、高レベル放射性廃棄物の受け入れは初となるが、国内の処理施設は増え続ける廃棄物により数年内に満杯になる可能性もある。
今回運び込まれるのは、英国で使用済み核燃料を再処理する際に発生した高レベル放射性廃棄物30トン以上。運搬船は同国を3日に出航し、青森県のむつ小川原港に来月初旬に到着する予定だ。
六ヶ所村で貯蔵している放射性廃棄物は使用済み核燃料と、再処理によりウランとプルトニウムを抽出した後の高レベル放射性廃棄物。日本原燃広報担当の館花浩丈氏によると、使用済み核燃料については、貯蔵可能な3000トン(ウラン)に対し2834トンまで積み上がっている。
高レベル放射性廃棄物については、専用容器で最大5880個の貯蔵能力があるが、このうち2300個余りは既に貯蔵されている分と確定している分で占められる。カリフォルニア大学バークレー校原子力工学部のアン・ジュンホン教授によると、使用済み核燃料1トンで容器1個分としており、事故前に54基の原発から年間1000トンの使用済み核燃料が発生していたことからすると、計算上はあと4年分以下のスペースしかない。
アルスター大学生物医学部客員教授のクリス・バスビー氏は「受け入れ可能な解決策のない非常に大きな問題だ。放射性廃棄物は毎年増える」と指摘した。
脱原発を唱える自民党の河野太郎衆院議員は9日、都内での記者会見で国内の原発から毎年1000トンの使用済み燃料が発生するため各原発に備わる燃料プールも7年でいっぱいになると指摘した。河野氏は12年後には使用済み燃料を貯蔵する場所がなくなるため、その時点で原発は閉鎖を余儀なくされるのではないかと述べた。
東電は青森県むつ市に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建設し、5年分5000トンの貯蔵スペースを確保する予定だった。しかし、福島第一原発事故以後、建設は中断されている。
最終処分地
放射性廃棄物の処理については米国も問題を抱えている。オバマ大統領は2009年、ネバダ州ユッカマウンテンに建設する予定だった放射性廃棄物の最終処分施設を地元住民らの反対で断念した。同施設の建設には20年の歳月と100億ドルが費やされていた。
六ヶ所村は放射性廃棄物の最終的な貯蔵場所ですらない。核燃料再処理工場などに約3兆円の資金が投入され、740ヘクタールの敷地に2450人の従業員が働く。相次ぐトラブルで再処理工場の操業延期は18回に及んでいる。
原子力発電環境整備機構広報担当の赤司友一郎氏は「2040年代後半までに操業する予定だが、工期は厳しい状況になっている」と述べた。核廃棄物の最終処分地が見つかる可能性について、赤司氏は「今の原子力情勢からいうと少し厳しいと言えるが、最終処分は必ず必要なものなので粛々と進めていきたい」と述べた。
核燃料サイクル見直し
核燃料サイクル政策について、菅直人首相は8日の衆院予算委員会で使用済み核燃料の再処理、運転停止中の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を含めて見直す方針を示した。
米国の「憂慮する科学者連合」の上級研究者エドウィン・ライマン氏は電子メールで「日本の核燃料サイクルは安全性、経済的な観点から意味をなさない。福島以後は一層意味がない」と述べた。
記事に関する記者への問い合わせ先:東京 渡辺千咲 Chisaki Watanabe cwatanabe5@bloomberg.netYuriy Humber in Tokyo at yhumber@bloomberg.net;Stuart Biggs in Tokyo at sbiggs3@bloomberg.net
記事に関するエディターへの問い合わせ先:Peter Langan at plangan@bloomberg.net
更新日時: 2011/08/16 09:16 JST
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&sid=ag3lJ.9ITMqs
今回運び込まれるのは、英国で使用済み核燃料を再処理する際に発生した高レベル放射性廃棄物30トン以上。運搬船は同国を3日に出航し、青森県のむつ小川原港に来月初旬に到着する予定だ。
六ヶ所村で貯蔵している放射性廃棄物は使用済み核燃料と、再処理によりウランとプルトニウムを抽出した後の高レベル放射性廃棄物。日本原燃広報担当の館花浩丈氏によると、使用済み核燃料については、貯蔵可能な3000トン(ウラン)に対し2834トンまで積み上がっている。
高レベル放射性廃棄物については、専用容器で最大5880個の貯蔵能力があるが、このうち2300個余りは既に貯蔵されている分と確定している分で占められる。カリフォルニア大学バークレー校原子力工学部のアン・ジュンホン教授によると、使用済み核燃料1トンで容器1個分としており、事故前に54基の原発から年間1000トンの使用済み核燃料が発生していたことからすると、計算上はあと4年分以下のスペースしかない。
アルスター大学生物医学部客員教授のクリス・バスビー氏は「受け入れ可能な解決策のない非常に大きな問題だ。放射性廃棄物は毎年増える」と指摘した。
脱原発を唱える自民党の河野太郎衆院議員は9日、都内での記者会見で国内の原発から毎年1000トンの使用済み燃料が発生するため各原発に備わる燃料プールも7年でいっぱいになると指摘した。河野氏は12年後には使用済み燃料を貯蔵する場所がなくなるため、その時点で原発は閉鎖を余儀なくされるのではないかと述べた。
東電は青森県むつ市に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建設し、5年分5000トンの貯蔵スペースを確保する予定だった。しかし、福島第一原発事故以後、建設は中断されている。
最終処分地
放射性廃棄物の処理については米国も問題を抱えている。オバマ大統領は2009年、ネバダ州ユッカマウンテンに建設する予定だった放射性廃棄物の最終処分施設を地元住民らの反対で断念した。同施設の建設には20年の歳月と100億ドルが費やされていた。
六ヶ所村は放射性廃棄物の最終的な貯蔵場所ですらない。核燃料再処理工場などに約3兆円の資金が投入され、740ヘクタールの敷地に2450人の従業員が働く。相次ぐトラブルで再処理工場の操業延期は18回に及んでいる。
原子力発電環境整備機構広報担当の赤司友一郎氏は「2040年代後半までに操業する予定だが、工期は厳しい状況になっている」と述べた。核廃棄物の最終処分地が見つかる可能性について、赤司氏は「今の原子力情勢からいうと少し厳しいと言えるが、最終処分は必ず必要なものなので粛々と進めていきたい」と述べた。
核燃料サイクル見直し
核燃料サイクル政策について、菅直人首相は8日の衆院予算委員会で使用済み核燃料の再処理、運転停止中の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を含めて見直す方針を示した。
米国の「憂慮する科学者連合」の上級研究者エドウィン・ライマン氏は電子メールで「日本の核燃料サイクルは安全性、経済的な観点から意味をなさない。福島以後は一層意味がない」と述べた。
記事に関する記者への問い合わせ先:東京 渡辺千咲 Chisaki Watanabe cwatanabe5@bloomberg.netYuriy Humber in Tokyo at yhumber@bloomberg.net;Stuart Biggs in Tokyo at sbiggs3@bloomberg.net
記事に関するエディターへの問い合わせ先:Peter Langan at plangan@bloomberg.net
更新日時: 2011/08/16 09:16 JST
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&sid=ag3lJ.9ITMqs
2011年8月20日土曜日
スピルリナを容易に摂取する方法を研究しています
Spirulina reduced urine radioactivity by 50% in only 20 days in children who were exposed to radiation by the Chernobyl nuclear meltdown.
このレポートを書いた研究者達に作ってもらったスピルリナがようやく完成・入手しました。
米国商務省・ハワイ政府管轄のNELHA産スピルリナの完成品(サンプル)25kgです。
開封は研究室で行うのでもう少し我慢。
取り敢えず日本に送ります。
他のプラントの物が成人の場合、1日40錠摂取しなければならないのに対し、これなら6錠でOK。
それでもスピルリナを子供が毎日飲むのは辛いだろうからと、俳優の西村雅彦さんが仲介してくださり、長岡花火の大スポンサーである岩塚製菓さんに新商品の開発を依頼しました。
他にもいろいろなレシピやアイディア等があれは是非皆さんのご協力を仰ぎたく思います。
よろしくお願い致します。
こちらは錠剤です。
NELHAの海洋深層水を吸い上げるパイプ。世界最深3000フィート(915メートル)
2011.3.11 津波の怖さだけは忘れない様にしたい
2011.0311東北地方太平洋沖大震災:場所福島県内:撮影者福島県相馬市出身:木村雄一氏:アップローダー:徹ちゃん♪うほっ♪:震災より早や?漸く?5ヶ月が経過しました。震災を風化させないよう敢えてアップ致します。
03:12→「こんな感じじゃ大丈夫だな」「うん~」
03:40→「こんなゆっくりなもんなん?」
03:54→「あそこもう堤防なぐねった」
04:00→「船も全然すすまんねあれ」「ンハハハハww」「ヘヘヘw」「止まっちゃってもん押されて」
04:26→「逆にすすまねーでおめえ被害ねくていいんじゃね?」「そゆこと?」
04:32→「来たあれ来たあれ上がってきた!」「ウボァーーー!」「ヤバイヤバイ」
「あの船やばいんじゃね?」「あれ船やべえっしょ!」「ヤベヤベヤベ」「横から来てる」
05:05→「逃げろ逃げろ」「ぎりぎりかわしたな」「大丈夫」
05:17→「来たな・・」
05:40→「すげえー」「こっからだな」「うわ飲まれていぐ」
06:30→「やーーー」「おああああはああーーー!」「これやべえ・・」「えー!?こんなん?」
07:00→「うわうわうわ」「尋常じゃねえ」
07:30→「げえっ!まじかー・・」「飲まれてる飲まれてる」
ウウウウウウウウウウウウウウウーーーーーウウウーー!<サイレンの音>
<波の轟音>
07:55→「やべえ震えんだけどマジ」
08:26→「沈んでるあそこの船」「うわきたきたきた」「あれ死ぬべ!」「バカバカバカ逃げろ逃げろはやく」
09:04→「あー」「いるいるいるまだいる浮かんでる」
ウウウウウー!
09:16→「えーありか!?こんなん」
09:22→「全部飲んだ!」
「(゚д゚)」
09:40→「みんな上がって!」
「・・・(゚д゚)」
ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウーーーーーーーー!
「・・・・・・・・(゚д゚)」
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=S0K8xpCzO7s
警戒区域:年積算最高508ミリシーベルト…文科省推計
文部科学省は19日、東京電力福島第1原発事故で警戒区域(半径20キロ圏内)に指定された9市町村のうち8市町村の50地点について、事故発生から1年間の積算放射線量の推計値(1日8時間屋外にいた場合)を初めて公表した。最高は原発の西南西3キロの大熊町小入野の508.1ミリシーベルトで、一般人の人工被ばくの年間許容線量の500年分に相当する。35地点が20ミリシーベルトを超え、原発周辺地域の除染作業の困難さが浮き彫りになった。
推計は各地点での実測値を基に、大震災翌日の3月12日~8月11日の積算線量について、1日のうち16時間は屋内に滞在すると仮定して計算。今月12日以降については、同9~11日の推計値の平均値(最新推計値)が継続するとして計算した。
その結果、大熊町では全12地点で20ミリシーベルトを超え、うち7地点は100ミリシーベルト以上だった。最新推計値も大熊町小入野の毎時75マイクロシーベルトが最高だったが、避難住民の一時帰宅の目安とされる毎時200マイクロシーベルトは下回った。
このほか浪江町川房(原発の北西20キロ)223.7ミリシーベルト▽双葉町長塚(同北北西5キロ)172.4ミリシーベルト▽富岡町小良ケ浜(同南南西6キロ)115.3ミリシーベルト--なども高さが目立つ。一方、浪江町北幾世橋(同北8キロ)は4.1ミリシーベルトとなるなど、同じ市町村でも地点によって線量が大きく異なっている。
【木村健二、種市房子、久野華代】
田村市都路町古道(西南西18キロ) 7.7
田村市都路町古道(西17キロ) 6.6
大熊町小入野(西南西3キロ) 508.1
大熊町夫沢(西2.5キロ) 393.7
大熊町熊川(南南西3.5キロ) 233.0
大熊町下野上(西南西5キロ) 198.1
大熊町夫沢(西2.5キロ) 169.2
大熊町夫沢(西北西2.5キロ) 143.4
大熊町熊川(南4キロ) 126.7
大熊町野上(西南西7キロ) 99.5
大熊町小入野(西南西3.5キロ) 80.9
大熊町野上(西11キロ) 24.2
大熊町大川原(西南西8キロ) 23.5
大熊町野上(西14キロ) 21.6
浪江町川房(北西20キロ) 223.7
浪江町井手(西北西9キロ) 148.5
浪江町小丸(西北西12キロ) 145.4
浪江町昼曽根(北西20キロ) 145.1
浪江町室原(北西16キロ) 127.8
浪江町末森(北西11キロ) 61.8
浪江町酒井(北北西7キロ) 57.9
浪江町立野(北西14キロ) 38.3
浪江町立野(北北西11キロ) 38.0
浪江町北幾世橋(北8キロ) 4.1
双葉町長塚(北北西5キロ) 172.4
双葉町石熊(西7キロ) 126.6
双葉町長塚(北北西4キロ) 67.4
双葉町山田(西7キロ) 66.9
双葉町前田(西北西3.5キロ) 52.5
双葉町寺沢(北西7キロ) 45.0
双葉町新山(北西3.5キロ) 28.8
富岡町小良ケ浜(南南西6キロ) 115.3
富岡町本岡(南南西7キロ) 77.0
富岡町上手岡(南西8キロ) 39.5
富岡町上手岡(南西13キロ) 33.2
富岡町小浜(南10キロ) 29.6
富岡町上郡山(南南西13キロ) 21.7
富岡町上手岡(西南西10キロ) 13.7
楢葉町上繁岡(南南西14キロ) 15.4
楢葉町井出(南西15キロ) 13.1
楢葉町井出(南16キロ) 5.1
川内村下川内(西南西19キロ) 11.4
川内村下川内(西南西16キロ) 7.8
南相馬市小高区金谷(北西18キロ) 53.1
南相馬市小高区神山(北北西13キロ)12.4
南相馬市小高区大富(北北西19キロ)11.8
南相馬市小高区片草(北北西18キロ) 6.5
南相馬市小高区泉沢(北北西14キロ) 4.1
南相馬市小高区行津(北北西11キロ) 3.7
南相馬市小高区大井(北16キロ) 3.6
推計は各地点での実測値を基に、大震災翌日の3月12日~8月11日の積算線量について、1日のうち16時間は屋内に滞在すると仮定して計算。今月12日以降については、同9~11日の推計値の平均値(最新推計値)が継続するとして計算した。
その結果、大熊町では全12地点で20ミリシーベルトを超え、うち7地点は100ミリシーベルト以上だった。最新推計値も大熊町小入野の毎時75マイクロシーベルトが最高だったが、避難住民の一時帰宅の目安とされる毎時200マイクロシーベルトは下回った。
このほか浪江町川房(原発の北西20キロ)223.7ミリシーベルト▽双葉町長塚(同北北西5キロ)172.4ミリシーベルト▽富岡町小良ケ浜(同南南西6キロ)115.3ミリシーベルト--なども高さが目立つ。一方、浪江町北幾世橋(同北8キロ)は4.1ミリシーベルトとなるなど、同じ市町村でも地点によって線量が大きく異なっている。
【木村健二、種市房子、久野華代】
◇警戒区域内50地点の来年3月11日までの年間積算線量推計値
※カッコ内は福島第1原発からの距離。単位はミリシーベルト田村市都路町古道(西南西18キロ) 7.7
田村市都路町古道(西17キロ) 6.6
大熊町小入野(西南西3キロ) 508.1
大熊町夫沢(西2.5キロ) 393.7
大熊町熊川(南南西3.5キロ) 233.0
大熊町下野上(西南西5キロ) 198.1
大熊町夫沢(西2.5キロ) 169.2
大熊町夫沢(西北西2.5キロ) 143.4
大熊町熊川(南4キロ) 126.7
大熊町野上(西南西7キロ) 99.5
大熊町小入野(西南西3.5キロ) 80.9
大熊町野上(西11キロ) 24.2
大熊町大川原(西南西8キロ) 23.5
大熊町野上(西14キロ) 21.6
浪江町川房(北西20キロ) 223.7
浪江町井手(西北西9キロ) 148.5
浪江町小丸(西北西12キロ) 145.4
浪江町昼曽根(北西20キロ) 145.1
浪江町室原(北西16キロ) 127.8
浪江町末森(北西11キロ) 61.8
浪江町酒井(北北西7キロ) 57.9
浪江町立野(北西14キロ) 38.3
浪江町立野(北北西11キロ) 38.0
浪江町北幾世橋(北8キロ) 4.1
双葉町長塚(北北西5キロ) 172.4
双葉町石熊(西7キロ) 126.6
双葉町長塚(北北西4キロ) 67.4
双葉町山田(西7キロ) 66.9
双葉町前田(西北西3.5キロ) 52.5
双葉町寺沢(北西7キロ) 45.0
双葉町新山(北西3.5キロ) 28.8
富岡町小良ケ浜(南南西6キロ) 115.3
富岡町本岡(南南西7キロ) 77.0
富岡町上手岡(南西8キロ) 39.5
富岡町上手岡(南西13キロ) 33.2
富岡町小浜(南10キロ) 29.6
富岡町上郡山(南南西13キロ) 21.7
富岡町上手岡(西南西10キロ) 13.7
楢葉町上繁岡(南南西14キロ) 15.4
楢葉町井出(南西15キロ) 13.1
楢葉町井出(南16キロ) 5.1
川内村下川内(西南西19キロ) 11.4
川内村下川内(西南西16キロ) 7.8
南相馬市小高区金谷(北西18キロ) 53.1
南相馬市小高区神山(北北西13キロ)12.4
南相馬市小高区大富(北北西19キロ)11.8
南相馬市小高区片草(北北西18キロ) 6.5
南相馬市小高区泉沢(北北西14キロ) 4.1
南相馬市小高区行津(北北西11キロ) 3.7
南相馬市小高区大井(北16キロ) 3.6
2011年8月19日金曜日
「復興ビジョン、首相に握りつぶされた」 松本健一内閣官房参与が激白
松本健一内閣官房参与は18日までに産経新聞社のインタビューに応じ、仙谷由人官房副長官が中心となり東日本大震災の「復興ビジョン私案」を3月中に作成したが、菅直人首相はいったん了解しながら最終的に握りつぶしたことを明らかにした。
首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。
また、松本氏は「復興の財源確保にあたっては被災者からもあまねく税をとるやり方はダメだ」と復興税の導入に反対したが、首相は「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れず、復興税に固執したことなども証言した。
◇
東日本大震災発生から5カ月間、首相官邸は空転し続けた。首相は「人間の配置」「法律化のための手順」「お金」の3つをすぐに考えられないといけないんだけど、菅直人首相はそれができない。
「原発を止めろ」というのは思いつきなんだけど、その先の電力の手当てをどうするか。人を使うならその人に任せて「オレが責任をとる」と言わなければならないのに、すべて「自分が自分が」となってしまうんだな…。
「脱原発」を表明した時も、太陽光パネルを1千万戸に展開すると言った時も、菅さんは官邸の誰にも相談していない。自国では原発をやめちゃうけど、外国には輸出すると閣議決定するなんて論理矛盾も甚だしいことです。
菅さんは「オレはものすごく原子力に詳しい」と言っていたけれど、あれも30年前の状況を言っているだけ。素人ではないとはいえ、現在の原発がどうなっているかなんてあまり知らないと思いますよ。
3月17日に仙谷由人氏が官房副長官として官邸に戻ってきた。早速、復興のアイデアをまとめて届けたら「いいアイデアだから首相にも言っておいて。俺からも言っておくから」と言うので、23日に菅さんに面会して「復興ビジョン私案」を示し、了解を得た。勘はいいんですよ。そのとき私が復興の財源確保のために復興債を挙げると、菅さんはすぐに「償還はどうする?」と聞いてきた。
私は「復興債を発行し、10年先20年先の相続のとき減免すれば庶民には重税感もなく、すぐに復興財源はまかなえる」と主張したけど、菅さんは「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れなかった。財務省にのみこまれたといっていい。
そして1週間後には「復興構想会議をつくるから復興はそこでやっていく」と言い出した。そのころ復興は「チーム仙谷」で動いていたから菅さんは「脚光をこいつらが浴びるのはちょっと…」と思った。自分がやりたくなる。それが菅さん。国民の方を基本的に向いてこなかった。
でも、6月25日に出てきた構想会議の提言に、私たちの案を超える内容は一つもなかった。
こういう非常時には決まって「今ここでオレが出ていけば物事は解決できる」と勘違いした人物が出てくるもんです。徳川慶喜や近衛文麿元首相もその例でしょう。
菅さんには市民運動家のころから「いずれ首相になりたい」という野望はあったんでしょうが「首相になって何をやりたい」というのはなかった。だから政策をどうするとか、人脈を築くとか、具体的なものもない。結局外堀を埋められ、そして誰もいなくなった。それでは政治はできない。
菅さんは現実の人間を見て政治をやっていないんです。こんなだから外交でもじり貧の負け戦ばかり。先の大戦のミッドウェー海戦のように現実を見ず「ここで勝てば形勢を逆転できる」と思い込み、負け戦を繰り返す。それが10月の訪中計画だったりするわけですよ。
菅さんには自分が脚光を浴び、「よくやった」と喝采をされたいというところがある。そういう意味ではポピュリストなんです。戦時中の東条英機元首相なんかもそうだったよね…。(村上智博)
MSN産経ニュース 2011.8.18 23:59 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110819/plc11081900010000-n1.htm
首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。
また、松本氏は「復興の財源確保にあたっては被災者からもあまねく税をとるやり方はダメだ」と復興税の導入に反対したが、首相は「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れず、復興税に固執したことなども証言した。
◇
東日本大震災発生から5カ月間、首相官邸は空転し続けた。首相は「人間の配置」「法律化のための手順」「お金」の3つをすぐに考えられないといけないんだけど、菅直人首相はそれができない。
「原発を止めろ」というのは思いつきなんだけど、その先の電力の手当てをどうするか。人を使うならその人に任せて「オレが責任をとる」と言わなければならないのに、すべて「自分が自分が」となってしまうんだな…。
「脱原発」を表明した時も、太陽光パネルを1千万戸に展開すると言った時も、菅さんは官邸の誰にも相談していない。自国では原発をやめちゃうけど、外国には輸出すると閣議決定するなんて論理矛盾も甚だしいことです。
菅さんは「オレはものすごく原子力に詳しい」と言っていたけれど、あれも30年前の状況を言っているだけ。素人ではないとはいえ、現在の原発がどうなっているかなんてあまり知らないと思いますよ。
3月17日に仙谷由人氏が官房副長官として官邸に戻ってきた。早速、復興のアイデアをまとめて届けたら「いいアイデアだから首相にも言っておいて。俺からも言っておくから」と言うので、23日に菅さんに面会して「復興ビジョン私案」を示し、了解を得た。勘はいいんですよ。そのとき私が復興の財源確保のために復興債を挙げると、菅さんはすぐに「償還はどうする?」と聞いてきた。
私は「復興債を発行し、10年先20年先の相続のとき減免すれば庶民には重税感もなく、すぐに復興財源はまかなえる」と主張したけど、菅さんは「財務省がうんと言うかなあ」と聞き入れなかった。財務省にのみこまれたといっていい。
そして1週間後には「復興構想会議をつくるから復興はそこでやっていく」と言い出した。そのころ復興は「チーム仙谷」で動いていたから菅さんは「脚光をこいつらが浴びるのはちょっと…」と思った。自分がやりたくなる。それが菅さん。国民の方を基本的に向いてこなかった。
でも、6月25日に出てきた構想会議の提言に、私たちの案を超える内容は一つもなかった。
こういう非常時には決まって「今ここでオレが出ていけば物事は解決できる」と勘違いした人物が出てくるもんです。徳川慶喜や近衛文麿元首相もその例でしょう。
菅さんには市民運動家のころから「いずれ首相になりたい」という野望はあったんでしょうが「首相になって何をやりたい」というのはなかった。だから政策をどうするとか、人脈を築くとか、具体的なものもない。結局外堀を埋められ、そして誰もいなくなった。それでは政治はできない。
菅さんは現実の人間を見て政治をやっていないんです。こんなだから外交でもじり貧の負け戦ばかり。先の大戦のミッドウェー海戦のように現実を見ず「ここで勝てば形勢を逆転できる」と思い込み、負け戦を繰り返す。それが10月の訪中計画だったりするわけですよ。
菅さんには自分が脚光を浴び、「よくやった」と喝采をされたいというところがある。そういう意味ではポピュリストなんです。戦時中の東条英機元首相なんかもそうだったよね…。(村上智博)
MSN産経ニュース 2011.8.18 23:59 (引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110819/plc11081900010000-n1.htm
東日本大震災:福島第1原発事故 汚染水海洋放出で保安院、海外通報に思い至らず
◇会見見て気付く 事故調聴取で判明
東京電力福島第1原発事故で、東電が今年4月に低濃度放射性汚染水を海へ放出した際、その手続きに関与した経済産業省原子力安全・保安院の職員の中に、近隣諸国に事前通報する必要性を認識し、指摘した人がいなかったことが、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)の調査で分かった。外務省も、偶然知った東電詰の職員からの連絡で初めて把握したという。事故調は、条約に基づく海外への通報義務について調べを続けているが、保安院の認識の甘さと共に、重要情報の連絡体制のあり方についての課題が浮かび上がった。
事故調では、被害拡大防止対策等検証チームが、原発事故の拡大を防ぐ事前対策の適否などを調べるため、原子力安全委員会や保安院などを対象に聴取を続け、すでに約60人から話を聴いたという。
関係者によると、3月下旬、同原発1~3号機のタービン建屋の地下などに高濃度放射性汚染水があることが発覚。4月1日、東電などの対策チームの会議で、集中廃棄物処理施設にたまった低濃度汚染水を海に放出し、高濃度汚染水を移送する案が出されたが、強い消極意見が出ていったん消えた。しかし、低濃度汚染水を4号機のタービン建屋に移送したところ、4日朝になって3号機タービン建屋の水位の上昇が分かり、地下で通じているとみて移送を中止。東電や保安院、原子力安全委事務局が、低濃度汚染水を海に放出する準備を始めた。
保安院は同日午後3時20分までに、菅直人首相の了解と、原子力安全委の助言をへて、東電に対して海への汚染水の放出は「やむを得ないと判断した」と伝達。これを受け、東電は同3時50分に広報し、同4時から官房長官が定例の記者会見で公表した。実際の放出は同7時3分だった。
ところが、海外への事故情報の提供窓口となるはずの保安院では、汚染水の放出手続きに関与した職員で、近隣諸国への事前通報の必要性を認識し、指摘した人はなかったという。実際には、官房長官の会見を偶然見ていた保安院の国際室の職員が、放出開始の約1時間前に国際原子力機関(IAEA)に電子メールで連絡した。
また外務省も、東電の対策本部に詰めていた若手職員が、偶然見た汚染水の放出に関する東電作成の広報書類をファクスで本省に送ったことで、放出を初めて知ったという。
放出は、4月4~10日に実施され、放出開始時に近隣諸国や地元自治体から「事前に連絡がなかった」などと批判が起きた。
毎日新聞 2011年8月18日(引用)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110818dde001040006000c.html
東京電力福島第1原発事故で、東電が今年4月に低濃度放射性汚染水を海へ放出した際、その手続きに関与した経済産業省原子力安全・保安院の職員の中に、近隣諸国に事前通報する必要性を認識し、指摘した人がいなかったことが、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)の調査で分かった。外務省も、偶然知った東電詰の職員からの連絡で初めて把握したという。事故調は、条約に基づく海外への通報義務について調べを続けているが、保安院の認識の甘さと共に、重要情報の連絡体制のあり方についての課題が浮かび上がった。
事故調では、被害拡大防止対策等検証チームが、原発事故の拡大を防ぐ事前対策の適否などを調べるため、原子力安全委員会や保安院などを対象に聴取を続け、すでに約60人から話を聴いたという。
関係者によると、3月下旬、同原発1~3号機のタービン建屋の地下などに高濃度放射性汚染水があることが発覚。4月1日、東電などの対策チームの会議で、集中廃棄物処理施設にたまった低濃度汚染水を海に放出し、高濃度汚染水を移送する案が出されたが、強い消極意見が出ていったん消えた。しかし、低濃度汚染水を4号機のタービン建屋に移送したところ、4日朝になって3号機タービン建屋の水位の上昇が分かり、地下で通じているとみて移送を中止。東電や保安院、原子力安全委事務局が、低濃度汚染水を海に放出する準備を始めた。
保安院は同日午後3時20分までに、菅直人首相の了解と、原子力安全委の助言をへて、東電に対して海への汚染水の放出は「やむを得ないと判断した」と伝達。これを受け、東電は同3時50分に広報し、同4時から官房長官が定例の記者会見で公表した。実際の放出は同7時3分だった。
ところが、海外への事故情報の提供窓口となるはずの保安院では、汚染水の放出手続きに関与した職員で、近隣諸国への事前通報の必要性を認識し、指摘した人はなかったという。実際には、官房長官の会見を偶然見ていた保安院の国際室の職員が、放出開始の約1時間前に国際原子力機関(IAEA)に電子メールで連絡した。
また外務省も、東電の対策本部に詰めていた若手職員が、偶然見た汚染水の放出に関する東電作成の広報書類をファクスで本省に送ったことで、放出を初めて知ったという。
放出は、4月4~10日に実施され、放出開始時に近隣諸国や地元自治体から「事前に連絡がなかった」などと批判が起きた。
毎日新聞 2011年8月18日(引用)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110818dde001040006000c.html
2011年8月18日木曜日
米政府、在京米国人9万人の避難を一時検討
東京電力福島第一原子力発電所の事故直後、米政府が、東京在住の米国人9万人全員を避難させる案を検討していたことが分かった。
元米国務省日本部長のケビン・メア氏が、19日に出版する「決断できない日本」(文春新書)で明らかにした。
9万人避難が実行されていれば、他国の政府対応はもとより、日本人にもパニックを引き起こしかねないところだった。
メア氏は震災直後、国務省内の特別作業班で日本側との調整にあたり、著書にその内幕をつづった。
米国人の避難が提起されたのは、3月16日未明(現地時間)の会議だった。米側は無人偵察機グローバルホークの情報から原子炉の温度が異常に高いことを把握し、「燃料が既に溶融している」と判断。
菅政権が対応を東電任せにしているとみて、「不信感は強烈」な状況だったという。
米国人の避難を求めた政府高官に対し、メア氏らは「日米同盟が大きく揺らぐ事態になる」と反論し、実行に移さなかったとしている。
読売新聞 2011年8月17日22時30分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110817-OYT1T00872.htm?from=main3
それだけ福島の事故が深刻な事故だったということ事だ。
文中に「燃料が既に溶融している」と判断。とあるが、日本とは異なり米国本土の政治家の中にはちゃんと自国の国民の安全を第一に考えている人間がいることも分かる。
日本は好きだけれども日本の国家としての姿勢が好きになれないのは多分こういうところなのだろう。
悔しいな。
元米国務省日本部長のケビン・メア氏が、19日に出版する「決断できない日本」(文春新書)で明らかにした。
9万人避難が実行されていれば、他国の政府対応はもとより、日本人にもパニックを引き起こしかねないところだった。
メア氏は震災直後、国務省内の特別作業班で日本側との調整にあたり、著書にその内幕をつづった。
米国人の避難が提起されたのは、3月16日未明(現地時間)の会議だった。米側は無人偵察機グローバルホークの情報から原子炉の温度が異常に高いことを把握し、「燃料が既に溶融している」と判断。
菅政権が対応を東電任せにしているとみて、「不信感は強烈」な状況だったという。
米国人の避難を求めた政府高官に対し、メア氏らは「日米同盟が大きく揺らぐ事態になる」と反論し、実行に移さなかったとしている。
読売新聞 2011年8月17日22時30分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110817-OYT1T00872.htm?from=main3
それだけ福島の事故が深刻な事故だったということ事だ。
文中に「燃料が既に溶融している」と判断。とあるが、日本とは異なり米国本土の政治家の中にはちゃんと自国の国民の安全を第一に考えている人間がいることも分かる。
日本は好きだけれども日本の国家としての姿勢が好きになれないのは多分こういうところなのだろう。
悔しいな。
山本太郎「職業は脱原発」国民運動訴え
俳優山本太郎(36)が17日、東京・千代田区の衆議院議員会館で福島第1原発事故で避難している子どもたちが政府に現状を訴える集会に駆けつけた。山本は「メーンの仕事は脱原発。どこかに属さず、フレキシブルに動いてエネルギー交換したい」と、脱原発を国民運動にしたいと訴えた。また脱原発依存を訴えている菅直人首相(64)について「今、辞めないでくれと言いたい」とも話した。
福島第1原発の事故で避難生活を強いられている福島の子どもたちが、「(放射能を)なぜ早く除染してくれなかったんですか?」「集団疎開は?」と必死に政府の原子力対策本部と文部科学省の担当者に問いかけた。担当者が回答にならないような返答を繰り返すのを見て、山本はあきれ、憤っていた。
「残念の一言に尽きる。ここにいらっしゃる人(担当者)は決定権がない。除染をしたからって毎日フレッシュなもの(放射能)が届いてる。お金がかかるだけ。やってるフリはいらない。20、30年で日本が終わる政策をしている。勇気を出してみんなで戦っていきませんか」と力説した。
集会を主催した「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は(1)学校の校舎、校庭の利用基準として文科省が定めた放射線量年間20ミリシーベルト撤回(2)計画的避難区域外の自主避難している人への賠償の必要性(3)住民票を福島に残した上でコミュニティーが一時避難する「サテライト疎開」を訴えている。
山本は「政治で変えられるなら、とっくに動いてる。国民1人1人が本気になって戦って、うねりにするしかない」と政治への失望と市民運動の重要性を強調した。そして「小さいときから自由。市民運動の中で、どこにも属することなくフレキシブルに動くことで、いろいろなことができる」とフリーで活動を続け、同じ方向性で活動するさまざまな団体と意見交換していく考えという。
菅首相については「政治家の中で責任のある方は、脱原発を口にすることも許されなかった。それが口にした次の日に、『個人的な意見』とトーンダウンするくらい周りからプレッシャーがかかったのだろう」と一定の理解を示した。その上で「(首相が)誰かに代わったら、破滅的な方向に進むしかなくなる。誰も手を挙げたくないポジションだろうけど、周りが何と言おうと粘って人としてやれることをやってほしい」と訴えた。
山本自身は「早く普通の生活に戻りたい」というのが本音だという。「子どもがほしいなぁ。でも子どもに残せる将来がない。大好きなのに、本当に悔しい。産んでくれる人もいないというのもあるけど」と自嘲気味に笑った。【村上幸将】
nikkansports.com 2011年8月18日8時51分(引用)
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110818-821771.html
福島第1原発の事故で避難生活を強いられている福島の子どもたちが、「(放射能を)なぜ早く除染してくれなかったんですか?」「集団疎開は?」と必死に政府の原子力対策本部と文部科学省の担当者に問いかけた。担当者が回答にならないような返答を繰り返すのを見て、山本はあきれ、憤っていた。
「残念の一言に尽きる。ここにいらっしゃる人(担当者)は決定権がない。除染をしたからって毎日フレッシュなもの(放射能)が届いてる。お金がかかるだけ。やってるフリはいらない。20、30年で日本が終わる政策をしている。勇気を出してみんなで戦っていきませんか」と力説した。
集会を主催した「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は(1)学校の校舎、校庭の利用基準として文科省が定めた放射線量年間20ミリシーベルト撤回(2)計画的避難区域外の自主避難している人への賠償の必要性(3)住民票を福島に残した上でコミュニティーが一時避難する「サテライト疎開」を訴えている。
山本は「政治で変えられるなら、とっくに動いてる。国民1人1人が本気になって戦って、うねりにするしかない」と政治への失望と市民運動の重要性を強調した。そして「小さいときから自由。市民運動の中で、どこにも属することなくフレキシブルに動くことで、いろいろなことができる」とフリーで活動を続け、同じ方向性で活動するさまざまな団体と意見交換していく考えという。
菅首相については「政治家の中で責任のある方は、脱原発を口にすることも許されなかった。それが口にした次の日に、『個人的な意見』とトーンダウンするくらい周りからプレッシャーがかかったのだろう」と一定の理解を示した。その上で「(首相が)誰かに代わったら、破滅的な方向に進むしかなくなる。誰も手を挙げたくないポジションだろうけど、周りが何と言おうと粘って人としてやれることをやってほしい」と訴えた。
山本自身は「早く普通の生活に戻りたい」というのが本音だという。「子どもがほしいなぁ。でも子どもに残せる将来がない。大好きなのに、本当に悔しい。産んでくれる人もいないというのもあるけど」と自嘲気味に笑った。【村上幸将】
nikkansports.com 2011年8月18日8時51分(引用)
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110818-821771.html
アサヒHD NZインディペンデント・リカーを約976億円で買収 海外展開を加速
アサヒグループホールディングス <2502.T> は18日、ニュージーランドの酒類大手、インディペンデント・リカーを買収することで合意したと発表した。
買収価格は約15億2500万ニュージーランドドル(約976億円)で同社の買収案件としては過去最大。
国内のビール市場が縮小する中で、安定的な成長が期待されるオセアニア地域の基盤を拡大し、将来の成長をけん引する海外事業の展開を加速させる狙い。
アサヒは、インディペンデント・リカーの持ち株会社であるフレイバード・ビバレッジズ・グループ・ホールディングス(FB)の株式を保有する投資ファンド、ユニタス・キャピタル、パシフィック・エクイティ・パートナーズなどからすべての株式を取得する。
株式取得は9月末の予定。最終的な買収価格は運転資本や有利子負債を調整した金額となる。
インディペンデント・リカーはARTD(Alcoholic Ready-to-Drink)と称される、栓を開けてそのまま飲むスタイルの低アルコール飲料の市場で、ニュージーランドにおける販売数量が1位、オーストラリアでは3位。
FBの連結純売上高は3億7980万NZドル(約243億円、2010年9月期)。
FBの買収により、アサヒはニュージーランドやオーストラリアなどオセアニア地域における酒類事業の新たな基盤を確保する。
アサヒの泉谷直木社長は、買収の理由として「相対的にリスクが低く、安定的な成長を見込めるオセアニア市場自体の魅力が一因」と語った。
さらにインディペンデントが女性や若者に人気ナンバーワンのRTD商品を持つなど、強いブランド力を持つことや、生産・物流・営業拠点など酒類ビジネスのバリューチェーン機能を一式保有していることも買収を決めた要因、と説明した。
アサヒは今月に入り、豪州飲料販売数量シェア3位のピー・アンド・エヌ・ビバレッジズ・オーストラリア社(P&N社)のミネラルウォーター類・果汁飲料事業の取得がACCC(オーストラリア競争消費者委員会)で承認されたほか、ニュージーランド飲料シェア5位のチャーリーズグループ社(チャーリーズ社)の株式公開買い付け(TOB)も成立。
今回のインディペンデント買収で、オセアニア地域のネットワークが急速に拡大する。
泉谷社長は「(グループ各社が)商品面やインフラ面で補完できるほか、より効率的な事業展開やシナジーを見込める」としており、アサヒの飲料事業との協業も進める方針を示した。
同社長は「今回の買収でオセアニアについては一応の節目に来た。今後はこれらのネットワークを使い、どう成長させるかというフェーズに移る」と述べた。
今回の買収案件におけるアサヒのファイナンシャル・アドバイザーは野村証券とロスチャイルド、ファンド2社のアドバイザーはUBS。
買収資金については「若干の手元資金と借入金で賄う予定で、日本の金融機関からの借り入れを予定している」(アサヒ幹部)。
泉谷社長によると、今回の案件では「IRRで10%以上、投資回収期間は15年以内をメドに計画している」。
買収金額について同社長は「今後の成長性を考慮すれば、十分元を取れるとみており、決して割高とは思っていない」と述べた。
<海外戦略、次は東南アジア>
アサヒは長期ビジョンの中で、2015年の連結売上高を2兆─2.5兆円に拡大させ、海外事業の売上高比率を20─30%に引き上げることを打ち出している。
2010年の海外売上高比率は6.6%にとどまっており、海外事業の拡充が急務となっている。
今回の買収で、同比率は10%程度に上昇するが、目標達成にはさらなる積み上げが必要。
泉谷社長は「海外は中国に続き、オセアニアで充実したネットワークを構築できた。次の課題は東南アジアのネットワークの形成」と指摘した。
また、その他の地域でも「優良案件があれば考えて行く」と述べた。
円高の影響については「瞬間的には(海外企業の買収に)プラスだが、いい案件があればスピードを上げて取り組もうとしてきた中で、案件を決めた時、たまたま円高だったということ。
円高だから早くやろうというわけではない」と語った。
同社は今年初めに、M&A(合併・買収)関連で2012年までに4000億円、2015年までに8000億円が投資可能との認識を示していた。
11年12月期は国際事業で初の営業黒字化を見込んでいる。
ロイターニュース 2011/8/18 12:32
買収価格は約15億2500万ニュージーランドドル(約976億円)で同社の買収案件としては過去最大。
国内のビール市場が縮小する中で、安定的な成長が期待されるオセアニア地域の基盤を拡大し、将来の成長をけん引する海外事業の展開を加速させる狙い。
アサヒは、インディペンデント・リカーの持ち株会社であるフレイバード・ビバレッジズ・グループ・ホールディングス(FB)の株式を保有する投資ファンド、ユニタス・キャピタル、パシフィック・エクイティ・パートナーズなどからすべての株式を取得する。
株式取得は9月末の予定。最終的な買収価格は運転資本や有利子負債を調整した金額となる。
インディペンデント・リカーはARTD(Alcoholic Ready-to-Drink)と称される、栓を開けてそのまま飲むスタイルの低アルコール飲料の市場で、ニュージーランドにおける販売数量が1位、オーストラリアでは3位。
FBの連結純売上高は3億7980万NZドル(約243億円、2010年9月期)。
FBの買収により、アサヒはニュージーランドやオーストラリアなどオセアニア地域における酒類事業の新たな基盤を確保する。
アサヒの泉谷直木社長は、買収の理由として「相対的にリスクが低く、安定的な成長を見込めるオセアニア市場自体の魅力が一因」と語った。
さらにインディペンデントが女性や若者に人気ナンバーワンのRTD商品を持つなど、強いブランド力を持つことや、生産・物流・営業拠点など酒類ビジネスのバリューチェーン機能を一式保有していることも買収を決めた要因、と説明した。
アサヒは今月に入り、豪州飲料販売数量シェア3位のピー・アンド・エヌ・ビバレッジズ・オーストラリア社(P&N社)のミネラルウォーター類・果汁飲料事業の取得がACCC(オーストラリア競争消費者委員会)で承認されたほか、ニュージーランド飲料シェア5位のチャーリーズグループ社(チャーリーズ社)の株式公開買い付け(TOB)も成立。
今回のインディペンデント買収で、オセアニア地域のネットワークが急速に拡大する。
泉谷社長は「(グループ各社が)商品面やインフラ面で補完できるほか、より効率的な事業展開やシナジーを見込める」としており、アサヒの飲料事業との協業も進める方針を示した。
同社長は「今回の買収でオセアニアについては一応の節目に来た。今後はこれらのネットワークを使い、どう成長させるかというフェーズに移る」と述べた。
今回の買収案件におけるアサヒのファイナンシャル・アドバイザーは野村証券とロスチャイルド、ファンド2社のアドバイザーはUBS。
買収資金については「若干の手元資金と借入金で賄う予定で、日本の金融機関からの借り入れを予定している」(アサヒ幹部)。
泉谷社長によると、今回の案件では「IRRで10%以上、投資回収期間は15年以内をメドに計画している」。
買収金額について同社長は「今後の成長性を考慮すれば、十分元を取れるとみており、決して割高とは思っていない」と述べた。
<海外戦略、次は東南アジア>
アサヒは長期ビジョンの中で、2015年の連結売上高を2兆─2.5兆円に拡大させ、海外事業の売上高比率を20─30%に引き上げることを打ち出している。
2010年の海外売上高比率は6.6%にとどまっており、海外事業の拡充が急務となっている。
今回の買収で、同比率は10%程度に上昇するが、目標達成にはさらなる積み上げが必要。
泉谷社長は「海外は中国に続き、オセアニアで充実したネットワークを構築できた。次の課題は東南アジアのネットワークの形成」と指摘した。
また、その他の地域でも「優良案件があれば考えて行く」と述べた。
円高の影響については「瞬間的には(海外企業の買収に)プラスだが、いい案件があればスピードを上げて取り組もうとしてきた中で、案件を決めた時、たまたま円高だったということ。
円高だから早くやろうというわけではない」と語った。
同社は今年初めに、M&A(合併・買収)関連で2012年までに4000億円、2015年までに8000億円が投資可能との認識を示していた。
11年12月期は国際事業で初の営業黒字化を見込んでいる。
ロイターニュース 2011/8/18 12:32
日本の原発産業の「人工芝運動」と不完全を嫌う優秀の愚かさ
英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週も原発についてです。市民主導に見せかけて実は企業や利益団体主導だったニセモノの草の根運動を、英語では「人工芝」と呼ぶことなどについて。そして不完全な情報は出せないという、実に霞ヶ関らしい優秀さのようなものゆえに、被曝被害が拡大したかもしれないことについて。(gooニュース 加藤祐子)
人工芝はこすれると痛い
米国債が格下げされ、世界の市場は乱高下し、ロンドンは燃やされ、アフリカでは飢饉(ききん)が拡大し、シリアでは民主化運動の弾圧が激化し、日本は暑さにうだり、被災地の動物たちは飢え、福島県では約4万9000人が県外避難を余儀なくされ、にもかかわらず北海道では泊原発が運転再開しようかという今日この頃、いかがお過ごしですか。
そういう状況で英語メディアを眺めていて目にとまったのが、日本の原発業界による「人工芝」運動を取り上げた米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事でした。九州電力の「やらせメール」問題、そして経済産業省の原子力安全・保安院が各地の原発関連シンポジウムで電力会社に「やらせ質問」を要請していた問題についてです。記事はこれを、「草の根(grassroots)」ならぬ「人工芝(Astroturf)」運動と呼んでいます。
「Astroturf campaign」というのは真新しい造語ではなく、英語版のウィキペディアによると、1985年ごろから使われている表現とのこと。文字通り、ニセの草の根運動のことです。企業や業界、政党などが、自然発生的な市民運動にみせかけて仕掛ける運動を意味します。自然の芝と違って人工芝は滑ってこすれると痛いですが、別にそこまでひっかけたわけでもなさそうです。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』の「日本の原発業界、スキャンダルで汚れる」というこの記事ではチェスター・ドーソン記者が、福島第一原発の事故は日本における原子力発電にとって大きな打撃だったが、事故後の業界の下手な画策のせいで国民の信頼は大きく失墜したと書いています。「集会に原発推進派を大量動員したり、やらせ質問をさせたり、メール作戦を展開させたりと、こうした一連の『人工芝作戦』は、今やひどい逆効果をもたらしてしまった。国民は激怒し、定期検査で休止中の原子炉を再稼働するのが難しくなってしまった」と。さらにその「人工芝運動」に原子力保安院が主体的に関わっていたことが、保安院の分離解体につながったのだとも。
原発の安全規制などを担う新組織「原子力安全庁」(仮称)を環境省の外局として設置する基本方針決定については、たとえばロイター通信が12日の関係閣僚会合での決定を受けて、環境省は経産省ほど「力はないが、(原子力保安院ほどは)業界と癒着していない」と説明。ロイター通信はさらにこの件について、環境政策やエネルギー問題の専門サイト『Ecopolitology』の記事を転載していました。
同サイトのティモシー・ハースト編集長は、「アメリカで大統領を目指すミシェル・バックマンやニュート・ギングリッチを含む大物保守政治家たちが環境保全庁(EPA)の解体を求めている時を同じくして、日本政府は正反対の方向へ向けて動いている。環境省の権限を拡大し、原子力規制もその管轄下に入れようとしているのだ。この決定は、菅直人首相にとって重大な勝利だと言われている」と評価。そしてやはり、日本の原発産業と経産省による「人工芝運動」を批判しています。
英紙『ガーディアン』は16日付の社説を「ポスト福島 原発の汚い手口」と題して、「原子力安全庁」の設置について、「原発導入から半世紀たってようやく、日本は推進と規制を切り分けたが、国民の信頼を回復するにはもはや遅すぎるかもしれない」と書いています。
世界でも極端な日本の原発産業
「政府が公表しない地元の放射線量を調べるため市民が自前の線量計を使わなくてはならない国において、福島の事故後に生命や健康に関するリスク情報があまりに場当たり的に小出しにされた国において、そしてあれほどの大事故が起きても臆面もなく汚い手口を使って国民の議論を動かそうとしているらしい原発業界を持つ国において、単に政府の役所を並べ替えただけではとても十分だとは言えないだろう」とガーディアン紙は社説で痛罵しています。
さらに「日本の企業文化は極端から極端に触れる。目先の利益をやみくもに追求する無軌道さが片方にあるかと思えば、もう一方では何かまずいことが起きると懺悔し涙を流し心からの(ように見える)謝罪を繰り返す」ものなので、日本の原発産業のやらせと世論懐柔の手口は極端なケースかもしれないが、「原発産業を抱える全ての国が同じ問題を抱えている」と。
危機管理では、危機の危険性を最大限に悲観的に想定して準備し、実際の危機を最小限に抑えるのが鉄則だと思っていましたが、ガーディアン紙いわく、「原発は人類が使いこなそうとしてきた中でも最も危険な技術だが」、どの国にあっても原発産業は「それにつきもののリスクを過小評価しようとする衝動、事故を隠したりその規模を過小評価する傾向、次世代型の発電所が開発されるたびにこれは完全無欠で絶対安全だという思い込み、そしてあらゆる事態を想定し対応できているという過信」を、何度も何度も露呈してきたというのです。しかも、日本はその中でも特に極端なケースだと。うーむ……。
リスクを過小評価し不都合な事実に目をつぶるのは、それは「今この瞬間」の安寧と安定をつい優先しがちな、凡庸なる人間の本能のようなものなのかと思っています(自分もその要素はありますし)。けれども、では、日本の教育制度において最高峰を極めてきたはずの、ゆえに国家公務採用 I 種試験に優秀な成績で合格し、人によっては欧米の最高峰の大学に国費留学する機会も与えられてきた人たちが、つまりは霞ヶ関の官僚たちが、なぜそんな凡庸な人間的弱さを露呈してしまうのか。
皮肉なことにそれは、彼らが幼い頃から極めてきた優秀さ故ではないかと、私は思っています。日本の学校で優秀な成績を収め、国家公務員となり、それぞれの組織の中で適正に機能していくプロセスの中で、多くの官僚がおのずと身につけてる本能のようなものは、「いい加減なことは言わない、不正確なことは言わない、混乱を作らない」ことだと思うのです。しかもこれは、平時においては褒められるべきものです。
しかし危機下においては……。
不完全なデータを出さないのは悪いことか
米紙『ニューヨーク・タイムズ』が9日、「日本政府、原発データ公表せず避難民を危険にさらす」という記事を掲載し、日本でも複数メディアが取り上げました。原発事故を受けて文科省管轄の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が北西方向への放射性物質拡散を予測していたにもかかわらず、データ公表が遅れたため、福島県浪江町の住民が避難先で高い被ばくリスクにさらされたという内容です。
政府が「SPEEDI」の拡散予測結果をすぐに公表しなかったことは3月中から指摘・批判されていたので、それは日本人にとって新規なニュースではないですが、『ニューヨーク・タイムズ』がそれは「批判と責任を恐れる官僚たちが隠した」せいだと言い切ったのが、ニュースと言えばニュースです。
朝日新聞の3月21日記事によると、政府は当時、「SPEEDI」データを公表しなかった理由として「データが粗く、十分な予測でないため」と説明していました(政府が「SPEEDI」データについて公表したのは、3月23日)。そしてこちらの5月4日の朝日新聞記事にもあるように、「SPEEDI」が予測した北西方向にある「福島県飯舘村など5市町村の住民に避難を求めると、政府が発表したのは4月11日で、結果として対応は後手に回った」ことも日本では既報です。
さらに「SPEEDI」試算の公表が遅れたことについて、当時首相補佐官だった細野豪志氏は5月2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明しています(ちなみに細野氏はこの点について原発事故担当相になった時点で「情報を隠したときの方がパニックになる可能性がある」と情報公開の方針を述べていて、評価できます)。
しかし政府側の説明は政府側の説明として、『ニューヨーク・タイムズ』のノリミツ・オオニシ、マーティン・ファクラー両記者は、「責任回避と批判回避を追求する文化の中で動く東京の官僚たちは、予測を公表しなかった」と書きます。また、「SPEEDI」について事故当初は知らなかった政治家たちは「避難圏の大幅拡大を恐れて」データはそれほど重要ではないと主張していたと。
その結果、たとえば福島県浪江村の住民数千人は3月12日から15日にかけて放射線量のきわめて高い浪江町津島に、そうとは知らず避難してしまったと。同村の馬場有町長は同紙に対して、「SPEEDI」の予測を知っていれば違う場所に避難したのに何も知らされていなかったと述べ、内部被曝の懸念を語り、政府が情報を公表しなかったのは「殺人」に等しいと語ったそうです。
責任をとらされないように動く。批判されないように動く。情報がしっかり固まっていない間はうかつに公表しない。
これはきわめて官僚的な発想であると同時に、組織で働く人の多くがそうではないでしょうか? 胸に手を当ててジッと考えてみれば。しかもこれは平時においては、そんなに悪いこととも思えません。きちんと確認のとれていない情報はうかつに流さないというのは、危機時におけるデマ発生防止の基本でもあります。
しかし、今まさにそこに危険が差し迫っている時は、例外です。
火が、水が、崩れた土砂が、敵機の襲来が、あるいは放射性物質がもうすぐそこに迫ってきているのに「逃げろ−」と叫ばず、「影響に関する正確なデータがまだきちんと揃っていませんので」と理屈をこねてばかりいるのは、それはただの馬鹿者です。そして「見殺しにした」と言われても仕方がありません。
学校の中で優秀であること。組織の中で、社会の中で優秀であること。平時において優秀であること。危機下において優秀であること。
全ての優秀さを備えた人間は少ない。けれどもそういう人材を育てていかなくては、次の大災害の時にまた同じことを繰り返します。「学校で放射能のことをどう教えるか」議論する教師たちのニュースを昨夜テレビで見ながら、そんなことを考えていました。
Japanなニュース 2011年8月 (引用)
http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/wednesday/20110817-01-1.html
人工芝はこすれると痛い
米国債が格下げされ、世界の市場は乱高下し、ロンドンは燃やされ、アフリカでは飢饉(ききん)が拡大し、シリアでは民主化運動の弾圧が激化し、日本は暑さにうだり、被災地の動物たちは飢え、福島県では約4万9000人が県外避難を余儀なくされ、にもかかわらず北海道では泊原発が運転再開しようかという今日この頃、いかがお過ごしですか。
そういう状況で英語メディアを眺めていて目にとまったのが、日本の原発業界による「人工芝」運動を取り上げた米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事でした。九州電力の「やらせメール」問題、そして経済産業省の原子力安全・保安院が各地の原発関連シンポジウムで電力会社に「やらせ質問」を要請していた問題についてです。記事はこれを、「草の根(grassroots)」ならぬ「人工芝(Astroturf)」運動と呼んでいます。
「Astroturf campaign」というのは真新しい造語ではなく、英語版のウィキペディアによると、1985年ごろから使われている表現とのこと。文字通り、ニセの草の根運動のことです。企業や業界、政党などが、自然発生的な市民運動にみせかけて仕掛ける運動を意味します。自然の芝と違って人工芝は滑ってこすれると痛いですが、別にそこまでひっかけたわけでもなさそうです。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』の「日本の原発業界、スキャンダルで汚れる」というこの記事ではチェスター・ドーソン記者が、福島第一原発の事故は日本における原子力発電にとって大きな打撃だったが、事故後の業界の下手な画策のせいで国民の信頼は大きく失墜したと書いています。「集会に原発推進派を大量動員したり、やらせ質問をさせたり、メール作戦を展開させたりと、こうした一連の『人工芝作戦』は、今やひどい逆効果をもたらしてしまった。国民は激怒し、定期検査で休止中の原子炉を再稼働するのが難しくなってしまった」と。さらにその「人工芝運動」に原子力保安院が主体的に関わっていたことが、保安院の分離解体につながったのだとも。
原発の安全規制などを担う新組織「原子力安全庁」(仮称)を環境省の外局として設置する基本方針決定については、たとえばロイター通信が12日の関係閣僚会合での決定を受けて、環境省は経産省ほど「力はないが、(原子力保安院ほどは)業界と癒着していない」と説明。ロイター通信はさらにこの件について、環境政策やエネルギー問題の専門サイト『Ecopolitology』の記事を転載していました。
同サイトのティモシー・ハースト編集長は、「アメリカで大統領を目指すミシェル・バックマンやニュート・ギングリッチを含む大物保守政治家たちが環境保全庁(EPA)の解体を求めている時を同じくして、日本政府は正反対の方向へ向けて動いている。環境省の権限を拡大し、原子力規制もその管轄下に入れようとしているのだ。この決定は、菅直人首相にとって重大な勝利だと言われている」と評価。そしてやはり、日本の原発産業と経産省による「人工芝運動」を批判しています。
英紙『ガーディアン』は16日付の社説を「ポスト福島 原発の汚い手口」と題して、「原子力安全庁」の設置について、「原発導入から半世紀たってようやく、日本は推進と規制を切り分けたが、国民の信頼を回復するにはもはや遅すぎるかもしれない」と書いています。
世界でも極端な日本の原発産業
「政府が公表しない地元の放射線量を調べるため市民が自前の線量計を使わなくてはならない国において、福島の事故後に生命や健康に関するリスク情報があまりに場当たり的に小出しにされた国において、そしてあれほどの大事故が起きても臆面もなく汚い手口を使って国民の議論を動かそうとしているらしい原発業界を持つ国において、単に政府の役所を並べ替えただけではとても十分だとは言えないだろう」とガーディアン紙は社説で痛罵しています。
さらに「日本の企業文化は極端から極端に触れる。目先の利益をやみくもに追求する無軌道さが片方にあるかと思えば、もう一方では何かまずいことが起きると懺悔し涙を流し心からの(ように見える)謝罪を繰り返す」ものなので、日本の原発産業のやらせと世論懐柔の手口は極端なケースかもしれないが、「原発産業を抱える全ての国が同じ問題を抱えている」と。
危機管理では、危機の危険性を最大限に悲観的に想定して準備し、実際の危機を最小限に抑えるのが鉄則だと思っていましたが、ガーディアン紙いわく、「原発は人類が使いこなそうとしてきた中でも最も危険な技術だが」、どの国にあっても原発産業は「それにつきもののリスクを過小評価しようとする衝動、事故を隠したりその規模を過小評価する傾向、次世代型の発電所が開発されるたびにこれは完全無欠で絶対安全だという思い込み、そしてあらゆる事態を想定し対応できているという過信」を、何度も何度も露呈してきたというのです。しかも、日本はその中でも特に極端なケースだと。うーむ……。
リスクを過小評価し不都合な事実に目をつぶるのは、それは「今この瞬間」の安寧と安定をつい優先しがちな、凡庸なる人間の本能のようなものなのかと思っています(自分もその要素はありますし)。けれども、では、日本の教育制度において最高峰を極めてきたはずの、ゆえに国家公務採用 I 種試験に優秀な成績で合格し、人によっては欧米の最高峰の大学に国費留学する機会も与えられてきた人たちが、つまりは霞ヶ関の官僚たちが、なぜそんな凡庸な人間的弱さを露呈してしまうのか。
皮肉なことにそれは、彼らが幼い頃から極めてきた優秀さ故ではないかと、私は思っています。日本の学校で優秀な成績を収め、国家公務員となり、それぞれの組織の中で適正に機能していくプロセスの中で、多くの官僚がおのずと身につけてる本能のようなものは、「いい加減なことは言わない、不正確なことは言わない、混乱を作らない」ことだと思うのです。しかもこれは、平時においては褒められるべきものです。
しかし危機下においては……。
不完全なデータを出さないのは悪いことか
米紙『ニューヨーク・タイムズ』が9日、「日本政府、原発データ公表せず避難民を危険にさらす」という記事を掲載し、日本でも複数メディアが取り上げました。原発事故を受けて文科省管轄の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が北西方向への放射性物質拡散を予測していたにもかかわらず、データ公表が遅れたため、福島県浪江町の住民が避難先で高い被ばくリスクにさらされたという内容です。
政府が「SPEEDI」の拡散予測結果をすぐに公表しなかったことは3月中から指摘・批判されていたので、それは日本人にとって新規なニュースではないですが、『ニューヨーク・タイムズ』がそれは「批判と責任を恐れる官僚たちが隠した」せいだと言い切ったのが、ニュースと言えばニュースです。
朝日新聞の3月21日記事によると、政府は当時、「SPEEDI」データを公表しなかった理由として「データが粗く、十分な予測でないため」と説明していました(政府が「SPEEDI」データについて公表したのは、3月23日)。そしてこちらの5月4日の朝日新聞記事にもあるように、「SPEEDI」が予測した北西方向にある「福島県飯舘村など5市町村の住民に避難を求めると、政府が発表したのは4月11日で、結果として対応は後手に回った」ことも日本では既報です。
さらに「SPEEDI」試算の公表が遅れたことについて、当時首相補佐官だった細野豪志氏は5月2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明しています(ちなみに細野氏はこの点について原発事故担当相になった時点で「情報を隠したときの方がパニックになる可能性がある」と情報公開の方針を述べていて、評価できます)。
しかし政府側の説明は政府側の説明として、『ニューヨーク・タイムズ』のノリミツ・オオニシ、マーティン・ファクラー両記者は、「責任回避と批判回避を追求する文化の中で動く東京の官僚たちは、予測を公表しなかった」と書きます。また、「SPEEDI」について事故当初は知らなかった政治家たちは「避難圏の大幅拡大を恐れて」データはそれほど重要ではないと主張していたと。
その結果、たとえば福島県浪江村の住民数千人は3月12日から15日にかけて放射線量のきわめて高い浪江町津島に、そうとは知らず避難してしまったと。同村の馬場有町長は同紙に対して、「SPEEDI」の予測を知っていれば違う場所に避難したのに何も知らされていなかったと述べ、内部被曝の懸念を語り、政府が情報を公表しなかったのは「殺人」に等しいと語ったそうです。
責任をとらされないように動く。批判されないように動く。情報がしっかり固まっていない間はうかつに公表しない。
これはきわめて官僚的な発想であると同時に、組織で働く人の多くがそうではないでしょうか? 胸に手を当ててジッと考えてみれば。しかもこれは平時においては、そんなに悪いこととも思えません。きちんと確認のとれていない情報はうかつに流さないというのは、危機時におけるデマ発生防止の基本でもあります。
しかし、今まさにそこに危険が差し迫っている時は、例外です。
火が、水が、崩れた土砂が、敵機の襲来が、あるいは放射性物質がもうすぐそこに迫ってきているのに「逃げろ−」と叫ばず、「影響に関する正確なデータがまだきちんと揃っていませんので」と理屈をこねてばかりいるのは、それはただの馬鹿者です。そして「見殺しにした」と言われても仕方がありません。
学校の中で優秀であること。組織の中で、社会の中で優秀であること。平時において優秀であること。危機下において優秀であること。
全ての優秀さを備えた人間は少ない。けれどもそういう人材を育てていかなくては、次の大災害の時にまた同じことを繰り返します。「学校で放射能のことをどう教えるか」議論する教師たちのニュースを昨夜テレビで見ながら、そんなことを考えていました。
Japanなニュース 2011年8月 (引用)
http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/wednesday/20110817-01-1.html
製造所固有記号(製造所固有番号)データベース
http://seizoushokoyuubangou.yummy.fm/
食品メーカーの工場の所在地のデータベース。
原料が何処から来たのかまでは分からないので、最後は自己判断となります。
それにしても食の安全管理というものは、本来ならば国や自治体が率先してやらなければならない事の筈なのにな。
やはり個人レベルでは限界がある。
食品メーカーの工場の所在地のデータベース。
原料が何処から来たのかまでは分からないので、最後は自己判断となります。
それにしても食の安全管理というものは、本来ならば国や自治体が率先してやらなければならない事の筈なのにな。
やはり個人レベルでは限界がある。
千葉県の高級住宅街 5万ベクレルの異常値
福島県から遠く離れていても、放射性物質は風に乗り、雨に流され、長閑な住宅街を汚染する。福島原発より200km遠方の土から検出された5万ベクレルのセシウム。これは一体何を意味するのか。
フクシマから200km地点
日本各地で、福島第一原発由来の放射性物質による汚染が進行している。農作物や畜産物の汚染はもちろんのこと、最近では土壌そのものの汚染が懸念されており、各研究機関によって、土壌汚染の実態調査が行われている。放射線計測学を専門とする神戸大学の山内知也教授は、6月下旬、福島市内4ヵ所で土壌の調査を実施。その結果、各地から土1kgあたり約1万6000~4万6000ベクレルの線量を検出した。この数値が意味するところを、山内教授が解説する。
「放射線障害を防止するための法律の基準では、1kgあたり1万ベクレルを超えると、それを扱う人は許可が必要だし、管理区域を設けたり、年に1回の健康診断を受けることが義務付けられる。私が調査した土壌の1kgあたり4万6000ベクレルという数値は、非常に高いレベルの〝汚染〟だといえます。できる限り早く土を除去しなければいけません」
福島市内の土壌汚染は深刻だと山内教授は言う。しかし、その福島市よりさらに高いレベルの数値が、なんと福島原発から200kmも離れた千葉県柏市で検出されたことが判明した。
JR柏駅西口から約1・2km、徒歩12分ほどのところにある高級住宅街。この街の道端で集めた土を専門の検査機関で検査したところ、土1kgあたりセシウム134が2万3663ベクレル、セシウム137が2万8884ベクレル、合算すると5万2547ベクレルもの放射線量が検出されたのである。
検査機関に土壌の検査を依頼したのは、この街に住む会社員の松岡暁子さんだ。子どもが二人いる松岡家では、原発事故以降、自宅周辺の大気中の放射線量を調べる習慣がついていた。7月のある日、いつものようにガイガーカウンターで大気の線量を測っていたところ、数値がとんでもなく跳ね上がる場所を発見した。いわゆる〝ホットスポット〟だ。
「大気中だと0・4マイクロシーベルトぐらいだったのですが、家の近くの道路脇の土壌にガイガーカウンターを置いたら、7マイクロシーベルト近くに跳ね上がったんです。とんでもない数値です。機器が安い中国製だったので、友人にも声をかけて、違う種類のガイガーカウンターでも測りました。それでも、3機種ともほぼ同様の数値が出ました。これは詳しく調べたほうがいいと思い、その土を採取して、検査機関に送ったのです」(松岡さん)
松岡さんが土を送ったのは、群馬県に本社を置き、農作物や土壌の放射線測定を行っている(株)アレルギー食品検査センター。厚労省による測定マニュアルに準拠した検査を行っており、連日、各地から放射線量を測ってほしいという依頼が押し寄せているという。
同センターから報告書が戻ってきたのは、1週間後。計5万2547ベクレルという数字に、松岡さんは驚きを隠せなかった。
「報告書を見てショックを受けました。このあたりは通学路で、すぐ近くには農園もあるような場所です。そんなところから5万ベクレルを超える線量が検出されるなんて思ってもいませんでしたから」
福島市の土壌より高い線量・5万ベクレル。この数値が意味するものは何か。チェルノブイリでの救援活動を続けている元四日市大学環境情報学部講師の河田昌東(まさはる)は、こう言う。
「私たちは福島原発から30kmほどの南相馬市で土壌の放射線量の測定を行っていますが、この柏市の土壌の汚染はそれとほぼ同じレベルですね。かなり深刻な数字で、チェルノブイリなら強制避難区域になるほどの数値です。現在、われわれはチェルノブイリ原発から70kmほど離れた場所で汚染土壌の浄化作業を行っているのですが、そこの汚染度は土1kgあたり2000ベクレル。柏市から出た5万ベクレルよりずっと低い。それでも、その地域は放射線管理区域に指定されています」
年間で88ミリシーベルト
チェルノブイリの事故後、旧ソ連は1平方メートルあたり148万ベクレル以上のセシウム137が検出された地域を「強制避難区域」に指定した。その後、ベラルーシが独自に厳しい基準を設け、1平方メートルあたり55万5000ベクレル以上が検出された地域を「強制避難区域」として、約11万人を移住させた。それでも住民は被曝し、多数の子どもたちに深刻な健康被害が出たと報告されている。
では、柏市の土1kgあたり5万ベクレル超という値は、1平方メートルあたりに換算するとどうなるのか。驚くべきことに1平方メートル当たり約340万ベクレルというとんでもなく高い数値が算出される(計算方法については、下記の注参照)。セシウム137だけでも約188万ベクレルで、旧ソ連が設けた強制避難区域の基準を、軽々と超えてしまうのだ。
※各研究機関は土壌1平方メートルあたりのベクレル数に任意の係数をかけて、1平方メートルあたりのベクレル数を算出している。係数は20から150まで まちまちだが、今回は原子力安全委員会が使用する「65」に依拠して計算を行った。仮に係数を「20」にしても、2万8884×20=57万7680ベク レル/平方メートルで、ベラルーシの強制移住区域である55万5000ベクレル/平方メートルを超える
では、人体にはどれくらいの影響があると考えられるのか。放射線防護学が専門で日本大学講師の野口邦和氏は、「これは体への影響を示す被曝線量に換算しても、非常に危険な数値」と警鐘を鳴らす。
「1kgあたり5万ベクレルという値を被曝線量をあらわすシーベルトに換算すると、毎時約10マイクロシーベルトとなります。これがかなり高い数値であることはいうまでもありません。放射性物質は風や雨によって遠くに飛散しますので、福島から離れた柏にもこうした〝土壌のホットスポット〟が形成されているのでしょう。これは放置していい数字ではありません。すぐにも除染すべきです」
現在、政府が定める被曝の許容基準値は、年間20ミリシーベルト。しかし、仮にこの土壌の上で生活すれば、それだけで年間で88ミリシーベルトを被曝することになる。また下水処理施設から検出されている放射性汚泥の場合、1kg当たり8000ベクレルを超過し、10万ベクレル以下の汚泥は、住宅地などから一定の距離を置いた「管理型処分場」にて保管しなければならない。5万ベクレルという数値は、厳重に管理する必要があるレベルなのだ。
市は黙殺
日本科学振興財団副会長の藤井石根・明治大学名誉教授は、特に子どもたちの健康に影響を与えないかと懸念する。
「放射線の影響はすぐに出なくても、細胞は傷つけられている。それが後に白血病やがんを引き起こす恐れがあります。この道路は通学路にもなっているそうですが、それだと子どもたちがセシウムを含んだ土埃を吸い込み、内部被曝してしまう危険性があるのです」
今回の調査で採取した土は、道路の脇に5cmほど盛り上がっていた土だ。道路の脇の土には、地上に落ちた放射性物質が雨で集まって濃縮されやすいため、そうでない場所の土よりも数値が高くなる。水路などから採った土も同様だ。したがって、今回の5万ベクレルという数値をもって、柏市全域が危険な水準であるとは断定できない。
しかし前出の山内教授は、「セシウムは土壌の表面に集まるので、表土だけを採ると極端に高い値が出てしまう」と留意しながらも、「たとえそうであっても、これだけ高い数値が検出された事実は見過ごせない」と指摘する。こうした場所が発見された以上、住民が安心するには、多くの地域を対象にした検査を実施するほかない。前出の河田氏は「いますぐ行政が動かなければならない」と警告する。
「柏市と同程度の数値が出た南相馬市では、検査や除染など、行政による対応が行われていますが、問題は柏市のような原発から離れた場所にあるホットスポットです。離れているということで注目度も低いため、行政が動かない。しかし、その汚染レベルは、実は福島県内の汚染地域と変わらないわけです。行政は、まずは細かく放射線のレベルを測るべきです。それも大気中だけではなく、土壌検査も行う必要がある」
ところが、当の行政の反応は鈍いと言わざるを得ない。松岡さんがこう明かす。
「検査結果を受け取った後、これは行政にも報告したほうがいいと思い、市の環境保全課と教育委員会に連絡したのですが、環境保全課は『個人で土壌調査とは、偉いですねえ』と感心されておしまい。教育委員会も『学校外のことなので何もできません』と相手にしてくれませんでした」
本誌が市の環境保全課に取材を申し込むと、「大気中の放射線量については、計80ある幼稚園と学校、12ヵ所ある公園で測定を始めていますが、土壌の放射線量については、まだ測っておりません。もしもそれほど高い数値を検出した場所があるなら、必要に応じて調査を検討していくことになるでしょう」(柏市役所環境保全課)
と、現在のところ積極的に調査に乗り出す気はなさそうだ。柏市に限らず、他の自治体も土壌の調査までは行っていないところがほとんどだ。前出の藤井氏は、こう釘を刺す。
「土壌が汚染されていることが判明すると、農作物の風評被害が出るからと恐れて、対応に二の足を踏んでいるというならとんでもないことです。それは隠蔽と同じ。被害者を増やしてしまうだけです」
福島原発由来の放射性物質汚染は、今や全国に広がっている。もはやこの現実から目をそらすことはできない。
「週刊現代」2011年8月6日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13879
フクシマから200km地点
日本各地で、福島第一原発由来の放射性物質による汚染が進行している。農作物や畜産物の汚染はもちろんのこと、最近では土壌そのものの汚染が懸念されており、各研究機関によって、土壌汚染の実態調査が行われている。放射線計測学を専門とする神戸大学の山内知也教授は、6月下旬、福島市内4ヵ所で土壌の調査を実施。その結果、各地から土1kgあたり約1万6000~4万6000ベクレルの線量を検出した。この数値が意味するところを、山内教授が解説する。
「放射線障害を防止するための法律の基準では、1kgあたり1万ベクレルを超えると、それを扱う人は許可が必要だし、管理区域を設けたり、年に1回の健康診断を受けることが義務付けられる。私が調査した土壌の1kgあたり4万6000ベクレルという数値は、非常に高いレベルの〝汚染〟だといえます。できる限り早く土を除去しなければいけません」
福島市内の土壌汚染は深刻だと山内教授は言う。しかし、その福島市よりさらに高いレベルの数値が、なんと福島原発から200kmも離れた千葉県柏市で検出されたことが判明した。
JR柏駅西口から約1・2km、徒歩12分ほどのところにある高級住宅街。この街の道端で集めた土を専門の検査機関で検査したところ、土1kgあたりセシウム134が2万3663ベクレル、セシウム137が2万8884ベクレル、合算すると5万2547ベクレルもの放射線量が検出されたのである。
検査機関に土壌の検査を依頼したのは、この街に住む会社員の松岡暁子さんだ。子どもが二人いる松岡家では、原発事故以降、自宅周辺の大気中の放射線量を調べる習慣がついていた。7月のある日、いつものようにガイガーカウンターで大気の線量を測っていたところ、数値がとんでもなく跳ね上がる場所を発見した。いわゆる〝ホットスポット〟だ。
「大気中だと0・4マイクロシーベルトぐらいだったのですが、家の近くの道路脇の土壌にガイガーカウンターを置いたら、7マイクロシーベルト近くに跳ね上がったんです。とんでもない数値です。機器が安い中国製だったので、友人にも声をかけて、違う種類のガイガーカウンターでも測りました。それでも、3機種ともほぼ同様の数値が出ました。これは詳しく調べたほうがいいと思い、その土を採取して、検査機関に送ったのです」(松岡さん)
松岡さんが土を送ったのは、群馬県に本社を置き、農作物や土壌の放射線測定を行っている(株)アレルギー食品検査センター。厚労省による測定マニュアルに準拠した検査を行っており、連日、各地から放射線量を測ってほしいという依頼が押し寄せているという。
同センターから報告書が戻ってきたのは、1週間後。計5万2547ベクレルという数字に、松岡さんは驚きを隠せなかった。
「報告書を見てショックを受けました。このあたりは通学路で、すぐ近くには農園もあるような場所です。そんなところから5万ベクレルを超える線量が検出されるなんて思ってもいませんでしたから」
福島市の土壌より高い線量・5万ベクレル。この数値が意味するものは何か。チェルノブイリでの救援活動を続けている元四日市大学環境情報学部講師の河田昌東(まさはる)は、こう言う。
「私たちは福島原発から30kmほどの南相馬市で土壌の放射線量の測定を行っていますが、この柏市の土壌の汚染はそれとほぼ同じレベルですね。かなり深刻な数字で、チェルノブイリなら強制避難区域になるほどの数値です。現在、われわれはチェルノブイリ原発から70kmほど離れた場所で汚染土壌の浄化作業を行っているのですが、そこの汚染度は土1kgあたり2000ベクレル。柏市から出た5万ベクレルよりずっと低い。それでも、その地域は放射線管理区域に指定されています」
年間で88ミリシーベルト
チェルノブイリの事故後、旧ソ連は1平方メートルあたり148万ベクレル以上のセシウム137が検出された地域を「強制避難区域」に指定した。その後、ベラルーシが独自に厳しい基準を設け、1平方メートルあたり55万5000ベクレル以上が検出された地域を「強制避難区域」として、約11万人を移住させた。それでも住民は被曝し、多数の子どもたちに深刻な健康被害が出たと報告されている。
では、柏市の土1kgあたり5万ベクレル超という値は、1平方メートルあたりに換算するとどうなるのか。驚くべきことに1平方メートル当たり約340万ベクレルというとんでもなく高い数値が算出される(計算方法については、下記の注参照)。セシウム137だけでも約188万ベクレルで、旧ソ連が設けた強制避難区域の基準を、軽々と超えてしまうのだ。
※各研究機関は土壌1平方メートルあたりのベクレル数に任意の係数をかけて、1平方メートルあたりのベクレル数を算出している。係数は20から150まで まちまちだが、今回は原子力安全委員会が使用する「65」に依拠して計算を行った。仮に係数を「20」にしても、2万8884×20=57万7680ベク レル/平方メートルで、ベラルーシの強制移住区域である55万5000ベクレル/平方メートルを超える
では、人体にはどれくらいの影響があると考えられるのか。放射線防護学が専門で日本大学講師の野口邦和氏は、「これは体への影響を示す被曝線量に換算しても、非常に危険な数値」と警鐘を鳴らす。
「1kgあたり5万ベクレルという値を被曝線量をあらわすシーベルトに換算すると、毎時約10マイクロシーベルトとなります。これがかなり高い数値であることはいうまでもありません。放射性物質は風や雨によって遠くに飛散しますので、福島から離れた柏にもこうした〝土壌のホットスポット〟が形成されているのでしょう。これは放置していい数字ではありません。すぐにも除染すべきです」
現在、政府が定める被曝の許容基準値は、年間20ミリシーベルト。しかし、仮にこの土壌の上で生活すれば、それだけで年間で88ミリシーベルトを被曝することになる。また下水処理施設から検出されている放射性汚泥の場合、1kg当たり8000ベクレルを超過し、10万ベクレル以下の汚泥は、住宅地などから一定の距離を置いた「管理型処分場」にて保管しなければならない。5万ベクレルという数値は、厳重に管理する必要があるレベルなのだ。
市は黙殺
日本科学振興財団副会長の藤井石根・明治大学名誉教授は、特に子どもたちの健康に影響を与えないかと懸念する。
「放射線の影響はすぐに出なくても、細胞は傷つけられている。それが後に白血病やがんを引き起こす恐れがあります。この道路は通学路にもなっているそうですが、それだと子どもたちがセシウムを含んだ土埃を吸い込み、内部被曝してしまう危険性があるのです」
今回の調査で採取した土は、道路の脇に5cmほど盛り上がっていた土だ。道路の脇の土には、地上に落ちた放射性物質が雨で集まって濃縮されやすいため、そうでない場所の土よりも数値が高くなる。水路などから採った土も同様だ。したがって、今回の5万ベクレルという数値をもって、柏市全域が危険な水準であるとは断定できない。
しかし前出の山内教授は、「セシウムは土壌の表面に集まるので、表土だけを採ると極端に高い値が出てしまう」と留意しながらも、「たとえそうであっても、これだけ高い数値が検出された事実は見過ごせない」と指摘する。こうした場所が発見された以上、住民が安心するには、多くの地域を対象にした検査を実施するほかない。前出の河田氏は「いますぐ行政が動かなければならない」と警告する。
「柏市と同程度の数値が出た南相馬市では、検査や除染など、行政による対応が行われていますが、問題は柏市のような原発から離れた場所にあるホットスポットです。離れているということで注目度も低いため、行政が動かない。しかし、その汚染レベルは、実は福島県内の汚染地域と変わらないわけです。行政は、まずは細かく放射線のレベルを測るべきです。それも大気中だけではなく、土壌検査も行う必要がある」
ところが、当の行政の反応は鈍いと言わざるを得ない。松岡さんがこう明かす。
「検査結果を受け取った後、これは行政にも報告したほうがいいと思い、市の環境保全課と教育委員会に連絡したのですが、環境保全課は『個人で土壌調査とは、偉いですねえ』と感心されておしまい。教育委員会も『学校外のことなので何もできません』と相手にしてくれませんでした」
本誌が市の環境保全課に取材を申し込むと、「大気中の放射線量については、計80ある幼稚園と学校、12ヵ所ある公園で測定を始めていますが、土壌の放射線量については、まだ測っておりません。もしもそれほど高い数値を検出した場所があるなら、必要に応じて調査を検討していくことになるでしょう」(柏市役所環境保全課)
と、現在のところ積極的に調査に乗り出す気はなさそうだ。柏市に限らず、他の自治体も土壌の調査までは行っていないところがほとんどだ。前出の藤井氏は、こう釘を刺す。
「土壌が汚染されていることが判明すると、農作物の風評被害が出るからと恐れて、対応に二の足を踏んでいるというならとんでもないことです。それは隠蔽と同じ。被害者を増やしてしまうだけです」
福島原発由来の放射性物質汚染は、今や全国に広がっている。もはやこの現実から目をそらすことはできない。
「週刊現代」2011年8月6日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13879
福島の子ども、半数近くが甲状腺被曝 政府調査で判明
東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐり、政府の原子力災害対策本部は17日、福島県の子ども約1150人を対象にした甲状腺の内部被曝(ひばく)検査で、45%で被曝が確認されていたことを明らかにした。17日、同県いわき市で開かれた説明会で発表した。すぐに医療措置が必要な値ではないと判断されているが、低い線量の被曝は不明な点も多く、長期的に見守る必要がある。
検査は3月24~30日、いわき市と川俣町、飯舘村で0~15歳の子どもを対象に実施した。原子力安全委員会が当時、精密検査が必要だと決めた基準は甲状腺被曝線量が毎時0.20マイクロシーベルト以上。1150人のうち、条件が整い測定できた1080人は全員、0.10マイクロシーベルト以下だった。
この日、説明会には、検査を受けた子どもの保護者ら約50人が参加した。対策本部原子力被災者生活支援チームの福島靖正医療班長は「問題となるレベルではない」と説明した。
asahi.com 2011年8月17日21時26分 (引用)
http://www.asahi.com/national/update/0817/TKY201108170394.html
検査は3月24~30日、いわき市と川俣町、飯舘村で0~15歳の子どもを対象に実施した。原子力安全委員会が当時、精密検査が必要だと決めた基準は甲状腺被曝線量が毎時0.20マイクロシーベルト以上。1150人のうち、条件が整い測定できた1080人は全員、0.10マイクロシーベルト以下だった。
この日、説明会には、検査を受けた子どもの保護者ら約50人が参加した。対策本部原子力被災者生活支援チームの福島靖正医療班長は「問題となるレベルではない」と説明した。
asahi.com 2011年8月17日21時26分 (引用)
http://www.asahi.com/national/update/0817/TKY201108170394.html
2011年8月17日水曜日
「東電に賠償させる方法教えます」 弁護士が説明会
紛争審査会の指針は難解なため、弁護士がスクリーンを使って賠償請求の方法を分かりやすく説明した。(16日、弁護士会館・霞が関。写真:筆者撮影)
国家権力をも操る強大な相手から財産を毀損され、精神的肉体的苦痛を受けた場合、損害賠償を請求し勝ち取るのは並大抵の業ではない。福島第一原発の放射能漏れ事故の被害者たちがこうした状況に置かれている。政府の指示で避難した住民でさえ、巨額の自己出費を強いられたまま途方に暮れている状態だ。
あれやこれやと難クセをつけて払うべき賠償金を払わないのが東京電力という会社なのである。「被害者を泣き寝入りさせてはならない」、弁護士たちが16日、「原発事故による賠償請求準備のための説明会」を開いた(主催:東京弁護士会、東京第1弁護士会、東京第2弁護士会)。
こんな例がある。第一原発から20キロ圏内の浪江町に住んでいた男性は、会社の転勤が頻繁にあるため住民票を持っていなかった。だが電気料金や水道の領収書はあり、浪江町から義捐金を支給された証明書もある。
にもかかわらず東電は「住民票がない」というたった一つの理由だけで、男性に「仮払い補償金」を支払わなかったのである。男性のようなケースが大量に出たため弁護士が東電と大がかりな交渉をした。結果、6月半ば頃から自治体が義捐金を支払ったことを証明するものがあれば、東電は「仮払い補償金」を支払わなければならなくなった。弁護士の交渉により住民はようやく仮払いを勝ち取ったのである。
説明会は難しい概念をスクリーン上に図示しながら行なわれた。法律の素人である被害住民が“請求できない”と諦めそうなケースに力点が置かれた――
・一時帰宅も「避難費用」として請求できる。
・ガソリン代はレシートを持っていなくても、キロ当たりの値段で計算して請求できる。(着のみ着のままで逃げたのだからレシートをもらっている余裕などない、というのが理由である。紛争審査会の中間指針では「東電は証拠がなくても対応するように」と求められている)
・仮払いは後で東電に返金する必要はない。(事故発生から5か月が経つ。東電からの一世帯100万円(単身世帯は75万円)の仮払い金はすでに使い果たしている。これからさらに出費はかさむ。請求こそすれ返金する金などない、というのが理由だ)
いずれも東電が拒否しそうな項目だ。実際、仮払いをめぐってある女性が東電から次のように言われた―浪江町でキャンプ場を経営していた女性は、政府の避難指示を受けて避難した。当然、キャンプ場は営業できない。彼女は収入源を絶たれたのである。
にもかかわらず東電は仮払いの際、女性に「あくまでも仮払いですから余ったら返してもらいますよ」と言い放ったのだそうだ。
住民が法律の素人であることにつけ込み東電は賠償金を踏み倒そうという魂胆である。
母親(91歳)の治療費をどう請求すればよいのかなどを弁護士に相談する女性。(筆者撮影)
説明会に出席していた老夫婦に事情を聞いた。二人は浪江町で暮らしていた。原発爆発直後の3月15日夜、役場の職員が来て「すぐに避難して下さい」と告げた。家財道具は何も持たず避難した。
「交通費、宿泊費はもとより箸一膳、ふとん一組まで請求したかった。でもJAや漁協ならともかく個人で東電に請求しようとしても無理。こういった会ができて良かった。なかったら途方に暮れていたでしょうね」。奥さんの表情にはかすかに安堵の色が浮かんだ。
説明会を主催した3弁護士会は「請求を紛争仲介センターに持ち込む場合は、着手金は頂かない」方針だ。紛争仲介センターは東電の損害賠償の枠組みを決める原子力損害賠償紛争審査会の下に置かれる組織で、プロフェッショナルの調査要員などを持つ。9月にも発足する。
紛争仲介センターに持ち込んでも東電が支払いを拒否した場合は裁判となる。
同弁護士会は今後、説明会を全国各地で催す予定だ。原発事故被害者が各地に避難しているためである。次回の説明会は8月27日に立川市の「多摩弁護士会館」で開く。
田中龍作ジャーナル 2011年8月16日 21:03 (引用)
http://tanakaryusaku.jp/2011/08/0002792
国家権力をも操る強大な相手から財産を毀損され、精神的肉体的苦痛を受けた場合、損害賠償を請求し勝ち取るのは並大抵の業ではない。福島第一原発の放射能漏れ事故の被害者たちがこうした状況に置かれている。政府の指示で避難した住民でさえ、巨額の自己出費を強いられたまま途方に暮れている状態だ。
あれやこれやと難クセをつけて払うべき賠償金を払わないのが東京電力という会社なのである。「被害者を泣き寝入りさせてはならない」、弁護士たちが16日、「原発事故による賠償請求準備のための説明会」を開いた(主催:東京弁護士会、東京第1弁護士会、東京第2弁護士会)。
こんな例がある。第一原発から20キロ圏内の浪江町に住んでいた男性は、会社の転勤が頻繁にあるため住民票を持っていなかった。だが電気料金や水道の領収書はあり、浪江町から義捐金を支給された証明書もある。
にもかかわらず東電は「住民票がない」というたった一つの理由だけで、男性に「仮払い補償金」を支払わなかったのである。男性のようなケースが大量に出たため弁護士が東電と大がかりな交渉をした。結果、6月半ば頃から自治体が義捐金を支払ったことを証明するものがあれば、東電は「仮払い補償金」を支払わなければならなくなった。弁護士の交渉により住民はようやく仮払いを勝ち取ったのである。
説明会は難しい概念をスクリーン上に図示しながら行なわれた。法律の素人である被害住民が“請求できない”と諦めそうなケースに力点が置かれた――
・一時帰宅も「避難費用」として請求できる。
・ガソリン代はレシートを持っていなくても、キロ当たりの値段で計算して請求できる。(着のみ着のままで逃げたのだからレシートをもらっている余裕などない、というのが理由である。紛争審査会の中間指針では「東電は証拠がなくても対応するように」と求められている)
・仮払いは後で東電に返金する必要はない。(事故発生から5か月が経つ。東電からの一世帯100万円(単身世帯は75万円)の仮払い金はすでに使い果たしている。これからさらに出費はかさむ。請求こそすれ返金する金などない、というのが理由だ)
いずれも東電が拒否しそうな項目だ。実際、仮払いをめぐってある女性が東電から次のように言われた―浪江町でキャンプ場を経営していた女性は、政府の避難指示を受けて避難した。当然、キャンプ場は営業できない。彼女は収入源を絶たれたのである。
にもかかわらず東電は仮払いの際、女性に「あくまでも仮払いですから余ったら返してもらいますよ」と言い放ったのだそうだ。
住民が法律の素人であることにつけ込み東電は賠償金を踏み倒そうという魂胆である。
母親(91歳)の治療費をどう請求すればよいのかなどを弁護士に相談する女性。(筆者撮影)
説明会に出席していた老夫婦に事情を聞いた。二人は浪江町で暮らしていた。原発爆発直後の3月15日夜、役場の職員が来て「すぐに避難して下さい」と告げた。家財道具は何も持たず避難した。
「交通費、宿泊費はもとより箸一膳、ふとん一組まで請求したかった。でもJAや漁協ならともかく個人で東電に請求しようとしても無理。こういった会ができて良かった。なかったら途方に暮れていたでしょうね」。奥さんの表情にはかすかに安堵の色が浮かんだ。
説明会を主催した3弁護士会は「請求を紛争仲介センターに持ち込む場合は、着手金は頂かない」方針だ。紛争仲介センターは東電の損害賠償の枠組みを決める原子力損害賠償紛争審査会の下に置かれる組織で、プロフェッショナルの調査要員などを持つ。9月にも発足する。
紛争仲介センターに持ち込んでも東電が支払いを拒否した場合は裁判となる。
同弁護士会は今後、説明会を全国各地で催す予定だ。原発事故被害者が各地に避難しているためである。次回の説明会は8月27日に立川市の「多摩弁護士会館」で開く。
田中龍作ジャーナル 2011年8月16日 21:03 (引用)
http://tanakaryusaku.jp/2011/08/0002792
福島原発:一時帰宅の方へのメッセージ Happy20790 さんのつぶやき まとめ
今月26日から3キロ圏内の一時帰宅が実施される。
個人的には今の時点での帰宅は反対だが各個人の事情もあるしダメとは言い切れない…。
帰宅される方は十分注意してほしい。
もし一時帰宅される方がオイラのつぶやき見てたら参考になればって思ってつぶやきますね。
続き1:まず3キロ圏内はまだまだ汚染が建物や地面にかなりあるので認識して行くこと。服の上からタイベックを着用するけど中の服は出来れば捨ててもいいやつを持っていき、帰りに着替えて捨てること。靴下も二枚重ねてつけること。
続き2:靴にもシューズカバーをつけるが必ず破れるので靴は汚染するので同様に捨てること。手は綿手袋の上にゴム手袋を二重にして一番上のゴム手は頻繁に取り替えること。決して外の物を触ったゴム手で顔なんか触っちゃ駄目ですよ。
続き3:家の中に入ったらまずゴム手を交換すること。靴を脱いで、シューズカバーをつけて家にあがること。持ち出すものはビニール袋に入れること。冷蔵庫は絶対に開けちゃ駄目。倒れますよ。オイラもエライ目にあいましたから。
続き4:家から出る時はシューズカバーを脱いで靴をはくこと。バスに乗る前にシューズカバー、ゴム手を外すこと。汚染は目に見えないけど、イメージとしてはペンキ塗りたての地面や建物を想像してみればいいんじゃないかなぁ?
続き5:オイラもよく現場でイメージしますよ。触ったらペンキついちゃうからね。あとマスクは絶対に外さないでね。とにかく3キロ圏内はGM管でも100000cpm超える場所が沢山あるから気をつけてね。特に6号線沿いや工事車輌が通る道路脇の家は相当汚染してると思うから。
続き6:工事車輌は構内を走り回って、構内出る前は除染もしてないから汚染撒き散らして走ってるからね。Jヴィレッジでは除染するんだけど…。最後に集合場所で物品のサーベイすると思うんだけど、必ず数値は聞いてね。
続き7:バックグラウンドの数値にもよるけどオイラなら600~800cpm位なら持ち出すけどそれ以上なら持ち出さない。政府は13000cpmまでは除染なしでOK出してるけど…。オイラには考えられない数値。まだまだ暑いし熱中症にも気をつけて下さい。
続き8:あっ!あとも一つ忘れてた。ゴム手やシューズカバー、ビニール袋、マスクはいっぱい持っていってね。集合場所で配布されるはずで沢山持っていっても文句いわれないと思うし。オイラのつぶやきが参考になったかわかんないけど、本当に気をつけて一時帰宅して下さいね。
個人的には今の時点での帰宅は反対だが各個人の事情もあるしダメとは言い切れない…。
帰宅される方は十分注意してほしい。
もし一時帰宅される方がオイラのつぶやき見てたら参考になればって思ってつぶやきますね。
続き1:まず3キロ圏内はまだまだ汚染が建物や地面にかなりあるので認識して行くこと。服の上からタイベックを着用するけど中の服は出来れば捨ててもいいやつを持っていき、帰りに着替えて捨てること。靴下も二枚重ねてつけること。
続き2:靴にもシューズカバーをつけるが必ず破れるので靴は汚染するので同様に捨てること。手は綿手袋の上にゴム手袋を二重にして一番上のゴム手は頻繁に取り替えること。決して外の物を触ったゴム手で顔なんか触っちゃ駄目ですよ。
続き3:家の中に入ったらまずゴム手を交換すること。靴を脱いで、シューズカバーをつけて家にあがること。持ち出すものはビニール袋に入れること。冷蔵庫は絶対に開けちゃ駄目。倒れますよ。オイラもエライ目にあいましたから。
続き4:家から出る時はシューズカバーを脱いで靴をはくこと。バスに乗る前にシューズカバー、ゴム手を外すこと。汚染は目に見えないけど、イメージとしてはペンキ塗りたての地面や建物を想像してみればいいんじゃないかなぁ?
続き5:オイラもよく現場でイメージしますよ。触ったらペンキついちゃうからね。あとマスクは絶対に外さないでね。とにかく3キロ圏内はGM管でも100000cpm超える場所が沢山あるから気をつけてね。特に6号線沿いや工事車輌が通る道路脇の家は相当汚染してると思うから。
続き6:工事車輌は構内を走り回って、構内出る前は除染もしてないから汚染撒き散らして走ってるからね。Jヴィレッジでは除染するんだけど…。最後に集合場所で物品のサーベイすると思うんだけど、必ず数値は聞いてね。
続き7:バックグラウンドの数値にもよるけどオイラなら600~800cpm位なら持ち出すけどそれ以上なら持ち出さない。政府は13000cpmまでは除染なしでOK出してるけど…。オイラには考えられない数値。まだまだ暑いし熱中症にも気をつけて下さい。
続き8:あっ!あとも一つ忘れてた。ゴム手やシューズカバー、ビニール袋、マスクはいっぱい持っていってね。集合場所で配布されるはずで沢山持っていっても文句いわれないと思うし。オイラのつぶやきが参考になったかわかんないけど、本当に気をつけて一時帰宅して下さいね。
放射能汚染がれき、福島県外で処分の方針 細野原発相
細野豪志原発担当相は13日、東京電力福島第一原発周辺の放射能汚染がれきの処理について「福島県を廃棄物の最終処分場には絶対するべきではない。国として責任をもって処理していく」と述べ、政府主導により福島県外で処分に当たる方針を示した。訪問先の福島市内で記者団に語った。
asahi.com 2011年8月13日21時46分(引用)
http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY201108130399.html
asahi.com 2011年8月13日21時46分(引用)
http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY201108130399.html
福島産の放射性物質の検査結果、確認サイト開設
東京電力福島第一原子力発電所事故を受け、福島県は県産の農産物や水産物計257品目について、放射性物質の検査結果を表示する専用ウェブサイト「ふくしま 新発売。」を17日正午に開設する。
県は、生産量が全国2位のモモや同3位のナシなどの農産物のほか、アユ、イワシなどの水産物について出荷前に放射性物質の検査を実施しており、これまでの検査件数は約4470件に上る。専用サイトではこの検査結果を、品目や生産地域、検査日から検索できる。例えば、「8月3日」「伊達市」「モモ」と入力すると、8月3日以降に検査が行われた伊達市産のモモの数値を検体ごとに見られる。
県はこれまでもホームページで検査結果を公表していたが、測定日ごとに産地と品目、数値が羅列されるだけで、「目当ての農産物を探しにくい」と不評だった。
専用サイトでは、農家のインタビューや観光地の動画も公開して福島のPRに努める。近く携帯電話でも閲覧できるようにする。県の担当者は「正確な情報を発信し、風評被害を払拭したい」と話している。
サイトは
http://www.new-fukushima.jp
読売新聞 2011年8月17日09時47分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110817-OYT1T00216.htm
県は、生産量が全国2位のモモや同3位のナシなどの農産物のほか、アユ、イワシなどの水産物について出荷前に放射性物質の検査を実施しており、これまでの検査件数は約4470件に上る。専用サイトではこの検査結果を、品目や生産地域、検査日から検索できる。例えば、「8月3日」「伊達市」「モモ」と入力すると、8月3日以降に検査が行われた伊達市産のモモの数値を検体ごとに見られる。
県はこれまでもホームページで検査結果を公表していたが、測定日ごとに産地と品目、数値が羅列されるだけで、「目当ての農産物を探しにくい」と不評だった。
専用サイトでは、農家のインタビューや観光地の動画も公開して福島のPRに努める。近く携帯電話でも閲覧できるようにする。県の担当者は「正確な情報を発信し、風評被害を払拭したい」と話している。
サイトは
http://www.new-fukushima.jp
読売新聞 2011年8月17日09時47分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110817-OYT1T00216.htm
天下り先への補助金、廃止後も形変え継続 防衛省
防衛省が昨年廃止したはずの基地周辺の住宅防音工事に関する補助金を、各地の防衛局が発注する公共事業の形に変え、職員の天下り先に出し続けていることがわかった。事業は一般競争入札で発注し、誰でも参加できる形にしていたが、入札直前に天下り先以外の参加が難しい条件をつけてライバルを排除していた。
補助金は、自衛隊や在日米軍基地周辺で住宅の防音工事をする際の事務手続き費用として出していた。手続きは専門的でなく、行政への申請書づくりを手伝う行政書士で対応できる内容だった。
補助金は名目上、住民に1件当たり上限8万円支払われることになっていたが、実際は事務手続きを代行する防衛省所管の財団法人「防衛施設周辺整備協会」に回っていた。協会には年十数億円が入っていた。
asahi.com 2011年8月17日3時0分 (引用)
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201108160556.html
補助金は、自衛隊や在日米軍基地周辺で住宅の防音工事をする際の事務手続き費用として出していた。手続きは専門的でなく、行政への申請書づくりを手伝う行政書士で対応できる内容だった。
補助金は名目上、住民に1件当たり上限8万円支払われることになっていたが、実際は事務手続きを代行する防衛省所管の財団法人「防衛施設周辺整備協会」に回っていた。協会には年十数億円が入っていた。
asahi.com 2011年8月17日3時0分 (引用)
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201108160556.html
衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響について」 児玉龍彦東大教授
私は東京大学アイソトープ総合センター長の児玉です。
3月15日に、大変に驚愕しました。私ども東京大学には27箇所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任を負っております。
私自身は内科の医者でして、東大病院の放射線の除染などに数十年関わっております。
まず3月15日の午前9時ごろ、東海村で5マイクロシーベルトという線量を経験(観測)しまして、それを文科省
に第10条通報ということで直ちに通報いたしました。
その後東京で0.5マイクロシーベルトを超える線量を検出しました。
これは一過性に下がりまして、そのあと3月21日に東京で雨が降り0.2マイクロシーベルト等の線量が降下し、これが今日までの高い線量の原因になっていると思っております。
このときに枝野官房長官が、さしあたり健康にあまり問題がないということをおっしゃいましたが、私はじっさいにこのときにこれは大変なことになると思いました。
なぜなら現行の放射線の障害防止法というのは、高い線量の放射線が少しあることを前提にしています。
このときは総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。
ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロ圏で5マイクロシーベルト、200キロ圏で0.5マイクロシーベルト、さらにそれを越えて、足柄から静岡のお茶にまで汚染が及んでいることは、今日、すべてのみなさんがご存じの通りであります。
われわれが放射線障害をみるときには総量を見ます。
それでは政府と東京電力はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであるかはっきりとした報告はまったくしていません。
そこで私どもはアイソトープセンターの知識をもとに計算してみますと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが露出しております。
ウラン換算では20個分のものが漏出しています。
さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の残存量と、原発から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。
つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出したということが、まず考える前提になります。
そうしますと、われわれはシステム生物学というシステム論的にものをみるやり方でやっているのですが、総量が少ない場合には、ある人にかかる濃度だけを見ればいいです。
しかしながら総量が非常に膨大にありますと、これは粒子の問題です。
粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、われわれの流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料というものは、砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋め込まれております。
これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさん放出されるようになります。
そうしたものが出てまいりますと、どういうことがおこるかというのが今回の稲藁の問題です。
例えば岩手の藤原町(注)では、稲藁5万7千ベクレルパーキログラム、宮城県の大崎1万7千ベクレルパーキログラム、南相馬市10万6千パーキログラム、白河市9万7千パーキログラム、岩手6万4千パーキログラムということで、この数値はけして同心円上にはいかない。
どこでどう落ちているかということは、その時の天候、また例えばその物質が水を吸い上げたかどうか、にかかります。
今回の場合も、私は南相馬に毎週行っています。東大のアイソトープセンターは現在までに7回の除染を行っていますが、南相馬に最初にいったときには1台のNaIカウンターしかありません。
農林省が通達を出した3月19日には、食料も水もガソリンもつきようとして、南相馬市長が痛切な訴えをWEBに流したのは広く知られているところであります。
そのような中で通達1枚を出しても誰も見ることができないし、誰も知ることができません。
稲藁がそのような危険な状態にあるということは、まったく農家は認識されていない。
農家は資料を外国から買って、何十万という負担を負って、さらに牛にやる水は実際に自分たちが飲む地下水にその日から代えています。
そうするとわれわれが何をやらなければいけないのかというと、まず汚染地で徹底的な測定ができるように保障しなければいけません。
われわれが5月下旬に行ったときに1台しか南相馬になかったというけれど、実際には米軍から20台の個人線量計が来ていました。
しかしその英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、われわれが行って、教えてあげて実際に使いだしてはじめて20個での測定ができるようになった。
それが現地の状況です。
それから先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというのではなしに、今日ではもっとイメージングベースの測定器が、はるかにたくさん半導体で開発されています。
なぜ政府はそれを全面的に応用してやろうとして、全国に作るためにお金を使わないのか。
3カ月経ってそのようなことが全く行われていないことに私は満身の怒りを表明します。
第二番目です。
私の専門は、小渕総理のときから内閣の抗体薬品の責任者でして今日では最先端研究支援ということで、30億円をかけて、抗体医薬品にアイソトープをつけて癌の治療をやる、すなわち人間の身体の中にアイソトープを打ち込むのが私の仕事ですから、内部被曝問題に関して、一番必死に研究しております。
そこで内部被曝がどのように起きるかということを説明させていただきます。
内部被曝の一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起きるかというと、DNAの切断を行います。
ただしご存知のように、DNAというのは二重らせんですから、二重のときは非常に安定的です。
それが細胞分裂するときは、二重らせんが1本になって2倍になり、4本になります。
この過程のところがもの凄く危険です。そのために妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖の盛んな細胞に対しては、放射線障害は非常な危険性を持ちます。
さらに大人においても、増殖の盛んな細胞、例えば放射性物質を与えると、髪の毛に影響したり、貧血になったり、それから腸管上皮に影響しますが、これらはいずれも増殖の盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります。
それで私たちが内部に与えた場合のことで知っている事例を挙げます。
これは実際には一つの遺伝子の変異では癌はおこりません。
最初の放射線のヒットが起こったあとにもう一個の別の要因で、癌への変異が起こるということ、これはドライバーミューテーションとか、パッセンジャーミューテーションとか、細かいことになりますが、それは参考の文献をつけてありますので、後で、チェルノブイリの場合や、セシウムの場合を挙げていますので、それを見ていただきますが、まず一番有名なのはα線です。
プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいると聞いて、私はびっくりしましたが、α線は最も危険な物質であります。
それはトロトラスト肝障害というところで、私ども肝臓医は、すごくよく知っております。
要するに内部被曝というのは、さきほどから何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうのは全く意味がありません。
I131(ヨウ素131)は甲状腺に集まります。
トロトラストは肝臓に集まります。
セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディスキャンしても、まったく意味がありません。
トロトラストの場合、これは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ、1930年頃から日本でも用いられましたが、その後、20から30年経つと肝臓がんが25%から30%起こるということが分かってまいりました。
最初のが出て来るまで20年というのが何故かと言うと、トロトラストはα線核種なのですが、α線は近隣の細胞を障害します。
そのときに一番やられるのは、P53という遺伝子です。
われわれは今、ゲノム科学ということで人の遺伝子の配列を知っていますが、一人の人間と別の人間はだいたい三百万箇所違います。
ですから人間を同じとして扱うような処理は今日ではまったく意味がありません。
いわゆるパーソナライズドメディスンと言われるようなやり方で、放射線の内部障害を見るときにも、どの遺伝子がやられて、どのような変化が起こっているかということをみることが、原則的な考え方として大事です。
トロトラストの場合は、第一の段階でP53の遺伝子がやられて、それに続く第二、第三の変異が起こるのが20年から30年かかり、そこで肝臓癌や白血病が起こってくることが証明されています。
次にヨウ素131、ご存知のように甲状腺に集まりますが、成長期の集積がもっとも特徴的であり、小児に起こります。
しかしながら1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの学者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。
なぜかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。
しかし統計学的に有意だということが分かったのは、20年後です。
20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えたために、過去のデータがなくても因果関係があるということがエビデンスになった。
ですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の症例が終わるまでだいたい証明できないです。
ですから今、われわれに求められている子どもを守るという観点からはまったく違った方法が求められます。
そこで今、行われているのは国立のバイオアッセ―研究センターという化学物質の効果を見る、福島昭治先生という方がチェルノブイリの尿路系に集まるものを検討されていまして、福島先生たちが、ウクライナの医師と相談して500例以上のある症例を集めています。
前立腺肥大のときに手術をしますと膀胱もとれてきます。
これを見まして検索したところ、高濃度の汚染地区、尿中に6ベクレルパーリットルと微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも増殖性の前癌状態、われわれからみますと、P38というMAPキナーゼと、NFカッパーBというシグナルが活性化されているのですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発性でありまして、かなりの率で上皮内の癌ができているということが、報告されています。
それでこの量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2から13ベクレル、7名から検出されているというがすでに報告されていることであります。
われわれアイソトープ総合センターでは、現在まで毎週だいたい4人ぐらいの所員を派遣しまして、南相馬市の除染に協力しております。
南相馬でも起こっていることはまったくそうでして、20キロ、30キロという分け方はぜんぜん意味が無くて、幼稚園ごとに測っていかないと全然ダメです。
それで現在、20キロから30キロ圏にバスをたてて、1700人の子どもが行っていますが、実際には南相馬で中心地区は海側で、学校の7割は比較的線量は低いです。
ところが30キロ以遠の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。
このような事態は一刻も早くやめさせてください。
今、一番その障害になっているのは、強制避難でないと補償しないということ。
参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそのような答弁を行っていますが、これは分けて下さい。
補償問題と線引の問題と、子どもの問題は、ただちに分けて下さい。
子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします。
それからもう一つは現地でやっていて思いますが、緊急避難的除染と恒久的除染をはっきりわけていただきたい。
緊急避難的除染をわれわれもかなりやっております。
例えば図表にでています滑り台の下、ここは小さい子どもが手をつくところですが、滑り台から雨水が落ちて来ると毎回ここに濃縮します。
右側と左側にずれがあって、片側に集まっていますと、平均線量1マイクロのところですと、10マイクロの線量が出てきます。
こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはなりません。
またコケが生えているような雨どいの下、これも実際に子どもが手をついたりしているところなのですが、そういうところは、高圧洗浄機を持って行ってコケをはらうと2マイクロシーベルトが0.5マイクロシーベルトにまでなります。
だけれども、0.5マイクロシーベルト以下にするのは非常に難しいです。
それは建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、一か所だけを洗っても全体を下げることは非常に難しいです。
ですから除染を本当にやるときに、一体どれぐらいの問題がかかり、どれぐらいのコストがかかるかといことをイタイイタイ病の一例であげますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなのですが、そのうち1500ヘクタールまで現在、除染の国費が8000億円投入されています。
もしこの1000倍ということになれば一体どれだけの国費が必要になるのか。
ですから私は4つのことを緊急に提案したいと思います。
第一に国策として、食品、土壌、水を、測定していく。
日本がもっている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を使って、半導体のイメージング化は簡単です。
イメージング化して流れ作業にしていくという意味での最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善してください。
これは今の日本の科学技術でまったく可能です。
二番目。緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定してください。
私の現在やっていることはすべて法律違反です。
現在の障害防止法では、核施設で扱える放射線量、核種などは決められています。
東大の27のいろいろなセンターを動員して南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウム使用権限など得ていません。
車で運搬するのも違反です。
しかしお母さんや先生たちに高線量のものを渡してくるわけにはいきませんから、今の東大の除染では、すべ
てのものをドラム缶に詰めて東京にもって帰ってきています。
受け入れも法律違反、すべて法律違反です。
このような状態を放置しているのは国会の責任であります。
全国の国立大学のアイソトープセンターには、ゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところはたくさんあります。
そういうところが手足を縛られたままで、どうやって、国民の総力をあげて子どもを守れるでしょうか。
これは国会の完全なる怠慢であります。
第三番目、国策として土壌汚染を除染する技術に、民間の力を結集して下さい。
これは例えば東レとかクリタだとかさまざまな化学メーカー。
千代田テクノルとかアトックスというような放射線除去メーカー、竹中工務店などは、放射線の除染に対してさまざまなノウハウを持っています。
こういうものを結集して、ただちに現地に除染研究センターを作って、実際に何十兆円という国費をかかるのを、今のままだと利権がらみの公共事業になりかねないいう危惧を私は強くもっています。
国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬もありません。
どうやって本当に除染をやるか。
七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに国会は一体何をやっているのですか。
以上です。
(なお文中の障害防止法とは、「放射線同位元素等による放射線障害の
防止に関する法律」のことと思われます。)
注 発言の中に、「岩手県藤原町」という呼称があり、配布資料にも同じように記載されていますが、岩手県には藤原町はありません。
岩手県宮古市藤原か、岩手県東磐井郡藤沢町の誤りではないかと思われます。
2011年8月16日火曜日
バターがチーズが値上げ 食卓に震災影響ジワリ…
食品がまた値上げです。大手乳業メーカー「雪印メグミルク」が、10月1日の出荷分から9品目を値上げします。例えば、「北海道バター」は365円から5円上がって370円。家庭用のバター類は約1%値上げし、チーズ類は約5%の値上げとなります。価格上昇の背景には、福島第一原発の事故が影響していました。
ANNニュース 2011.08.16 引用
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210816034.html
ANNニュース 2011.08.16 引用
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210816034.html
日本原子力学会長、推進の立場から離れる方針
今年6月に日本原子力学会の会長に就任した田中知さとる・東京大学教授(61)(原子力工学)が12日、東京都内で記者会見し、「原子力推進という立場から離れ、国民が判断できる情報を提示していく」との方針を明らかにした。
今後、学会として、国民に向けて、原子力の長所と短所を改めて整理、公表するとしている。
同学会の会員は現在約7000人。原子力研究者だけでなく、電力会社や原子炉メーカーの社員も多い。こうした「原子力ムラ」については、「自らが作った壁の中で考えるのではなく、社会や他分野の専門家の声にも耳を傾けなければならない」と語った。
読売新聞 2011年8月12日 23時18分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110812-OYT1T01059.htm
今後、学会として、国民に向けて、原子力の長所と短所を改めて整理、公表するとしている。
同学会の会員は現在約7000人。原子力研究者だけでなく、電力会社や原子炉メーカーの社員も多い。こうした「原子力ムラ」については、「自らが作った壁の中で考えるのではなく、社会や他分野の専門家の声にも耳を傾けなければならない」と語った。
読売新聞 2011年8月12日 23時18分 (引用)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110812-OYT1T01059.htm
“地震多発時代”はまだ始まったばかり!
首都圏が最も警戒すべき「巨大地震」発生の可能性――東京大学地震研究所 佐藤比呂志教授に聞く
東日本大震災から5ヵ月が経過した。
しかし、現在も東日本を襲う大規模な余震が頻発、依然として被災地やその周辺では不安な状況が続いている。
さらに先月、政府の地震調査委員会が神奈川県の三浦半島断層群でも地震発生確率が高まった可能性があると発表したことに伴い、首都圏でも巨大地震への恐怖心が高まっている。
このように東日本大震災をきっかけに地震多発時代へと突入した日本だが、3月11日の大地震は日本列島にどのような影響を与えてしまったのか。
そして、今後最も地震発生を警戒しなければならない地域はどこだろうか。
震災直後から、首都圏にも甚大な被害を及ぼしかねない巨大地震発生の可能性を示唆していた東京大学地震研究所地震予知研究センター・佐藤比呂志教授に、これから最も警戒すべき地震と今すぐ行うべき地震への緊急対応策について話を聞いた。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)
佐藤比呂志 東京大学地震研究所地震予知研究センター教授
頻発する東北地方の余震終息には
数年を要する可能性も
――地震発生直後から多発している余震は今なお続き、内陸部でも大規模な地震が頻発している。なぜこれほど大規模な余震が長期間続くのか。また、いつになれば終息するか。
東日本の太平洋沖には南北に走る日本海溝があり、ここでは海側の太平洋プレートが東日本を載せているプレートの下に沈み込んでいる。
この沈み込みによって3月11日までは日本列島を西へ押しつける力が働き、プレートの境界にひずみが蓄積されている状態だった。
しかし、このひずみが限界を超えてしまったことで、東北地方太平洋沖地震が発生し蓄積されていたひずみが大きく解放された。
そして地震直後から、日本列島に今まで押されていた力が解放され、地殻が東方、つまり太平洋のほうに一斉に動き出している。
こうした地殻変動によって、震源域周辺の地下における力のかかり方が大きく変化し、岩盤の状態が不安定になっている。
そこで、岩盤内にかかっている力の調整が進行し、東北沖はもちろんのこと内陸でも浅い地震が頻発したと考えられる。
実際、本震直後には、長野県北部と新潟県との県境付近を震源としたM6.7の地震が発生し、家屋などにも大きな被害が出ている。
これまでも大規模な海溝型の地震発生の後には余震がしばしば発生しているが、その発生頻度は時間が経つごとに減少していくことがわかっている。
今回もその減少の仕方は一般の地震と変わらずに進行するだろう。
ただ、M9.0と極めて規模が大きかったために、通常ならば沈静化する時期にも余震が起きている。そういう意味では自然な状態だが、3.11前までの正常レベルに戻るには有感レベルでも数年の時間を要するだろう。
懸念される三浦半島断層群での地震
本当の発生可能性は?
――先月、政府の地震調査委員会が神奈川・三浦半島断層群における地震の発生確率が高まった可能性があると発表した。首都圏には動揺が走ったが、実際に発生する可能性は?
先ほど申し上げたように今回の地震では、三陸沖から茨城県沖までの広い領域で断層が割れ、東北地方を中心とした日本列島にかかっていた力は大きく解放された。
しかし、茨城沖までで断層の割れ(震源域)が止まったために、それより南では未だに日本列島はプレートからの圧縮を受け続けている。
つまり、日本列島は今回の震源域までとそれより南でかかる力が食い違ってしまっている状態だ。そのために、断層がずれ動きやすい場所ができ、いくつかの断層で地震発生確率が高くなったと考えられている。
ただ、三浦半島断層群に関しては、私は調査委員会と異なる見解を持っている。
三浦半島断層群では、その直下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、その形状は近年実施した地殻構造探査によって明らかになっている。
構造探査からは三浦半島断層群の深部が、1923年の関東地震を発生させたプレート境界部の断層と繋がっている可能性が高いことを示している。
したがって、この断層は関東地震クラスの地震が発生する際に、一緒に動くと考えるのが合理的である。
では、関東地震はいつ起こるのか。1923年の大正関東地震の前は、元禄地震とよばれる地震が1703年に発生している。
それ以前については三浦半島で津波堆積物を調べた最新の研究で、1293年の可能性が指摘されている。
いずれにせよ、1923年の大正関東地震とその前に起きた1703年の元禄大地震には200年ほどの間隔があることからも、今後100年ほど関東地震タイプの地震は発生しないと考えてよいだろう。
今回の調査委員会の発表は、大震災の影響で地殻に発生した力の変化を算出し、これを三浦断層群に機械的に当てはめた結果である。
ただ、上記のような地学的な背景を考えると、関東地震とともに動く断層であるから、それほど心配する必要はない。
三浦半島断層群の地震より懸念すべきは
「房総・湘南を襲う大津波」と「直下型地震」の可能性
――教授は、東日本大震災直後から震源域の日本海溝沿いでの巨大地震発生の可能性を懸念していた。未だ発生の可能性は消えていないか。
当初から心配しているのは、東北地方太平洋沖地震の震源域の北(北海道千島沖)と南(千葉東方沖)における日本海溝沿いの「巨大海溝型地震」発生の可能性だ。
3月11日の地震により三陸沖から茨城沖の断層がずれ動き、震源域となったが、現在も南北の端は陸側のプレートに沈み込む太平洋プレートのひずみエネルギーが蓄積されたままである。
実際、2004年スマトラ島沖地震の際は、本震の3ヵ月後に震源域の南方でM8.7の地震が発生した。
北端の千島沖は津波体積物とその前後の地層から読み取った地殻変動から、巨大津波を伴う地震が400年~500年サイクルで発生してきたことが明らかにされており、長期間スケールで見ると巨大津波を伴う地震の発生が憂慮されている。
その一方でほとんど調査が進んでおらず、千島沖と比較しても経済的・人的被害規模が大きくなると考えられるのが震源域南方の千葉東方沖だ。
関東では太平洋プレートの上にフィリピン海プレートが重なるが、今回の巨大地震を発生させた断層運動は、フィリピン海プレートが太平洋プレートと接している箇所で止まっている。
つまり、フィリピン海プレートが障害物となって、断層面上のすべりを止め、首都圏への地震の拡大を阻止した。
断層運動はそれ以上南下しなかったために、今回の地震では事なきを得たが、この領域がすべると房総半島・外房や湘南に非常に大きな津波が押し寄せる恐れがある。
1677年に起き、関東を襲った延宝津波地震と同等の規模であれば、海底地形の上から津波が東京湾に入り込む可能性は小さいものの、破壊領域が大きければ甚大な被害も起こりえる。
東北沖の地震のように「1000年に1度」と言われるような地震が、すでに発生した現時点では、過去100年程度の地震活動や津波で判断せず、長いスケールのなかで評価をし、情報収集することが非常に重要な課題となっている。
また、今回の地震に伴う「首都直下型地震」発生の可能性についても考慮する必要がある。
東京周辺は特殊なプレート配置で、太平洋プレートの上にフィリピン海プレートが乗るようにして沈んでいる。
先ほども述べたように、3月11日の地震ではフィリピン海プレートが障害となったことで、南方に断層面上の破壊が伝搬するのを防いだが、フィリピン海プレート自体に力がかかっている状態である今、沈み込んだフィリピン海プレート内での破壊の可能性も考えなければならない。
また、先に述べたように陸側のプレート内にも特異な力がかかっている状態にあるため、活断層による地震の発生についても注意が必要である。
今回の地震と対比される、869年に三陸を襲った貞観地震の後には、M7.5の関東諸国地震が発生、前後には富士山の火山活動が活発化したという記録もある。
今、3.11の地震発生後、関東でも地震が増え、プレートへの力のかかり方が変化しているのは事実で、沈み込んだフィリピン海プレートやその上の陸側プレートでの、地震発生の可能性が高まっているのは間違いない。
今後、東北地方は“静かな時代”に――
警戒すべきは関東以西の日本列島
――今後の日本列島における地震活動をどう評価しているか。
東北は今、余震も頻発し非常に困難な状況だが、今後、非常に長期間にわたって同規模の地震が発生することはない。
余震が収まれば、安定した時期に入るので、安心して通常の経済活動が行える状態になる。
しかし、関東から西日本は正反対な状況に置かれている。
まず今回の地震発生以前から、2050年前後には東海・東南海・南海地震の発生が予測されていた。
これら南海トラフ沿いの巨大地震は、歴史文書や考古遺跡などからも、規則的に発生した過去の履歴が遡られており、近い将来、必ず地震・津波がその領域で発生するはずだ。
実は今回の東北沖の地震の前には、太平洋プレートによって圧縮されていた東北日本では、被害地震(人的・物的被害を伴った大規模地震)が頻発していた。
2003年に松島周辺、2004年中越地震、そして3年後の中越沖地震、そして2008年の岩手・宮城内陸地震であるプレート境界の巨大地震の発生と、内陸地震の間には相関があり、プレート境界地震の発生前後で内陸地震が多い。
したがって、想定される東海・東南海・南海の地震の前も内陸の被害地震が増加していく可能性が高い。
今回の地震は平安時代の貞観地震と対比されることが多いが、貞観地震から約20年後の南海トラフ沿いの巨大地震(南海・東南海・東海地震)までに、火山噴火やいくつかの被害地震が発生している。
南海トラフでの地震後は地震の記述は長期間なくなり、平穏な時期が訪れていたようである。不幸にも我々が生きる時代は地震活動が活発な時期に当たってしまっている。
こうした地震活動の状況は、今後の日本の社会・経済情勢にも大きなリスクになるのは間違いないだろう。
とはいえ、南海トラフ沿いの地域については、東北沖の日本海溝沿いとは対称的に、歴史文書や考古発掘が盛んで、発生サイクルが短く、非常に古い時期まで遡って地震や津波発生時期・規模などの資料がそろっている。
そうした資料と今回の地震の教訓をもとに、リスクを再評価し、早急な対策が求められる。
“戦う相手”と“自らの資金力”を考えながら
早急に津波早期警報システムの整備を
――巨大地震の発生が予測される今、これからどのような地震対策を行うべきか。
残念ながら我々はまだこうした巨大地震を正確に予知する実力を備えていない。
しかし防災や減災への対応はとれる。そのためには戦う相手を理解し、経済的で効率的な手を段階的に打つことが必要だ。
そこでまず、いつ発生するか予測できない地震・津波に備えるため、早急に津波早期警報システムを兼ね備えた海底ケーブルを、敷設すべきだろう。
今回の震災でも、三陸沖に敷設していた海底ケーブルが水面上昇を記録しており、その有効性を示した。
ケーブルを複数敷設すれば、津波来襲方向も分かるため、津波の波高計算などと組み合わせて、精度の高い波高・到達時間を予測でき、緊急退避行動がとれるはずだ。
政府は地対空ミサイルやイージス艦など、防衛に際しては基本的なコストとして、整備している。
「対津波作戦」も、防衛というカテゴリーの中に加えるべき基本的な事柄だと思える。
そして備えとともに、“戦う相手”をよく理解することがやはり基本である。
今回の地震を想定できなかった大きな原因は、日本海溝沿いの巨大断層の長期間の活動についての情報が決定的に不足していたことである。
内陸の活断層の場合、断層の発掘調査によって、数千年間にどのように活動してきたかを明らかにして、その評価を行っているが、海溝の巨大断層についてこうした調査は行われていない。
過去の海溝型の地震を研究する際、通常は歴史文書や津波の堆積物に頼るが、保存状況から断片的な情報とならざるをえない。
しかし、数千年間にわたる時間スケールの活動の証拠は、日本海溝の深海底に保存されている。
技術的に様々な困難は伴うものの、我々は深海域から必要な情報を取り出して、巨大地震を引き起こす巨大断層がどのような挙動を繰り返してきたのかを知る必要がある。
こうした情報なしには、今後、首都圏をどのような規模の津波が襲うのか、そしてそれらはどれほど切迫しているのかを明らかにすることができない。
この問いに答えるためには、巨大断層の活動履歴を物質的な証拠から復元していく必要がある。
最近では、巨大地震の発生の可能性、地球温暖化による気候変動、資源問題など、かつてないほどに地学的な知識が必要な時代となっている。
にもかかわらず、高等学校での地学教育は減少する傾向にある。
その影響か、昔の人々は災害が起きやすい山地、河口を避け、小高い場所に住んでいたが、現在では経済的な効率を優先して、危険度の高い土地も知らずに利用している。
教育機関には、生きていくための知恵として地学教育にもっと力をいれて欲しいと思ってやまない。
Diamond online 2011/08/12
http://diamond.jp/articles/-/13567
東日本大震災から5ヵ月が経過した。
しかし、現在も東日本を襲う大規模な余震が頻発、依然として被災地やその周辺では不安な状況が続いている。
さらに先月、政府の地震調査委員会が神奈川県の三浦半島断層群でも地震発生確率が高まった可能性があると発表したことに伴い、首都圏でも巨大地震への恐怖心が高まっている。
このように東日本大震災をきっかけに地震多発時代へと突入した日本だが、3月11日の大地震は日本列島にどのような影響を与えてしまったのか。
そして、今後最も地震発生を警戒しなければならない地域はどこだろうか。
震災直後から、首都圏にも甚大な被害を及ぼしかねない巨大地震発生の可能性を示唆していた東京大学地震研究所地震予知研究センター・佐藤比呂志教授に、これから最も警戒すべき地震と今すぐ行うべき地震への緊急対応策について話を聞いた。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)
佐藤比呂志 東京大学地震研究所地震予知研究センター教授
頻発する東北地方の余震終息には
数年を要する可能性も
――地震発生直後から多発している余震は今なお続き、内陸部でも大規模な地震が頻発している。なぜこれほど大規模な余震が長期間続くのか。また、いつになれば終息するか。
東日本の太平洋沖には南北に走る日本海溝があり、ここでは海側の太平洋プレートが東日本を載せているプレートの下に沈み込んでいる。
この沈み込みによって3月11日までは日本列島を西へ押しつける力が働き、プレートの境界にひずみが蓄積されている状態だった。
しかし、このひずみが限界を超えてしまったことで、東北地方太平洋沖地震が発生し蓄積されていたひずみが大きく解放された。
そして地震直後から、日本列島に今まで押されていた力が解放され、地殻が東方、つまり太平洋のほうに一斉に動き出している。
こうした地殻変動によって、震源域周辺の地下における力のかかり方が大きく変化し、岩盤の状態が不安定になっている。
そこで、岩盤内にかかっている力の調整が進行し、東北沖はもちろんのこと内陸でも浅い地震が頻発したと考えられる。
実際、本震直後には、長野県北部と新潟県との県境付近を震源としたM6.7の地震が発生し、家屋などにも大きな被害が出ている。
これまでも大規模な海溝型の地震発生の後には余震がしばしば発生しているが、その発生頻度は時間が経つごとに減少していくことがわかっている。
今回もその減少の仕方は一般の地震と変わらずに進行するだろう。
ただ、M9.0と極めて規模が大きかったために、通常ならば沈静化する時期にも余震が起きている。そういう意味では自然な状態だが、3.11前までの正常レベルに戻るには有感レベルでも数年の時間を要するだろう。
懸念される三浦半島断層群での地震
本当の発生可能性は?
――先月、政府の地震調査委員会が神奈川・三浦半島断層群における地震の発生確率が高まった可能性があると発表した。首都圏には動揺が走ったが、実際に発生する可能性は?
先ほど申し上げたように今回の地震では、三陸沖から茨城県沖までの広い領域で断層が割れ、東北地方を中心とした日本列島にかかっていた力は大きく解放された。
しかし、茨城沖までで断層の割れ(震源域)が止まったために、それより南では未だに日本列島はプレートからの圧縮を受け続けている。
つまり、日本列島は今回の震源域までとそれより南でかかる力が食い違ってしまっている状態だ。そのために、断層がずれ動きやすい場所ができ、いくつかの断層で地震発生確率が高くなったと考えられている。
ただ、三浦半島断層群に関しては、私は調査委員会と異なる見解を持っている。
三浦半島断層群では、その直下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、その形状は近年実施した地殻構造探査によって明らかになっている。
構造探査からは三浦半島断層群の深部が、1923年の関東地震を発生させたプレート境界部の断層と繋がっている可能性が高いことを示している。
したがって、この断層は関東地震クラスの地震が発生する際に、一緒に動くと考えるのが合理的である。
では、関東地震はいつ起こるのか。1923年の大正関東地震の前は、元禄地震とよばれる地震が1703年に発生している。
それ以前については三浦半島で津波堆積物を調べた最新の研究で、1293年の可能性が指摘されている。
いずれにせよ、1923年の大正関東地震とその前に起きた1703年の元禄大地震には200年ほどの間隔があることからも、今後100年ほど関東地震タイプの地震は発生しないと考えてよいだろう。
今回の調査委員会の発表は、大震災の影響で地殻に発生した力の変化を算出し、これを三浦断層群に機械的に当てはめた結果である。
ただ、上記のような地学的な背景を考えると、関東地震とともに動く断層であるから、それほど心配する必要はない。
三浦半島断層群の地震より懸念すべきは
「房総・湘南を襲う大津波」と「直下型地震」の可能性
――教授は、東日本大震災直後から震源域の日本海溝沿いでの巨大地震発生の可能性を懸念していた。未だ発生の可能性は消えていないか。
当初から心配しているのは、東北地方太平洋沖地震の震源域の北(北海道千島沖)と南(千葉東方沖)における日本海溝沿いの「巨大海溝型地震」発生の可能性だ。
3月11日の地震により三陸沖から茨城沖の断層がずれ動き、震源域となったが、現在も南北の端は陸側のプレートに沈み込む太平洋プレートのひずみエネルギーが蓄積されたままである。
実際、2004年スマトラ島沖地震の際は、本震の3ヵ月後に震源域の南方でM8.7の地震が発生した。
北端の千島沖は津波体積物とその前後の地層から読み取った地殻変動から、巨大津波を伴う地震が400年~500年サイクルで発生してきたことが明らかにされており、長期間スケールで見ると巨大津波を伴う地震の発生が憂慮されている。
その一方でほとんど調査が進んでおらず、千島沖と比較しても経済的・人的被害規模が大きくなると考えられるのが震源域南方の千葉東方沖だ。
関東では太平洋プレートの上にフィリピン海プレートが重なるが、今回の巨大地震を発生させた断層運動は、フィリピン海プレートが太平洋プレートと接している箇所で止まっている。
つまり、フィリピン海プレートが障害物となって、断層面上のすべりを止め、首都圏への地震の拡大を阻止した。
断層運動はそれ以上南下しなかったために、今回の地震では事なきを得たが、この領域がすべると房総半島・外房や湘南に非常に大きな津波が押し寄せる恐れがある。
1677年に起き、関東を襲った延宝津波地震と同等の規模であれば、海底地形の上から津波が東京湾に入り込む可能性は小さいものの、破壊領域が大きければ甚大な被害も起こりえる。
東北沖の地震のように「1000年に1度」と言われるような地震が、すでに発生した現時点では、過去100年程度の地震活動や津波で判断せず、長いスケールのなかで評価をし、情報収集することが非常に重要な課題となっている。
また、今回の地震に伴う「首都直下型地震」発生の可能性についても考慮する必要がある。
東京周辺は特殊なプレート配置で、太平洋プレートの上にフィリピン海プレートが乗るようにして沈んでいる。
先ほども述べたように、3月11日の地震ではフィリピン海プレートが障害となったことで、南方に断層面上の破壊が伝搬するのを防いだが、フィリピン海プレート自体に力がかかっている状態である今、沈み込んだフィリピン海プレート内での破壊の可能性も考えなければならない。
また、先に述べたように陸側のプレート内にも特異な力がかかっている状態にあるため、活断層による地震の発生についても注意が必要である。
今回の地震と対比される、869年に三陸を襲った貞観地震の後には、M7.5の関東諸国地震が発生、前後には富士山の火山活動が活発化したという記録もある。
今、3.11の地震発生後、関東でも地震が増え、プレートへの力のかかり方が変化しているのは事実で、沈み込んだフィリピン海プレートやその上の陸側プレートでの、地震発生の可能性が高まっているのは間違いない。
今後、東北地方は“静かな時代”に――
警戒すべきは関東以西の日本列島
――今後の日本列島における地震活動をどう評価しているか。
東北は今、余震も頻発し非常に困難な状況だが、今後、非常に長期間にわたって同規模の地震が発生することはない。
余震が収まれば、安定した時期に入るので、安心して通常の経済活動が行える状態になる。
しかし、関東から西日本は正反対な状況に置かれている。
まず今回の地震発生以前から、2050年前後には東海・東南海・南海地震の発生が予測されていた。
これら南海トラフ沿いの巨大地震は、歴史文書や考古遺跡などからも、規則的に発生した過去の履歴が遡られており、近い将来、必ず地震・津波がその領域で発生するはずだ。
実は今回の東北沖の地震の前には、太平洋プレートによって圧縮されていた東北日本では、被害地震(人的・物的被害を伴った大規模地震)が頻発していた。
2003年に松島周辺、2004年中越地震、そして3年後の中越沖地震、そして2008年の岩手・宮城内陸地震であるプレート境界の巨大地震の発生と、内陸地震の間には相関があり、プレート境界地震の発生前後で内陸地震が多い。
したがって、想定される東海・東南海・南海の地震の前も内陸の被害地震が増加していく可能性が高い。
今回の地震は平安時代の貞観地震と対比されることが多いが、貞観地震から約20年後の南海トラフ沿いの巨大地震(南海・東南海・東海地震)までに、火山噴火やいくつかの被害地震が発生している。
南海トラフでの地震後は地震の記述は長期間なくなり、平穏な時期が訪れていたようである。不幸にも我々が生きる時代は地震活動が活発な時期に当たってしまっている。
こうした地震活動の状況は、今後の日本の社会・経済情勢にも大きなリスクになるのは間違いないだろう。
とはいえ、南海トラフ沿いの地域については、東北沖の日本海溝沿いとは対称的に、歴史文書や考古発掘が盛んで、発生サイクルが短く、非常に古い時期まで遡って地震や津波発生時期・規模などの資料がそろっている。
そうした資料と今回の地震の教訓をもとに、リスクを再評価し、早急な対策が求められる。
“戦う相手”と“自らの資金力”を考えながら
早急に津波早期警報システムの整備を
――巨大地震の発生が予測される今、これからどのような地震対策を行うべきか。
残念ながら我々はまだこうした巨大地震を正確に予知する実力を備えていない。
しかし防災や減災への対応はとれる。そのためには戦う相手を理解し、経済的で効率的な手を段階的に打つことが必要だ。
そこでまず、いつ発生するか予測できない地震・津波に備えるため、早急に津波早期警報システムを兼ね備えた海底ケーブルを、敷設すべきだろう。
今回の震災でも、三陸沖に敷設していた海底ケーブルが水面上昇を記録しており、その有効性を示した。
ケーブルを複数敷設すれば、津波来襲方向も分かるため、津波の波高計算などと組み合わせて、精度の高い波高・到達時間を予測でき、緊急退避行動がとれるはずだ。
政府は地対空ミサイルやイージス艦など、防衛に際しては基本的なコストとして、整備している。
「対津波作戦」も、防衛というカテゴリーの中に加えるべき基本的な事柄だと思える。
そして備えとともに、“戦う相手”をよく理解することがやはり基本である。
今回の地震を想定できなかった大きな原因は、日本海溝沿いの巨大断層の長期間の活動についての情報が決定的に不足していたことである。
内陸の活断層の場合、断層の発掘調査によって、数千年間にどのように活動してきたかを明らかにして、その評価を行っているが、海溝の巨大断層についてこうした調査は行われていない。
過去の海溝型の地震を研究する際、通常は歴史文書や津波の堆積物に頼るが、保存状況から断片的な情報とならざるをえない。
しかし、数千年間にわたる時間スケールの活動の証拠は、日本海溝の深海底に保存されている。
技術的に様々な困難は伴うものの、我々は深海域から必要な情報を取り出して、巨大地震を引き起こす巨大断層がどのような挙動を繰り返してきたのかを知る必要がある。
こうした情報なしには、今後、首都圏をどのような規模の津波が襲うのか、そしてそれらはどれほど切迫しているのかを明らかにすることができない。
この問いに答えるためには、巨大断層の活動履歴を物質的な証拠から復元していく必要がある。
最近では、巨大地震の発生の可能性、地球温暖化による気候変動、資源問題など、かつてないほどに地学的な知識が必要な時代となっている。
にもかかわらず、高等学校での地学教育は減少する傾向にある。
その影響か、昔の人々は災害が起きやすい山地、河口を避け、小高い場所に住んでいたが、現在では経済的な効率を優先して、危険度の高い土地も知らずに利用している。
教育機関には、生きていくための知恵として地学教育にもっと力をいれて欲しいと思ってやまない。
Diamond online 2011/08/12
http://diamond.jp/articles/-/13567
2011年8月15日月曜日
「ICRPの健康基準なんか、信用してはいけない」
クリス・バズビー/Chris Busby
欧州放射線リスク委員会
クリス・バズビー科学委員長が日本人へ警告
彼らは放射能利権を守りたいだけ
(週刊現代 2011年8月6日号)
「日本政府がICRP(国際放射線防護委員会)の基準を盾にとって、『年間20mSv(ミリシーベルト)までの被曝は安全』と主張しているのは、言語に絶するほど間違っている。ICRPのリスク・モデルはもともと1952年に作られたもので、その基準は軍需産業が核実験を正当化するためのものです」
こう話すのは、欧州放射線リスク委員会(ECRR)の科学委員長、クリス・バズピー博士である。
ECRRは、各国が放射線被曝の際の基準としているICRPのリスク・モデルを批判している科学者の団体で、両者の主張のもっとも大きな相違点は、内部被曝をどの程度リスクに織り込むかという点だ。
- 日本政府が錦の御旗にするICRPのモデルには、どんな問題があるのか。
ひとつは、やはり内部被曝の危険性を過小評価している点です。
外部被曝と内部被曝の違いは、こうイメージしてください。石炭がくべられている暖炉の前に私が座ると、身体を温めることができます。しかし、その赤熱した石炭を食べて体内に取り込もうとすれば、どうなるでしょうか?私はすぐに死んでしまいます。それが、外部被曝と内部被曝の危険度の違いです。
われわれは現在、フクシマから100kmの地点で採取した自動車のエアフィルターを調べていますが、ストロンチウムやウランが検出されている。これらは内部被曝するとDNAに結合し、非常に危険です。
それにICRPを信用してはいけない理由があります。'09年4月、私はスウェーデンのストックホルムでICRPの最高責任者の一人であるジャック・ヴァレンティン博士に会いました。彼こそがICRPのリスク・モデルを書いた張本人ですが、彼は私に、「ICRPの内部被曝についてのリスク・モデルは間違っている」と認めたのです。彼はその際、内部被曝について「最大900倍ものエラー(過小評価)がある」と証言しています。
彼がそうした発言を始めたのは、ICRPを辞任したから。それで、ようやく「自分たちは間違っていた」と証言し始めたわけです。
欧州にも原子力ムラはある
- ICRPや原発推進派の学者による学説を根拠に、日本でも「チェルノブイリでも大きな健康被害はほとんどなかった」と主張する専門家がいる。
そうした人々は、刑務所に送るべきです。私は個人的に、『科学的不誠実』(scientific dishonesty)という犯罪があるべきだと思っています。該当する学者は、通常の刑事裁判と同じように法廷で裁かれるべきだと思う。
チェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシでは、5人に4人の子どもが何らかの病気に罹った状態で生まれてくるという状況です。市民の寿命は、おそらく15年は縮められたでしょう。ベラルーシでは今、多くの人々が40代でこの世を去っている。事故によって、完全に国がメルトダウンしたのです。
- 日本には「原子力ムラ」と呼ばれる強固な原発推進勢力が存在し、一部の科学者は、彼らに買収されているとも言われている。
そういう科学者がいるであろうことは、容易に想像できます。私自身は、過去20年間にわたって独立した科学者の立場を貫いていますが、そうした科学者は非常に少ない。というのも、自分たちの研究結果を発表しようと思っても、発表する専門誌に圧力をかけられたり、研究費を削減されて研究する機会を奪われたりするからです。
ストックホルムにあるカロリンスカ研究所(医科大学)のヨハンセン教授をリーダーとする研究グループは、チェルノブイリ事故の影響とフィンランドとスウェーデンにある原発の影響を研究し始めていました。
ところが、調査を始めて数週間も経たないうちに研究費をカットされ、 ヨハンセン教授は、研究室から追放されてしまいました。
だから、私のような独立した科学者は、ほとんど残っていません。他の研究者は買収されてしまい、科学は今や、大企業の利権に左右されている状態です。
- あらためて、内部被曝の危険性について説明を。
恐ろしいほど危険です。核種によりますが、内部被曝は、同じ線量の外部被曝に比べ、300-1000倍も危険だと考えています。たとえばストロンチウム90は、1mSvの内部被曝をすると、その影響は300mSvの外部被曝に相当します。
ここで指摘しておきたいのは、政府や東京電力が公表しているセシウムの数値だけに気を取られてはならないということです。たとえば、いまのところ日本では、誰もトリチウムという核種を測定していません。原子炉内に海水をポンプで入れると、トリチウム製造機と化します。そこから出てくるトリチウムを測定すると莫大な数字になる。おそらくここ(東京都内)の水道水にも入っているでしょう。
同じようにプルトニウムは危険ですが、それだけに気を取られてはいけない。プルトニウムは最悪の物質ではない。私の意見では最悪の核種はウランです。
広島にはウラン型原爆が落とされたが、そのあと白血病の発病率は17倍に跳ね上がりました。福島第一原発の原子炉には、数百tのウランが存在すると思われますが、現時点でも沸騰したウランが毎日大気中に漏れ出し、浮遊している状態のはずです。
都合がいい“死に方”
被曝は、“あらゆる病気″を引き起こします。免疫システムに悪影響を及ぼすので、感染症に罹りやすくなり、インフルエンザに罹っても死んでしまう可能性がある。“彼ら”にとっては都合がいいですよね。放射線が原因で亡くなったとは言わずに済むのですから。
実際には、ご存知のように甲状腺もやられてしまいます。精神疾患や子どもの知能低下、心臓麻痺など循環器系の病気、呼吸器系の病気、さらには女性の不妊や、関節炎や歯が抜け落ちてしまうといったレベルまで、様々な健康被害を発生させる可能性がある。
1カ月前にECRRメンバーの研究者が発表した論文によれば、出生児の男女比に大きな変化があったことも分かっています。つまり、生殖細胞に影響して、生まれる赤ん坊の男女比を変えてしまうのです。
さらに1kg当たり約100ベクレルの高レベルのセシウムに被曝した子どもは、心臓に問題が生じることもわかっています。不整脈が生じ、心臓麻痺を起こすのです。胃にも問題が生じ、胃壁の粘膜がセシウムに破壊されて適度な塩酸を分泌しなくなり、胃潰瘍になることもあります。ベラルーシの9歳、10歳の子どもは、老人の病気を発症しています。
- 福島の住民および日本国民に、助言はあるか。
できるだけ遠くに逃げることしかない。しかし、逃げるにはお金が必要です。逃げた先で生活ができなければ動けない。だから政府がもっと正確な放射能汚染の測定を行い、それに基づいて立ち入り禁止地区を決め、同時にリスクについて十分な説明をするべきです。そして、政府はそのリスクに基づいて、金銭的な補償を行わなければなりません。たとえば、1ベクレルの汚染あたり、1ドルの補償を行うというような形が現実的だと思われます。
欧州放射線リスク委員会
クリス・バズビー科学委員長が日本人へ警告
彼らは放射能利権を守りたいだけ
(週刊現代 2011年8月6日号)
「日本政府がICRP(国際放射線防護委員会)の基準を盾にとって、『年間20mSv(ミリシーベルト)までの被曝は安全』と主張しているのは、言語に絶するほど間違っている。ICRPのリスク・モデルはもともと1952年に作られたもので、その基準は軍需産業が核実験を正当化するためのものです」
こう話すのは、欧州放射線リスク委員会(ECRR)の科学委員長、クリス・バズピー博士である。
ECRRは、各国が放射線被曝の際の基準としているICRPのリスク・モデルを批判している科学者の団体で、両者の主張のもっとも大きな相違点は、内部被曝をどの程度リスクに織り込むかという点だ。
- 日本政府が錦の御旗にするICRPのモデルには、どんな問題があるのか。
ひとつは、やはり内部被曝の危険性を過小評価している点です。
外部被曝と内部被曝の違いは、こうイメージしてください。石炭がくべられている暖炉の前に私が座ると、身体を温めることができます。しかし、その赤熱した石炭を食べて体内に取り込もうとすれば、どうなるでしょうか?私はすぐに死んでしまいます。それが、外部被曝と内部被曝の危険度の違いです。
われわれは現在、フクシマから100kmの地点で採取した自動車のエアフィルターを調べていますが、ストロンチウムやウランが検出されている。これらは内部被曝するとDNAに結合し、非常に危険です。
それにICRPを信用してはいけない理由があります。'09年4月、私はスウェーデンのストックホルムでICRPの最高責任者の一人であるジャック・ヴァレンティン博士に会いました。彼こそがICRPのリスク・モデルを書いた張本人ですが、彼は私に、「ICRPの内部被曝についてのリスク・モデルは間違っている」と認めたのです。彼はその際、内部被曝について「最大900倍ものエラー(過小評価)がある」と証言しています。
彼がそうした発言を始めたのは、ICRPを辞任したから。それで、ようやく「自分たちは間違っていた」と証言し始めたわけです。
欧州にも原子力ムラはある
- ICRPや原発推進派の学者による学説を根拠に、日本でも「チェルノブイリでも大きな健康被害はほとんどなかった」と主張する専門家がいる。
そうした人々は、刑務所に送るべきです。私は個人的に、『科学的不誠実』(scientific dishonesty)という犯罪があるべきだと思っています。該当する学者は、通常の刑事裁判と同じように法廷で裁かれるべきだと思う。
チェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシでは、5人に4人の子どもが何らかの病気に罹った状態で生まれてくるという状況です。市民の寿命は、おそらく15年は縮められたでしょう。ベラルーシでは今、多くの人々が40代でこの世を去っている。事故によって、完全に国がメルトダウンしたのです。
- 日本には「原子力ムラ」と呼ばれる強固な原発推進勢力が存在し、一部の科学者は、彼らに買収されているとも言われている。
そういう科学者がいるであろうことは、容易に想像できます。私自身は、過去20年間にわたって独立した科学者の立場を貫いていますが、そうした科学者は非常に少ない。というのも、自分たちの研究結果を発表しようと思っても、発表する専門誌に圧力をかけられたり、研究費を削減されて研究する機会を奪われたりするからです。
ストックホルムにあるカロリンスカ研究所(医科大学)のヨハンセン教授をリーダーとする研究グループは、チェルノブイリ事故の影響とフィンランドとスウェーデンにある原発の影響を研究し始めていました。
ところが、調査を始めて数週間も経たないうちに研究費をカットされ、 ヨハンセン教授は、研究室から追放されてしまいました。
だから、私のような独立した科学者は、ほとんど残っていません。他の研究者は買収されてしまい、科学は今や、大企業の利権に左右されている状態です。
- あらためて、内部被曝の危険性について説明を。
恐ろしいほど危険です。核種によりますが、内部被曝は、同じ線量の外部被曝に比べ、300-1000倍も危険だと考えています。たとえばストロンチウム90は、1mSvの内部被曝をすると、その影響は300mSvの外部被曝に相当します。
ここで指摘しておきたいのは、政府や東京電力が公表しているセシウムの数値だけに気を取られてはならないということです。たとえば、いまのところ日本では、誰もトリチウムという核種を測定していません。原子炉内に海水をポンプで入れると、トリチウム製造機と化します。そこから出てくるトリチウムを測定すると莫大な数字になる。おそらくここ(東京都内)の水道水にも入っているでしょう。
同じようにプルトニウムは危険ですが、それだけに気を取られてはいけない。プルトニウムは最悪の物質ではない。私の意見では最悪の核種はウランです。
広島にはウラン型原爆が落とされたが、そのあと白血病の発病率は17倍に跳ね上がりました。福島第一原発の原子炉には、数百tのウランが存在すると思われますが、現時点でも沸騰したウランが毎日大気中に漏れ出し、浮遊している状態のはずです。
都合がいい“死に方”
被曝は、“あらゆる病気″を引き起こします。免疫システムに悪影響を及ぼすので、感染症に罹りやすくなり、インフルエンザに罹っても死んでしまう可能性がある。“彼ら”にとっては都合がいいですよね。放射線が原因で亡くなったとは言わずに済むのですから。
実際には、ご存知のように甲状腺もやられてしまいます。精神疾患や子どもの知能低下、心臓麻痺など循環器系の病気、呼吸器系の病気、さらには女性の不妊や、関節炎や歯が抜け落ちてしまうといったレベルまで、様々な健康被害を発生させる可能性がある。
1カ月前にECRRメンバーの研究者が発表した論文によれば、出生児の男女比に大きな変化があったことも分かっています。つまり、生殖細胞に影響して、生まれる赤ん坊の男女比を変えてしまうのです。
さらに1kg当たり約100ベクレルの高レベルのセシウムに被曝した子どもは、心臓に問題が生じることもわかっています。不整脈が生じ、心臓麻痺を起こすのです。胃にも問題が生じ、胃壁の粘膜がセシウムに破壊されて適度な塩酸を分泌しなくなり、胃潰瘍になることもあります。ベラルーシの9歳、10歳の子どもは、老人の病気を発症しています。
- 福島の住民および日本国民に、助言はあるか。
できるだけ遠くに逃げることしかない。しかし、逃げるにはお金が必要です。逃げた先で生活ができなければ動けない。だから政府がもっと正確な放射能汚染の測定を行い、それに基づいて立ち入り禁止地区を決め、同時にリスクについて十分な説明をするべきです。そして、政府はそのリスクに基づいて、金銭的な補償を行わなければなりません。たとえば、1ベクレルの汚染あたり、1ドルの補償を行うというような形が現実的だと思われます。
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