2011年9月22日木曜日

福島事故「ヘリ注水はパフォーマンス」 有冨元内閣参与

福島事故「ヘリ注水はパフォーマンス」 有冨元内閣参与
炉心溶融・米軍協力…当時の対応振り返る/日経

東京電力・福島第1原子力発電所の事故では、その原因、東電や政府の事故対応に関連して疑問が多い。菅直人前首相に求められ内閣官房参与として、事故対応の助言をしてきた有冨正憲・東京工業大学原子炉工学研究所長に当時を振り返ってもらった。

――事故から半年を経て、今の課題は。

「安定した冷却の確立が最低限要ると考える。それには2つの条件がある。放射性物質を確実に閉じ込めることと、核燃料の崩壊熱の除去だ。それを工程表のフェーズ2で実現したいが、難しいのは地下水の問題だ」

「5、6号機のタービン建屋地下のたまり水はなぜできたのか。津波で海水が浸入したと言われている。しかし地震で地下水脈がどうなったのかわからない。建屋の建設工事の際に地下に水が入らない工事を施したはずだが、現在はどうなのか。遮断ができていないなら、潮の満ち干だけでも地下水圧が変わり、建屋と水脈の間で水の出入りがあるはず。この問題を早くから指摘し対策を求めた。止水をきちんとやらないといけない。1~4号機は上からの注水があるので(たまり水が地下水と関係があるかどうか)わかりにくいが、事情は同じはずだ」


■情報なく「どうなっているのか」
――内閣官房参与は3月22日の任命だが、それ以前は官邸と接触はなかったのか。

「22日以前にも接触はあった。東工大の学長から協力してやってほしいと言われていた。12日午前、菅首相の視察の時、班目先生(班目春樹原子力安全委員長)は『爆発はない。大丈夫だ』と言っておられたのに、その後爆発があった。すでに炉心は溶けていたのにそんな情報はなかった。私は午前中に民放のテレビ番組に出る予定で、出演前にネットを調べたら、未明から官邸から東電へベントの話がいっていたので、当然ベントは行われたものと思っていた。ところが格納容器の内圧が8気圧だという情報が入ってくる。いったいどうなっているのか。爆発しかねないぞと思った」

――なぜ対処が遅れたのか。

「交流電源が失われた上、バッテリーまで水をかぶり計器板が読めなくなって原子炉の状態がわからない。だれかがプラントまで行って様子を見て帰ってくるまでわからない。福島第1の現場は目の前のことで手いっぱいで大局的な見方ができなくなっていたと思う。そういう状況を本店が把握したら的確な指示を現場に与えなければいけない」

「(炉心溶融のような深刻な事故に対処する)アクシデント・マネジメントの考え方はチェルノブイリ事故の後に日本でも導入されたが、日本は運転員が優秀だから現実には起きないと考えた。停電も長時間はあり得ず、8時間分のバッテリーがあれば復旧できるという判断があった。その状況を事業者も原子力安全・保安院、原子力安全委員会も改めることなくここまできた。だれが所長であっても、あの場合は1号機を救えたとは思えない」

――唯一の冷却手段だった非常用復水器が継続して動いていなかったのが、わからなかったとされる。

「だれの判断なのかわからないが、地震後に通常のマニュアルに従って、温度降下が毎時セ氏55度を超えないようにするため、開け閉めして調節していたらしい。津波の後から考えれば、そのまま温度を落としていればよかった。また構造上の問題だが、復水器からの水の戻り口が再循環ポンプの出口のところにある。この位置だと、水位が低い段階では、入れた水が炉心の冷却に寄与しない」

「スリーマイル島事故の経験から、冷却できなければ3、4時間で燃料が溶け始めるとわかっていた。復水器が動いているのでもうしばらくもつと私たちも考えていたのだが、とんでもないことだった」


■菅首相と十分話できず
――事故対処で米国から支援の申し出があって、日本が断ったと報道された。実際に何があったのか。

「私たちが言ったのは、もし日本の技術者、研究者の手に負えない事態になったら、すべてを米軍にまかせて、(作業内容を)安全審査しようなどと言ったらだめだということだ。装備は軍事機密だ。米国は広島、長崎のデータを集め、自ら核実験をして、放射線被曝(ひばく)について調べ、局地的な核戦争に対処する装備を持っているはず。例えば再臨界事故になったら自衛隊の対応は無理だ」

「米軍は最終手段だ。そうならないように私たちは知恵を絞ると話した。米軍からはいろいろな提案があって、私たちは相談してマルや三角をつけた。この装備は日本にもあるから三角。無人偵察機は日本になくすぐにほしいからマル。バツをつけた覚えはない」

――米軍に何ができたのか。あの場合は注水をして炉心を冷やす以外に手立てがなかったのでは。

「例えば、汚染したがれきを撤去して消防車が近づく道をつくれた。確かに注水以外の手段はなかったが、(核戦争に対処できる)米軍の装備でそれをやることができた。日本側には自衛隊や消防庁で対応できるとの判断があった。自衛隊によるヘリコプターの水まきは(冷却の)効果のないことを承知の上のパフォーマンスだった。協力を受けない一方で、日本は何もしないと、米軍は撤退を考えた。そうではないと示す必要があった」

――参与の期間の仕事を総括すると何が言える。

「はっきりと言えないこともあるが、菅首相とは4月末ころからは十分に話ができなかった。首相の関心が移り変わっていく様子がわかったし、こちらも大学の仕事があり官邸近くにとどまっていられなくなった。1日に1度くらい、短時間意見交換して終わりという感じだった。細野豪志原子力事故担当相にはいろいろな提言を書いて渡した。具体的には知らないが、それをもとに保安院で議論したり、東電に助言したりということがあったと思う」

「福島で何が起きたのかを中立的な視点で明らかにして世界に示したいと考えている。年内にレビュー(調査報告)を出版したいし英文で海外にも伝えたい」

(聞き手は編集委員 滝順一、永田好生)
2011/09/21
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819595E0E2E2E38A8DE0E3E2EBE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C93819481E0E3E2E09D8DE0E3E2EBE0E2E3E39797E3E2E2E2


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