2011年11月11日金曜日

TPPは「国論を二分する」ほどの問題ではない

大前研一の「産業突然死」時代の人生論

環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加をめぐり、民主党でも自民党でも反対論が根強いのをはじめ、農業関係者や医療関係者が「大反対」を訴えている。あたかも「国論を二分するかのような騒ぎ」になっているが、なぜそんな騒動になっているのか、私には理解できない。今回はTPP問題について考えてみたい。

そもそもTPPとは何なのか

TPPの9カ国間交渉を主導する米通商代表部(USTR)のカーク代表は10月26日、「最終合意に向けた交渉は今後12カ月かける」との方針を明らかにした。また日本の参加については、「決断を待っている」と語った。

TPP交渉に参加するかどうかは、米国ハワイで11月12、13日に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までにその態度を決めなければならないとされる。野田佳彦首相はこれまで国会などの答弁で参加に積極的な姿勢を見せており、これに反発の声が強まっている。

しかし私は、「ちょっと待ってくれ」と言いたい。賛成論・反対論が入り乱れているが、TPPとはそもそも何なのか、誰も正確な定義をしていない。

米国が突然TPP参加に積極的になってきた背景には雇用問題を抱えたオバマ政権の選挙対策という側面があるが、それが具体的にどういうことを意味するのか、まだ対外的に説明できる状況にはないと思われる。

TPP交渉参加国のそれぞれの「ねらい」は?

一方の交渉参加国の側でもそれぞれにどんな思惑があるのか、日本は現時点で十分に理解しているとは思えない。「韓国、中国、インドなどが今後参加する」と予測する人もいるが、少なくとも今の時点では「様子見」を決め込んでいるようだ。

お隣の韓国では先月の李明博大統領の訪米で決着したかに見えた対米FTA(二国間自由貿易協定)の国会承認をめぐって大混乱に陥っており、李大統領も対米FTAについてハワイのAPECサミットまでに決着をつけていないと「合わせる顔がない」ということになる。

肝心の米国でも大統領に有利なTPPパッケージが出てくれば、“ねじれ議会”で共和党が反対にまわる可能性もある。要するに、いずれの国も今の段階では「どこまで真剣にやるのか」に関しては手探り、といった状況にあるように見える。

下にTPP交渉参加国の現時点における「ねらい」を一覧にしてみた。

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損得でもめるだけで戦略のない日本の「滑稽さ」

TPPは、農産物を含む全製品の関税を原則撤廃し、金融や医療サービスなどの非関税障壁を取り除き、自由貿易を行うための協定である。2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効した経済連携協定がもとになっている。

そのシンガポールのねらいは「貿易ハブ機能の維持」「ASEANでの影響力」だ。また、日本の原発を輸入するベトナムは「中国依存からの脱却」だし、英連邦加盟国であるブルネイは「米国との関係維持」だ。その他の国々を見ても、それぞれ期待するところが違っていて、決して同じ理念の下に集まっているわけではない。

ただ一つ言えることは、他の参加国には少なからず自国に有利な戦略的なねらいがあることだ。それに対して日本は、「交渉参加が自分たちにとって損か、得か」のレベルでもめているように見える。何とも「滑稽」な話ではないか。少なくとも日本がTPPに参加する以上は「何を達成したいのか」を明確にする必要がある。

私にはそもそもTPPとは何なのか、かつての関税貿易一般協定(GATT)や世界貿易機関(WTO)の多国間協定ではできなかったことの何が可能になるのか、また経済連携協定(EPA)やFTAによる「二国間協定」ではできないことの何が可能になるのか、など分らないことだらけである。

ただ一つ明らかなのは菅直人前首相が米国訪問の際、オバマ大統領から突如言われて、急に浮上してきた実体不明の(先方にとっての)政治課題である、ということだ。

日本のTPP論議に説得性も論理性も見いだせない

米国側の窓口になっているのはUSTRというマイナーな役所である。これは今までの日米交渉でも米業界の利害丸出しの交渉をやってきた、お世辞にも上等とは言えない役所である。組織のしっかりとした国務省や商務省ではなく、USTRという役所の遺伝子を日本も少し研究した方がいい。

失業率がいつまで経っても改善しないために来年の大統領選挙がますます厳しくなっているオバマ大統領の刹那的な利害(米国内での雇用創出)を表に出してごり押しする可能性がかなり高い、と私は見ている。

それにしても日本の財界はおしなべて賛成意見を持っているようだ。私は今まで40年にもわたって経営コンサルタントとして企業のグローバル化を手伝ってきたが、貿易障壁があって経営戦略に支障を来した国はTPP交渉参加9カ国では一度もなかった。だから、これらの国とどんな障害をどのように取り除いていこうとしているのか、政府あるいは財界には明確に説明してもらいたい、と思っている。

一方の反対派の多くは「情緒に流されているだけ」のように見える。私が日本でのTPP論議を冷ややかな目で見ているのは、そこに損得以外のいかなる説得性も論理性も見いだせないからだ。

米国がねらうのは「雇用の拡大」だが……

貿易戦争においては得てして「ゼロサムゲーム」になる、と思われている。「米国の得は日本の損」ということである。しかし、それは消費者すなわち生活者から見れば得ということもあるわけで、誰の立場で何が問題なのかを賛成派・反対派の両サイドとも冷静に説明すべきだ。

良質な農産物が安く入ってくるのに対して、業界は反対と言うだろうが、消費者は賛成だろう。仮に、「それが安全なものでない」と言うのなら、日本政府が食品衛生法などに基づいて取り締まればいいだけの話だし、消費者が不安なら買わなければいいだけの話である。

つまり、交渉を始めたら最後、「奈落の底まで突き落とされるぞ!」という恐怖の物語はあまりにも主体性のない脅し、と映る。

「滑稽」と言えば、TPP交渉参加国である米国もそうだ。米国がTPPでねらうのは「対アジア輸出の拡大」「自由貿易圏の拡大」だ。もちろん「その心は?」と問えば、米国内での雇用拡大である。

しかし過去30年間、米国はこの手の貿易交渉の結果、貿易を拡大させたことがあったろうか? 雇用を増大させたことがあっただろうか? 私の記憶では一度もない。

日米繊維交渉とそのとき始まったバラまき

カーター大統領時代、米国は日本にピーナッツ輸入の自由化を迫った。当然、千葉県の落花生農家は猛反対したが、結局は米国に押し切られた。

しかし、それで米国から輸入したピーナッツによって、千葉県の落花生農家が壊滅状態になったかと言えば、そんなことはなかった。むしろ増えたのは中国からの輸入で、千葉県産の「八街(やちまた)の落花生」はトップブランドの地位を保っている。

そのピーナツ戦争の前には実に15年以上にわたる日米繊維交渉があった。1970年に日本側で交渉に当たったのは宮澤喜一通産大臣であったが、当時は沖縄返還に関する密約の有無などをめぐってもめにもめ、結局、佐藤・ニクソン会談でも決裂している。その1年後に就任した田中角栄首相が米側の要求を丸飲みするかたちで決着したが、この時、怒る繊維業界に総額2000億円近い救済融資を行うことでなだめている。このバラまきがその後の日本の伝統的なお家芸となった。

つまり、対外交渉の下手な政府は米国の言いなりとなるが、その被害者には税金で応分の負担をしましょう、というやり方を用いるのである。今回も野田首相は早速このお家芸を持ち出し、万一農家などに被害が及べば補償はしっかりやります、などと交渉の始まる前から「鎮静剤の散布」を提案している。

先頭を走る日本が叩かれ、気がつけば他国が台頭

記憶しておくべきことは、繊維に関して交渉があまりにも長引いたために、日本の繊維産業は韓国や台湾に流れ、やがてインドネシアや中国に立地するに及んで、1972年に交渉が最終決着する頃には肝心の日本の輸出競争力そのものが喪失していた、ということだ。

だから業界は補助金の「もらい得」となったかもしれないが、米国も交渉には勝利したが、国内産業の保護にはつながらなかった。その後、東アジアの繊維輸出国それぞれに対して、日本との交渉で見せたしつこさや粘りなどは消え失せ、衰退する米繊維産業自体が米国での政治力を失って、今では中国産の繊維製品の草刈り場となっている。

その後のテレビ、鉄鋼、自動車、半導体などの産業も同様で、先頭を走っていた日本だけがバッシイングされたというパターンの始まりは日米繊維交渉だったのである。

日本との交渉は政治的にうまみがある(雇用につながるかもしれないという期待がある)のでしっかりやるが、次の国が台頭してくる頃には米国側の当該産業界に強いロビー勢力が消えており、政治的に興味を失ってしまっている。こういうパターンはこの40年間、いっこうに変わっていない。

門戸開放までは熱心な米国

もう一つ面白い現象がある。米国が門戸開放をした市場に当初の予定通り、米国企業が「進軍してきた」ケースはほとんどない、ということである。

牛肉・オレンジも米国の圧力によって日本への輸入が自由化された。現在我々が「輸入牛肉」と聞いてイメージするのは、まずオーストラリア産のものである。米国の牛肉ではない。同様のことはオレンジでも、またサクランボでも言える。

半導体に至っては日米で合意した「日本の使用量の20%は輸入品とします」という約束に沿って(米国からではなく)韓国から輸入する羽目になった。

米国は軍・宇宙などの半導体が主力であるため、またインテル社やテキサス・インスツルメンツ社のように強いメーカーはすでに日本で生産していたため、日本が必要としている民生用の半導体を輸入することはできなかった。日本企業はやむを得ず韓国にノウハウを与えて無理に20%分の生産を委託し、「輸入実績」を作ろうとした。当時はこれが名案のように思われていたのだろうが、結局これが命取りとなって、世界最強を誇っていた日本の民生用半導体の主導権を韓国に奪われる悲惨な結果に終わっている。

市場開放を迫った米国もフォローを怠り、自国の製品が輸出できていないと文句を言わなかった。交渉の10年後には日本の半導体産業自体が瀕死の重傷を負って貿易摩擦にはかすりもしない、というくらい弱体化させられていた。

つまり米国は過去40年間、「輸入自由化を相手国に飲ませます。輸出の拡大によって米国の景気や雇用は改善します」と米国民に対して言い続けてきたが、結局のところは景気も雇用も改善したわけではなかった。

米国は貿易相手国に門戸を開かせるまでは熱心だが、その後は続かない。いつも「漁夫の利」を得るのは他の国なのだ。これを「滑稽」と言わずして、何と言おう。

大企業は好調だが、国内景気は悪い米国

こうした米国の問題は、「門戸を開く」役目を担うUSTRと「門戸開放後」を受け持つ米商務省の連携がうまくいっていないことに起因している。

もっと正確に言うと、商務省や国務省は「もはや相手国に貿易を自由化させたところで米国内の雇用や経済が改善するわけはない」と諦めているのだ。だから日本が落花生や牛肉、オレンジの輸入を解禁しても、それをフォローアップすることがない。

鉄鋼に至っては米国内のほとんどの製鉄メーカーが外資に買収され、今では米国政府に圧力をかける業界団体そのものがなくなっている。商務省はそのことを良く知っているのでUSTRと一緒に騒ぎ立てることに興味がないのだ。

オバマ大統領は就任以来、一貫して雇用の改善を訴え続けてきた。オバマノミックスで数百万人の雇用が生まれるはずであった。しかし3年経って予算だけは使ったが、いっこうに雇用は上向かない。道路建設などのケインズ政策では短期的な雇用は伸びるが、米国企業の競争力がつくわけではない。米国の政治家は国際競争の土俵が同じになれば、米国企業は本質的に競争力を持っているので輸出が増えるはずだ、と考えている。

しかし、これは19世紀の経済学者デイビット・リカードなどの頃の考え方で、21世紀の現在、競争力のある米国企業は世界に出かけていって生産し、販売している。米国から輸出しようなどと考えている米国の大企業は今ではほとんど残っていない。だからこそ、トップ500社の業績は好調で、国内の景気は悪い、という二極化が起っているのだ。

TPPでは米国の雇用も経済も改善しない

オバマ大統領は来年の大統領選挙戦に向けた最後の道具として、TPPを強力に推進しようとしている。40年にも及ぶ日本との貿易交渉を勉強・反省することなく、また自国の有力企業の意見を聞くこともなく、古びたリカードの道具を持ち出し、栓抜き(かつてUSTR代表を務めていたカーラ・ヒルズ女史の言葉)を使ってボトルを次々に開けていく。

そういう思惑で突如登場してきたのがTPPだと私は思っている。自分のイニシアチブでTPPが合意され、「米国に数百万の雇用が生まれることが期待できる!」と選挙期間中にワンフレーズ言えれば、彼は目的を達したことになる。

だが、仮に日本がTPPに参加して環太平洋で自由貿易圏が確立したとしても、米国の雇用も経済もほとんど改善することはないだろうと私は見ている。肝心の米国企業にその気がないからである。つまり、米国の強い企業は世界の最適地で生産し、魅力ある市場で勝負している。「米国国内に雇用を創出しよう」などと考えている殊勝なグローバル企業はない。だからこそ、この期に及んでも米国企業は好決算、米国の景気や雇用は停滞という対照的な状況になっているのである。

ところで、TPP交渉参加に強硬に反対している団体のひとつに日本医師会がある。日本医師会がまとめた「日本政府のTPP参加検討に対する問題提起―日本医師会の見解―」によれば、「医療レベルが低下する」「医療現場に市場原理が持ち込まれ、国民皆保険制度が崩壊する」といった内容を反対の根拠としているようだが、実は本音は別のところにあるのではないか。それは「外国人医師に市場を荒らされたくない」ということだろう。

医師会も農業団体も、もう少し冷静に

これもナンセンスな話だ。外国人の医師が働いている欧州連合(EU)は国家資格の相互認証が契約されている。スペインで国語の教師をやっていた人はドイツに行ってスペイン語の教師ができる。医師や弁護士も同様である。TPPが国家資格の相互認証まで踏み込むのかどうか、実は米国の事情を考えれば、あり得ない。

たとえば、医師の国家試験に関して、今回の交渉に熱心なチリの医師がスペイン系の多いカリフォルニアやフロリダで自由に開業できることを米国が許可するだろうか? 北米自由貿易協定(NAFTA)が発足して久しいが、カナダやメキシコの国家資格が米国で認められた、という話は聞かない。

米国が欲しいのは雇用であって「市場開放」ではない。ましてやEU並みの国家資格の相互認証など米国はまったく考えてもいないだろう。米国が考えてもいないことを想定して煙幕を張り、日本が世界に誇り、世界がまた日本をうらやむ「国民皆保険」を人質にとって「それが崩壊してもいいのか!」と脅す医師会も、もう少し冷静になってもいいのではないか?

日本に対して市場開放を迫る米国の農業も、オーストラリアと一本勝負すれば負ける。補助金のないオーストラリア農業は、補助金で支えられた米国農業よりも圧倒的に強いのだ。

今回の9カ国メンバーにオーストラリアが入っているということは、「例外」を設けるに違いないというヒントでもある。医師会も農業団体も、「リラックス!」と言いたいところだ。

ちなみに米国では、医師の5人に1人がインド人である。このインド人医師たちは、インド国内の医師免許のほかに、きちんと米国で医師免許を取得している。だから、日本でも同じようにすればいいだけの話だ。その国の法律に基づいて医師資格を取得し、その資格で仕事をするのなら誰にも責められるべきことではない。日本医師会の心配は「杞憂」と言っておこう。

反対派議員の顔に「票がほしい!」と書いてあるかのようだ

今後、TPP交渉で各国首脳が論議し始めると、おそらく彼らは「どうしてこんな低レベルのことを話し合わなくてはならないのだ」と愕然とするのではないか。つまりそれほど現状のTPPは曖昧なものであり、基本的な認識のすり合わせからスタートしなければならないのである。

したがって私は、「どうしてこの程度のものに対して大騒ぎで論争しなければならないのか」と不思議に思う。街頭に繰り出す議員たちの顔には、オバマ大統領と同じように「票が欲しい!」と書いてあるようで痛々しい。

私は過去40年間、日米貿易戦争ともいうべきものをつぶさに見てきた。相手国に門戸を開かせた後、米国がきちんとフォローして輸出を拡大した試しがないことをよくよく承知している。米国が開けた扉から入ってくるのは、いつも中国や韓国などの企業である。

日本が法外に高い関税を課しているコンニャクやコメなども安いに越したことはないが、それでも「販売価格が高いから」という理由で食べない、ということもない。

政治家があれだけ無理をして関税および非関税障壁を敷いて国内産業をガッチリ守ってくれているのだが、そういう産業はおしなべて衰退している。これまた日米共に同じ結果になっているという笑えない話である。

TPP交渉は実体が不明のまま推移するだろう

私の経験から言えることは、おそらく日米がTPPに参加したところで状況は何も大きく変わることはないだろう。日本は依然として巨大な政府債務を抱えたままだろうし、米国では雇用も経済も、そして世界市場しか見ない米国のグローバル企業の習性も、変わることはないだろう。

TPP交渉は実体が不明のまま推移するだろうし、米国でさえも選挙の結果によっては熱が冷めるかも知れない。つまり、「賞味期限のある政治テーマ」ということだ。

どちらにしても、わめき散らすほどの問題ではないし、国論を二分する価値があるテーマとも思えない。

BP net 大前研一の「産業突然死」時代の人生論 2011/11/07 (引用)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111107/289750/?ST=business&P=1

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