作業員たちは中央操作室に残り、通勤用の車などからバッテリーを集めて計器の機能回復を図った
ベントで原子炉建屋に入ったら、瞬時に靴の裏が溶けた--。東京電力福島第一原子力発電所の事故発生直後、対応に当たった作業員の証言の一端が明らかになった。
現場作業員の詳細な証言が公になるのは初めて。証言では余震に伴う退避や水たまりでの作業による感電への恐怖なども語られ、厳しい状況の中で復旧作業が行われたことが浮き彫りになった。
東京電力の相澤善吾副社長・原子力・立地本部長が4日、東京大学で開かれた「第3回東大エネルギー・環境シンポジウム」で紹介した。
福島第一原子力発電所は津波により交流・直流電源をすべて喪失。中央操作室は照明が落ち、原子炉水位なども監視できなくなった。
当時の状況について、作業員は「電源を失って何もできなくなったと感じた」と証言。電源を失い、放射線量も上昇する中で「中央操作室に残る意味について、運転員の間で激しい議論になったが、現場に残った」という。
原子炉に注水できなくなったことで、東電は代替注水を始めたが、現場はなおも大きな余震が続いていた。作業員は「大きな余震のたびに全面マスクを着用のまま、高台に死にものぐるいで走って逃げた」と振り返っている。
津波で現場が水浸しになったことも、復旧作業を難しくさせた。「屋外には水たまりがあり、夜のケーブル敷設作業では感電の恐怖があった」という。
1~3号機で試みられた格納容器ベントの現場状況も明らかになった。通常であれば、ベントは中央操作室からの操作が可能だが、当時の福島第一原子力発電所は電源を失っていたため、作業員が現場に赴いて弁を動かす必要に迫られた。
だが、原子炉内は燃料露出により高温にさらされていた。「ベントのため、原子炉建屋に入り、トーラス(足場)に足をかけたところ、瞬時に靴の裏がずるっと溶けた」という作業員の証言は、その異常さを物語っている。
原子炉建屋内は温度だけでなく、放射線量も極めて高かった。東電は被ばくの危険性を考慮し、年齢が上の作業員が現場作業を行うなどの措置を講じていた。 (本紙1面より)
電気新聞 2011/11/14 (引用)
http://www.shimbun.denki.or.jp/news/main/20111114_01.html
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